秋の始まりと、ドラゴンフルーツ
「ドラゴンフルーツが食べたい」と、次男(5歳)がつぶやいた。
喘息症状が悪化したため、急いで仕事を切り上げ、病院に連れていった帰り道のことだった。スーパーに併設された薬局で処方された薬を待っていたそのときに、前触れもなく、唐突に、ドラゴンフルーツ。
「……ドラゴンフルーツって、あのドラゴンフルーツ?」
突然のリクエストに、思わず情報量ゼロの返答をしてしまう。
子どもの言動はデフォルトが唐突なので、今更驚きはしない。それにしても、ドラゴンフルーツとは。次男はまだドラゴンフルーツを食べたことはおろか、その存在すら知らないはずだった。
一体、いつ、どこで、出会ったのだろう。絵本か、図鑑か、誰かに話を聞いたのか——。
息ができないほどに咳込み、肺をヒュゥといわせながらのリクエストには、不思議な重みがある。
薬局に隣接したスーパーには、確かドラゴンフルーツの取り扱いがあったはずだ。何度も来ているスーパーだから、次男はそれを知っていて、密かに食べるべきタイミングを伺っていたのかもしれない。
もちろん、いいともさ。買おうじゃないの。
しかし、私の心はざわついていた。なんせ “あのドラゴンフルーツ” である。
警告色のような極彩ピンクの皮には、毒があると言われても驚かない。トゲトゲの挑発にも心が折れる。日本人として慣れ親しんだ栗やウニに立ち向かうときとは違う未知の恐ろしさが、ドラゴンフルーツには宿っている。
おまけに、割ればダルメシアンのような斑点の果肉。どう考えても奇抜すぎるでしょう。圧倒的S。SM女王。ディズニーの世界だったら、プリンセスどころか本来の悪役たちまで窮地に追い込むような迫力がある。
全身から発せられる「あぁん? あたいを食うだってェ? 食えるもんなら食ってみな、そのかわり死ぬ気でおいでェ(ニヤリ)」と言わんばかりの圧。
……次男よ、君はその女王様ことドラゴンフルーツをご所望でいらっしゃると?
彼の勇気は、興味は、どこから来るのだろう。
まだドラゴンフルーツを食べたことがない次男は、いわば鎖国状態であるとも言える。一部南国フルーツに触れているとはいえ、ドランゴフルーツは完全に未知の世界だ。
それなのに、なんとまあ前のめりであることよ。待てど暮らせどこない南国からの黒船に痺れを切らして、自ら海を渡っていく勇敢さに、私は感動すら覚えていた。
恐怖は、無知からくる場合も多い。閉ざされた世界にいると、見知らぬものへの畏怖は増すばかりだが、こちとら無駄に三十数年を生きてきたわけではない。私にだって、ドラゴンフルーツとの外交経験は、ちゃんとある。
そう、見た目とは裏腹に、意外と淡白であっさりした味わいなのだ。ジャパニーズフレンドリーなのだ。味で次男をガッカリさせることはないとわかっている。次男のリクエストを拒む理由は何もない。
「どこに置いてあるかわかる?」
「うんっ!」
「じゃあ、買いに行こうか」
「やったぁ!」
1玉(とカウントするのか不明だけれど)598円。
シャインマスカットよりは安いけれど、梨やりんごよりは高い。ほとんど毎朝フルーツを食べる我が家でも、目的がなければなかなか手に取ることはなかった。
こうしてドラゴンフルーツは、突如、我が家の朝ごはんの一員として迎え入れられた。
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ウェルカムムードで迎えたものの、キッチンで転がしてみても、野菜室に入れてみても、ドラゴンフルーツは我が家に馴染まなかった。明らかに異質な存在として、独特な存在感を醸し出している。梨とりんごもあったから、ついモゾモゾと数日見送ってしまった。
次男に「まだ食べないの?」と催促され、覚悟を決めてカットしたのは、すでに連れて帰ってから三日目の朝だった。
果肉にナイフを突き刺すと、果汁が血のようにまな板を濡らす。ダルメシアンが飛び出すと思いきや、中に鎮座していたのは、ドス黒さをはらんだピンクの熟女だった。
切り分けてみると、見慣れた梨やりんごとのギャップがさらに際立つ。白く透き通るような梨、黄色味を帯びたりんご、そして、異質な極彩ピンクの熟女。
盛り合わせるなら、繋ぎフルーツをを差し込むべきだった。キウイか、バナナか。季節が許せばパイナップルあたりも、両者を取り持つ良い仕事をしてくれたかもしれない。
お、お客様の中に、坂本龍馬はいらっしゃいませんかーーーーー! ドラゴンフルーツと梨りんごを穏やかに結べる坂本さーーーーーん!!
しかし坂本龍馬がいなくても、次男はさほど気にする気配がない。本人自体が、和平と友愛の塊のような男で助かった。
待ってましたと言わんばかりに、真っ先に極彩ピンクを頬張る。
「……どう?」
「おいしい!!」
7歳の兄も、2歳の妹も、おいしいおいしいと喜んだ。
しかし、翌日になると、誰も手をつけない。私が数日放置してしまったせいで、おいしさのピークを過ぎてしまったようだった。柔らかく崩れそうなドラゴンフルーツは、より艶かしさを増していく。
こうなったら、アレにするしかない。手元のカードは二枚。ジャム or スムージーである。
私の中の朝廷と幕府、幕末の知識人を大集結させた結果、切られたカードは「スムージー」だった。
今合わせられるフルーツは、梨とりんごのみ。冷凍庫に眠っているバナナも加えよう。
再び、まな板をピンク色に濡らす。
いいかい? 今から君たちは、 細胞壁を手放し、個体の境目を消し、混ざり合うのだ。みんなで作ろう、新しい国を……!
いざ!!!!!
ブレンダーで超濃密な異文化交流を促進したところ、30秒ほどして現れたのは、見事に混ざり合ったピンク色のスムージーだった。
めちゃくちゃに可愛いプリティピンク。竹下通りを歩いていたら、秒でスカウトされそうな完成度の高さ。いや、表参道でも振り向かれるクオリティだ。
見た目の主導権は圧倒的にドラゴンフルーツが握っているけれど、味見をしてみたところ、梨の清涼感とりんごのバランスのいい甘みが広がり心地よい。バナナも決して主張し過ぎず、安定感を持ってチームを支えている。
これぞ平和だ。文明開花だ。フルーツたちが、みんな和やかに微笑んでいる。
「かわいい!」
「ピンクだー!」
初めての色合いに、子どもたちも大騒ぎである。
文句が出ないように均等にグラスに注ぐと、みなホォっと幸福の表情でスムージーを味わっていた。
歩く好奇心である次男は、きっとまた思いがけないリクエストをしてくるだろう。いつだって、親としての器が試される。でも、なぜだろう。次のリクエストを心待ちにしている自分がいるのだ。
肌寒い朝に飲む、お腹が冷えそうなスムージー。それでも、華やかなピンク色と子どもたちのはしゃぐ姿を見ていると、体の芯が温まる。
ピンクに色づいたままのまな板を洗いながら時計を見ると、もうそろそろ家を出なければならない時間だった。でも、もう少しだけ、急かさずにいたい。この和平を結んだ記念すべき朝を、あと少しだけ味わっていたい。
そんな、秋の始まり。