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【エッセイ】はじめて10万字の長編小説を書き終えて。
最近
最近、noteによく短編小説を投稿するようになった。
今まではエッセイが中心で、ときどき短編小説、という感じだった。
けれどいまその比重は全く逆で、とにかく創作意欲の向くままに書き始め、日に1500字を3、4日ほど続けていると、短編が一本できあがる。
毎日午前中は作業をする時間に充てているけれど、それで1500字はとても褒められたペースじゃない。
朝6時ごろには起きて机に向かい、午前11時ごろまでは書く。
5時間も書いているはずなのに、まったく不思議な話である。
短編小説といっても、そこまで身構えた内容のものを書いているわけではないので、ほとんど今までのエッセイの亜種みたいなものなのだが、とにかく作品と呼べるものを創りたいという欲求がつよくなっていた。
そしてその原因というか、源泉というか、きっかけみたいなものははっきりしていた。
人生ではじめて、10万字超の長編を書ききったことだった。
これまで
毎年のように応募している賞がある。
その名も【ジャンプホラー小説大賞】。
かの国民的作家、乙一氏がデビューした集英社の権威ある公募である。
noteを登録する以前も、僕はこの賞のために一年かけて長編小説を書き、そしてなんの連絡もないまま、次の長編のプロットに取り掛かるという、今になって思えば修行のような創作活動をくり返していた。
得られるのは、書き終えたという解放感。ただそれだけ。
受賞に強くこがれて書いているため、構成を考えていようが、文を書いていようが、真綿で首を絞められるような創作の日々。
なんとなくいいものができたぞと思えても、一次選考にすら引っかからないので、フィードバックが皆無。(というかそもそもどのような選考形式なのかも未知)
たいして分析などもせず、参照していたのは乙一氏の『夏と花火と私の死体』のみ。
そんな風だったので、僕にとっての小説というものは、頑張ってひねり出す以外のなにものでもなかった。
今回
例によって、僕は今年もその公募用に長編を書いていた。
ただ、どうも今年の作品は感触がちがう。
出来がいい、書いていてすごく楽しかった、これは絶対に受賞するぞという確信なんかがあるわけではない。
最後の文に句点を打ったときも「ああ、書いたな」くらいしか思わなかった。
書き上がったものにしても、よく言えば個性的、わるく言えばカオス、みたいなものになった。
最初にたてたプロットはほとんど無視され、散らかしっぱなしの子供部屋みたいなありさまだった。
しかし。
それは自分が今まで執筆してきたなかで、最も【自然体】な小説ではあると思えた。
書き終えたとき、文字数のカウントは10万字に達しようとしていた。
ゆだねる
例えば、この作品に『主人公グループの女の子が怪異と一対一で神経衰弱をして、負けたら親友もろとも喰われる』というエピソードがあるのだけど、いったいなぜこんな場面が生まれたのか、検討もつかなかった。
でもそれは書いている最中もそうで、いやいやおかしいだろなんだこのながれ、え今から神経衰弱すんのまじかよ、と思いながら手を動かしていた。
自分で作品を動かしているんじゃなく、作品のほうが勝手に動いていくので、なんとかそれについていく。
そんなイメージの作業だった。
頭で考えて動かそうとすると、決まって作品の動きは鈍り、したがってキーを打つ手も鈍り、僕の中にはショッピングに行ってたくさんお金を払ったけれど、本当に欲しかったものをすっかり買い逃してしまったようなもやもやがつのるのだった。
この作品には、そんなことが何度も起こった。
「作品そのものの力にゆだねる」
長い期間を経て、それがひとつの指針のようになった。
そして気づけば朝、寝起きイチバンに考えるようになった。
「今日は、どんなことが起きるのだろう」と。
手応え
そういうわけで日に1000~1500字、週に7000字程度、月にして3万字を執筆する半年間が過ぎた。
その間、別口で創作大賞の作品を書いたり、エッセイを書いたり、姪を愛でていたりしていた。
にもかかわらず、いままで一年かけて6、7万字かそこらがやっとだったのが、半年で10万字を書けるところまできたのだ。
書く前と後では、明らかに【1万字の文章】というものに対しての意識に違いがあった。
もちろん、数字がすべてではない。
他人から見たら、長いだけで中身は前とおなじだよ、ということもあるかもしれない。
けれど今にしてやっと、手応えを感じた気がするというだけの話。
その手応えさえあれば、これからいっぱい書けそうな気がする、という気持ちの話だ。
「僕はいま、小説を書いているんだ」という手応え。
ちょっと、遅すぎるくらいだった。
▼ゆだねてみませんか。
▼これも、やりたい。