『ドレミの歌』を本気で考察してみた。
先日、真夜中に自室で『ドレミの歌』を大音量で流して踊り狂っていたとき、ふと考えたことがある。
それはこの曲の歌詞についてだ。
まずこれをみてほしい。
この歌詞には、とんでもない秘密が隠されているような気がしてならなかった。
僕はまず『さあ歌いましょう』の部分から、この作品を紐解いていくことにした。
重要なメッセージは、えてして最後に語られるものだ。
おかしな点を挙げると『歌いましょう』という勧誘が、歌の最後の部分にあるということだ。
一番はじめにその歌詞があればコンセプトもはっきりして、聴くほうも「ああ、歌うための歌なんだ」と基本姿勢を築くことができよう。
しかしこの曲はそうではないのだ。
どうして?
わからない。
結論、保留。
では次に、音階それぞれの単語を並べてみることにする。
『ドーナツ、レモン、みんな、ファイト、青い空、ラッパ、幸せ』
これだけだと意味不明な言葉の羅列だ。
僕自身、初めはわけがわからず、眠れない日が続いた。
ヒントを求めて、ミスタードーナツの『ハニーチュロ』にレモン汁をかけて、食べてみたりもした。はちみつとレモンが調和して、おいしかった。(僕は『ハニーチュロ』がミスドで一番すきです)
しかし、いっこうに答えは出ない。
「なんの意味もないのでは?」
その疑念が頭をもたげる。
そんなおり、気を紛らわせる為に社会学の書物を読んでいたところ、ある言葉が目にとまった。
『ドーナツ化現象』
この言葉をページの端に見つけた時、僕の中にひらめくものがあった。
『ドーナツ化現象』とは、簡単に説明すると、都市が発展しすぎて、中心部に住む人がいなくなり、その周りに人々が移り住んで人口が二極化してしまう現象のことだ。
そして『レモン』。
『ドーナツ』は甘く、『レモン』は酸っぱい。
つまりこの歌詞を作った人は、現状の社会における『ドーナツ化現象』のような極端な資本主義への問題提起を、味覚の急変によって表現しているといえるのではないか。
そう仮定したとき、僕はまるでジェンガの致命的な一つを引き抜いてしまったような感覚をいだいた。
他の単語をみてみる。
『みんな、ファイト』という並びは言わずもがな、励ましととれる。
『青い空』。これも重要なワードだ。ここから想起されるのは、近年頻発するゲリラ豪雨や、オゾン層の破壊といった環境問題にほかならない。
そして『ラッパ、幸せ』という、福音のようなイメージがつづく。
まとめてみよう。
現代社会の抱える『ドーナツ化現象』を始めとする諸問題、環境破壊、それらは一見、自分たちにはどうすることもできないものとして立ち現れる。
しかしそれをきちんと直視し、問題意識を持つことで、立ち向かっていかなくてはならない。
そうすることではじめて、僕らはその幸せを謳歌することができる。
その一歩目、具体的な取り組みが『歌うこと』つまり『声をあげ、主張すること』なのである。
こうしてバラバラだったものが、一本の線で結ばれた。
『ドレミの歌』とは、作詞者がそれを歌う次世代への希望のメッセージを込めた歌だったのだ。
あ、ちなみにこの曲には二番があるみたいですが、ここでは無視することにしました。
なんだかとても、疲れてしまったので。
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