異常な自分を許す。
僕は自分のことが好きではない。
けっこうフラットに、危ないことや怖いことを考えてしまう。
道端に財布が落ちていれば、中身だけ抜いて捨てることを考えたのは、一度や二度ではない。
ガラス工芸品の展示物とかみると、これ鷲掴みにして床に叩きつけたら、どうなるんだろう。と想像したり。
高いところで、一歩踏み出したくなるような衝動があったり。
こんなことを考える僕はきっと異常なのだ、という自覚がある。
きっと小説に触れすぎたせいだ。特に乙一氏の黒い影響はある。絶対ある。GOTHとか鬼物語とかね。
でもそういう異常が頭をよぎることが、イコール本性になるのか、といえばそんなことはないはずだ。
まあそういう作品が好きなのは本性ですけど。
よく自分の頭の上に、天使と悪魔が降りてくる想像をする。
でも、そのどちらも本性とは言えないし、理性とも言えない。
ちょうど九十九由基が夏油とそんな話しをしていたな。
『どちらを本音にするのかは、君がこれから選択するんだよ』
このセリフにすべてが集約されている。つまり選択したほう、行動に移したほう、生きたほうが、本音であり本性。
だから「ひどいこと考えてしまっても、やってないなら別にいいじゃん」と思う。
「バレなきゃイカサマじゃない」みたいな。いや、これはちょっと違うか。
僕が夏油のことを好きなのはそこだ。
少なくとも、自分の道を自分で選んでいること。それが以前の自分とは、全くちがう価値観だというのに。五条悟という、どデカい障害もあるというのに。
自分の信じたことを、本音と言える強さ。
そしてそれが仮に、叶わなくてもいいんじゃないか、と思えるほどの潔さ。
夏油にとっては、自らの理想に生きることのほうが、大義そのものよりも大事だったんじゃないだろうか。
僕は自分のことが好きではない。
でも『自分のことが好きではない自分』として生きることを選びたい。
それはきっと、異常な自分を許してやることだと思うから。