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先生が先生になれない世の中で

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雑誌「クレスコ」に好評連載中の教育研究者・鈴木大裕さんの教育事情レポート。
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記事一覧

先生が先生になれない世の中で(41) ~救世主M:教員だった僕は、Mに完全に降伏した②~

先生が先生になれない世の中で(41) ~救世主M:教員だった僕は、Mに完全に降伏した②~

「当時のMの目に、俺はどう映っていた?」と彼女に質問した。

う~ん……と考えたあげく、彼女は言った。

「卒業後もK先生から大裕先生のことをいろいろ聞かされ、あの時もっと話を聞いておけばよかったなと思うようになったけど、正直言ってあの時は聴く耳を持っていなかった。」

そうだよな、と僕は言った。

正直言って、Mは当時の僕にとって、非常に嫌な存在だった。今だからわかるが、それは彼女が僕を超えてい

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先生が先生になれない世の中で(40) ~教員だった僕は、Mに完全に降伏した①~

先生が先生になれない世の中で(40) ~教員だった僕は、Mに完全に降伏した①~

8年の歳月を越えて

「もし、卓球の福原愛ちゃんがお前のクラスにいたとして、授業中に寝ていたらどうする?」

僕が中学校教員時代(2002年〜08年)に、何度も耳にしたK先生の問いだ。「そのままにしておく」という正解とその理由は、すでに「不登校から日本一」(月刊『クレスコ』2024年7月号)で紹介したとおりだ。

しかし、当時の僕の理解は不完全だった。2011年夏、まだアメリカの大学院在学中に一時

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先生が先生になれない世の中で(39) ~何もわかっていなかった~

先生が先生になれない世の中で(39) ~何もわかっていなかった~

酒をビールから日本酒へと移した頃、Tに6年間ずっと聞きたかった質問をぶつけてみた。

「卒業式の時のこと覚えてるか?」

Tはふと考えてから言った。

「いや、あまり。」

そうだろうな、と妙に納得する自分がいた。続けてこう聞いた。

「あの朝、なんで髪を黒くしてきたんだ?」

質問をしながら、頭の中では当時のことが鮮やかに脳裏に蘇(よみが)ってきた。

卒業式前夜

僕は、駅構内の喫茶店にTを呼

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先生が先生になれない世の中で(38) ~15 歳のT~

先生が先生になれない世の中で(38) ~15 歳のT~

T――僕にとって最も印象深い生徒の一人だ。比較的裕福なうちの学区において、Tのような複雑な家庭環境の子はめずらしい。わけあって親は近くにおらず、近所に祖父がいたものの、基本的には兄貴2人が親代わりをしていた。

Tは4人兄弟の3番目。兄貴らはうちの学校が千葉市で一番荒れていた時代の中心的人物として知られた「ワル」だった。社会に出てからは、何人もの部下を使う立派な塗装職人になったが、当時は地域の不良

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先生が先生になれない世の中で(37) ~ずっとわからなかったこと~

先生が先生になれない世の中で(37) ~ずっとわからなかったこと~

僕は教員時代、K先生に褒められたことがほとんどない。

その数少ない栄光の中に、初めて担任を任されたクラスの卒業式がある。教員1年目の僕は、2年生だったその学年の副担任だった。でも、年度途中に病休となった学年主任の先生の代わりに、急遽担任を受け持つことになったのだ。

当時は「団塊の世代」の一斉退職前で、教員の採用がほとんどなかった時代だ。僕は、アメリカの大学院を修了後、2年半かけて通信教育で教員

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先生が先生になれない世の中で(36) ~人生を団体戦に~

先生が先生になれない世の中で(36) ~人生を団体戦に~

人は、誰も信じることなく、自分を信じることができるのだろうか?

スポーツの試合で、「自分を信じて思いっきりやってこい!!」などと子どもを激励する監督を目にすることがある。ただ、それは子どもにとっては酷な言葉だ。まだ「自分」がない子にいくら自分を信じろと言ったところで、その子が急に自信を持てるはずがないし、自分の強さだけでなく、弱さも誰よりも知っているのだから。

ならば、子どもはどうすれば自信が

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先生が先生になれない世の中で(35) ~だって先生わらってたから~

先生が先生になれない世の中で(35) ~だって先生わらってたから~

Cが中学校女子個人日本一に輝いたことをふり返って、K先生はこんなことを言った。

「もし、団体で全中(全国中学校剣道大会)に出ていたら、あいつは、あそこまで自分の力を発揮することはできなかっただろう。」

後日、Cに直接話を聞いたら、驚くことに本人も同じことを言っていた。みんなと出ていたらきっと甘えが出ていた、と。ずっと一緒にやってきたチームメイトたちと、団体戦で全国大会に出るという目標は叶わなか

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先生が先生になれない世の中で(33) ~先生との出会い~

先生が先生になれない世の中で(33) ~先生との出会い~

「なんで教員になったの?」

その一言で僕の計画は音をたてて崩れおちた。

2002年3月末の日曜日、自分が4月から赴任することになっていた千葉市の中学校を訪れた日。ひと気のない学校を案内してくれていた校長から紹介されたのが、K先生だった。「うちの剣道キチガイに会ったほうがいい」、と。

いま思えば、日曜日だったから他に紹介できる職員がいなかっただけのことだ。

K先生はポロシャツに短パン姿、そし

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先生が先生になれない世の中で(34) ~不登校から日本一~

先生が先生になれない世の中で(34) ~不登校から日本一~

K先生は、よく過激なことを言う。

幼少期から「天才卓球少女」としてテレビにも出演し、当時中学生だった福原愛を引き合いに出し、若い教員にこう尋ねるのだ。

「もし、卓球の福原愛ちゃんがおまえのクラスにいて、授業中に寝てたらどうする?」

「注意します!」と若手が威勢良く答えると、K先生は予想通りの答えに「あ~~」とガックリため息をつく。

何度このやりとりを見たことだろう。

K先生ならどうするの

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先生が先生になれない世の中で(32)  ~マニュアル化する社会の中で②:『不適切にもほどがある!』~

先生が先生になれない世の中で(32)  ~マニュアル化する社会の中で②:『不適切にもほどがある!』~

「おい、そこのメガネ! 練習中に水飲んでんじゃねぇよ! バテるんだよ水飲むと! けつバットだー! 連帯責任!!」

時は昭和61年(1986年)、中学教師で野球部顧問の小川は、地元では「地獄の小川」として恐れられる存在だ。選手がエラーしたら「うさぎ跳び一周」、体罰は「愛のムチ」、教室でもタバコスパスパ……。そんな主人公がある日バスを降りたら、令和6年(2024年)にタイムスリップしていた……。これ

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先生が先生になれない世の中で(31)  〜マニュアル化する社会の中で:奈良教育大附属小学校「不適切指導」事件~

先生が先生になれない世の中で(31)  〜マニュアル化する社会の中で:奈良教育大附属小学校「不適切指導」事件~

「奈良教育大学附属小学校では、今年1月に、学習指導要領に基づく授業時間が不足するなど、不適切な指導が明らかになりました」――あなたもネットやテレビでそんな報道を目にしたのではないだろうか。国が定めている、教えるべき内容を奈良教育大附属小(以下、附属小)では教えていなかったことが発覚。新任の校長が教職員に是正を求めたが受け入れられなかった……。そんな内容を聞いたら、それはダメだよね、となるのがふつう

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先生が先生になれない世の中で(30)~高知 教職員と議員のつどい②~

先生が先生になれない世の中で(30)~高知 教職員と議員のつどい②~

教員の労働環境は子どもの学習環境であり、学校における働き方改革は、国、行政、議会、教職員、そして保護者が同じ方向を向けないわけはない。昨年12月、『高知(若手)教職員と議員のつどい』の一つの成果として、国が定める標準授業時数を上回るいわゆる「余剰時数」の問題が、高知県内12の市町村議会にて同時多発的に取り上げられた。さまざまな議会の関連議事録からは、今後進むべき道筋が見えてきた。

余剰時数の削減

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先生が先生になれない世の中で(29)~高知 教職員と議員のつどい~

先生が先生になれない世の中で(29)~高知 教職員と議員のつどい~

「もし機会があるならば、教育現場の声を直接議員に伝えたいと思いますか?」――そんな私の一言から、あるイベントが昨23年8月に高知市で実現した。その名も、『高知(若手)教職員と議員のつどい』。当日は、小中学校、特別支援学校、養護、栄養など、若手教職員に加え、高知全域から約20名の議員が参加した。党派関係なく、さまざまな市町村議会から議員が集まり、中には県議会議員の姿も見えた。

前半は、それぞれの立

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先生が先生になれない世の中で(28) いち教員である「わたし」にできること②

先生が先生になれない世の中で(28) いち教員である「わたし」にできること②

この社会は「わたし」たちの集まりによって構築されている――それに気づくことにこそ希望がある。そう言うのは、前回も取り上げた文化人類学者の松村圭一郎氏だ。文化人類学は、一つの部族や集団を長期にわたって調査する。しかし、調査を通して知るのはその「他者」だけでなく、「わたし」であり、自らの社会だ。「他者」と出会うことで自分自身の「あたりまえ」が揺さぶられ、その揺さぶりに身をまかせることで、慣れ親しんだ自

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