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【5皿目】 やっぱり、大根葉ふりかけ

食いしん坊3児ママによる、朝ごはんエッセイ連載。
おいしさも栄養も作る楽しみも全部叶える、執念の朝ごはん。


長男(8歳)が、小さな大根の束をわさわさ持ち帰ってきた。

これで全体量の1/4くらい


小指のようなちびっこサイズのものから、しっかりした太っちょまで、ビニール袋(大)にぎっしり入っている。

学校で育てている大根の間引きをしたらしい。不恰好なサイズ感がかわいらしく、ちびっこも太っちょも、総じて立派な葉をつけていた。

これは、ふりかけ祭りだな——。



「先生がね、葉っぱはふりかけにするといいよって言ってた!」

ええ、そうでしょう、そうでしょう。
これはふりかけ一択でしょう。

私は心の中で大小さまざまな大根たちを両手に持ち、小躍りした。

何を隠そう、私は青菜(特に大根やかぶの菜葉)で作るふりかけが大好きなのだ。つい先日、ふりかけ用にかぶを迎えたばかりだ。葉がほしいあまりに、あまり好きではないかぶをせっせと買っている。

菜葉で作るふりかけは、最高だ。
まず、味がいい。細かく刻んだ葉をしらすと一緒に炒め、胡麻やおかかもたっぷり。味付けは、砂糖もしくはみりんに、醤油をジュッと入れるだけ。

合わせるのはじゃこでもいいし、ツナや桜海老、ベーコンや豚肉も合う。みじん切りにした蓮根を入れて食感を出しても楽しい。最後に大葉をたっぷり加えるのがお気に入りだ。来るものを拒まないそんなフレンドリーさも愛おしい。

ミネラルやビタミンもたっぷりとれて、アレンジも効く。我が家では混ぜおむすびにすることが多いけれど、オムライスやパスタにもいいし、春巻きの具材に足したり、ポテトサラダと和えてもおいしい。



想像するだけで楽しくなって、夕飯の準備を足早に済ませ、翌朝のためのふりかけ作りに取り掛かった。

ザクザクと茎のあたりを切る音。手に伝わる振動。ひとつひとつのステップが心地よくて、ますます想いが募る。

大根の葉はえぐみが少し強かったので、冷蔵庫で控えていたかぶの茎部分も参戦。大根とかぶのミックスふりかけにすると、なかなかのボリュームになった。ちびっ子は漬物に、太っちょは唐揚げにして、その晩の食卓に添えた。



ふりかけ祭りの準備でワッショイしている一方、冷蔵庫の中に置き去りにしているかぶの「本体」が気になっていた。

本体というと「いやいや葉っぱも本体でしょうよ」という話になってくる。あの白くて丸っこいところは実は根ではなく茎なのだ。「茎」で進めると話がややこしくなるので、あえて「本体」と言わせてほしい。葉を愛するものとしては、苦渋の選択である。


葉に対する愛は深いが、本体に関しては「無」なのだ。ふりかけを作れば作るほど、罪悪感に苛まれる。葉ばかりを愛し、純真な本体をなおざりにする自分は、なんと傲慢なのだろう——。


本当は、かぶを丸ごと愛したい。それが、命をいただくものとして正しい態度であるように思う。でも現実には、葉だけを愛し、あの白くて丸っこい部分を “副産物” と捉えている自分がいる。



「じゃない方」のためにせっせと課金したり受け入れたりするということは、誰でも身に覚えのあることだろう。

でも、シール欲しさにポケモンカレーをねだられたら「いや、本体のカレーいらんなら欲すな」と思ってしまうし、「好きじゃないけどいいの、彼お金持ちだから」というカップルを見かけたら「彼本人を愛せないとこの先辛いよ……?」と切ない気持ちになってしまう。

本人たちの好きにしたらいいのだと思いつつ、ざわつく気持ちは、かぶの本体(カレーであり、彼)を蔑ろにしている自分に、ブーメランとして返ってくるのだ。


野菜の仕事をしていていた頃、本体への歩み寄りを試みたことがある。君は素敵だね。おや、そんな意外な一面もあるのかい? ねえ、もうちょっとそばに行って、手を握ってもいいかい……?

すけこましよろしく近付いてみても、かぶの方は「スン」としている。あぁ、そうですか。君との関係を深めていくには君を知ることが一番だと思ったんだけどもね、そちらがその気ならこちらもそれなりにやらせてもらいますよ、と。

そんなこんなで、今日の関係性というわけである。シンプルに、相性の問題だとも言える。

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翌朝から、大根&かぶの葉ふりかけ祭りが開催された。

1回目は、しらすと炒めて、お稲荷さん。
2回目は、桜海老と合わせて、混ぜおむすび。
3回目は、ツナと一緒に、チーズトースト。

なにも全部ふりかけにせず、いろいろ楽しめばいいのだけれど、ふりかけを思いっきり楽しんだ。

普段、青菜で炒めものなんて作ろうもんなら、断固として無視を決め込む子どもたちも、うまいうまいとモリモリ食べる。少しだけ残った葉の部分をしれっとお味噌汁にも入れたのだが、警察犬のごとく嗅ぎ分けて、箸でヒョイっとつまみ上げ、椀の外に追い出されてしまった。めざといやつらである。




大根葉ふりかけを味わっているうちに、歳を重ねた。日常の一部として淡々と過ごす誕生日だった。

それでも誕生日というのは、なにか特別な感慨深さがあって、周りへの感謝や人生の軌跡、これからの自分についてぼんやり想いを馳せてしまうものだ。

ふりかけを食べながら迎えた誕生日の朝に、ふと思った。葉っぱが好き、もう、それでいいじゃないと。

丸ごと愛すべきだという価値観は、ある種の呪いのようなものだ。そろそろ解いてやってはどうだろう。一筋に葉っぱ推し。こっち向いて! ウィンクして! とメロメロになっているという、ただそれだけのシンプルな話なのだ。

しがみついている思い込みや呪いは、自分らしさや世界の秩序を形作ってもいるから、守るべき部分もある。しかし、気付かぬうちに頑なになっているところをフッと緩めたら、きっともっと、人生は楽しくなるし、優しくなる。

この一年は、自分にかけている小さな呪いを、一つひとつ外していきたい。思いがけず、ふりかけに人生を説かれたような気がした。

もしかしたらもっと先の未来では、また違ったかぶの世界が広がっているかもしれない。それが今から、楽しみである。


さらにチーズも混ぜると子どもが歓喜



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#2 希望のピザトースト
#3 とりあえず、かき玉汁
#4 やさぐれた日の、豆腐白玉だんご



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