【芋雑誌🍠】さつまいもご飯
さつまいもご飯
下書き
レシピ
米、焼き芋、サイコロ状に切った生芋、天然塩、はちみつ、シナモン 全て適量。
最後にゴマを振りかけてもよし。
これらを炊飯器に入れて楽しみに待つ。
シンプルであるが、体も心も悦ぶ素晴らしいご飯だ。本音は味重視である。
個別的に食材について言及することとする。
米
米は白米を使う。私は玄米を好むがここでは白米であろう。白米は大変なご馳走であります。
精製された穀物というのは血糖値スパイクを打ち込んできて顔面にヒットすると顔がパンパンになってしまうという噂。精米の過程で玄米から食物繊維、栄養分を多く削ることとなる。然し、白米の方が物理的に美味しい。(因みに、米は形状や成分から他の穀物と比べて血糖値上昇が緩やかであるとか。)大変なご馳走である。
そういえば、ファクターXであったか、Xファクターであったか、Covid-19に対して日本人が極めて強い耐性を示した時に「コメ」が大きなファクターなのではないかという話もあった。その後の情報は追ってないが、さすが、神の目から生まれし米よ。(スサノオに食べ物を求められたオオゲツヒメはケツから食べ物出したりして、スサノオに汚ねぇぞ!と殺される。その死体から、確か、米は目から生まれた。)
私自身、米は腸に良いという実感がある。私は、自分の体で人体実験したこともある。その中で、米は活力を与えてくれるし、穀物の中でも大変私の体に合っているという確信がある。同じ精製穀物でも小麦は私の体に合わない。
そういえば、こんなことをおいもだした。ニキビに悩む知人に対して、小麦を一定の期間だけやめて米にしてみたらという提案をしたところ圧倒的な改善が見られた。(これはuniversalなものではない。皆体が違うのだから。それぞれが自らの体と向き合い深掘る他ない。)
さつまいも
芋は焼き芋を少し入れて、さらに生芋を入れる。これはやってみてのお楽しみである。しかし、あまりに柔らかすぎるような焼き芋を入れるのは微妙なところだ。最近では溶けそうなほどねっとりな焼き芋があるが、それを使う勇気は出ない。炊飯器を開ければさつまいもの芳香が漂い芋苗へ誘われ、そこは無重力空間となる。
天然塩
塩は天然塩を使う。減塩という言葉が流行っている。高血圧だから塩を控えているとか。以前、塩分ゼロの料理を子どもに食べさせている有名人がいるという話を聞いた。現代では、1日の食塩摂取量は10g以下が適量とか言われている。血圧は130超えているとまずいとか。誰が決めたのであろうか。
天然塩と食塩は違う。食塩は特殊な製法で精製する精製塩。天然塩は天日干し、または単に煮詰めるなどシンプルだ。食塩はミネラルが殆ど捨てられる。天然塩にはミネラルが豊富である。過敏になるのはよろしくないが精製されたものというのはやはり注意が必要である。
また、自ら己の體と向き合うことこそ重要である。誰も責任はとってくれない。
はちみつとシナモン
これは良く使う組み合わせである。これは言うまでもない。はちみつ、シナモンは偉大だ。科学的。またアーユルヴェーダ、漢方医学などでも言及されている。しかし、市販のものとそれらが指しているものが同じなのかは不明である。精製された白砂糖よりはちみつを使いたいものだ。精製アンチではないが。はちみつと芋蜜を混ぜるという面白さがここにある。
胡麻
大学芋にかけるのは黒胡麻か白胡麻かで16時間悩んだこともあった。さつまいもご飯はいかに。健康オタクの人はポリフェノール、アントシアニンの含有量で即決出来るかもしれない。情報のエントロピーを下げていく必要がある。最終的にはあなたが決めるのだ。惑わされるな!
う~む。最終的にやはりこっちを食べたいからという感じで決定する他ない。
さらに美味しく
以上さつまいもレシピであった。美味しいものを食べるには調理方法、食材が大切となってくるが、食べる側も整えておかねばならない。
健康になれば、味覚も嗅覚もまともになってくる。味は本来、毒を体内に入れないためにある。現代人は毒を美味しいと思っているのか。相当に鈍っている。
然し、毒を時々あえて意識的に体内に入れることはありだ。体を強くすることにはなる。とはいえ慢性的に、毎日不健康な食事をしているのは困ったものである。
味覚をまともにすることでさつまいもご飯の深掘りはさらに加速していくのだ。日々反省日々整腸していきたいものだ。
急に健康の話をしてしまったが、私は少食で偏食であり、良く他人から心配されるのである。まずは自分の健康から。自分の健康には責任を持ちたいものだ。
健康教
健康であればそれで良いのか。
例えばそうだなあ。日本のコロナ対策は我々の未熟さを物語っていた。
自称民主主義国家日本なんて酷いものだ。「不要不急」というわけのわからない言葉が流行り、公共的な市民精神というものも微塵も感じなかった。パブリックマインドゼロの欺瞞に隠れた自己中心性が見える。
不健康な自称民主主義国である。
体が健康であれば良いのか。死んだように生きていれば良いのか。
いつの間にか日本人の死生観も腐った。
時にその全体性へと身を晒し、死の方向へ出力最大で向かっていくことも必要なのかもしれない。
最近では祭りもわけのわからない理由で廃止されたりしている。
我々は健康なのか。
健康とは何か。
健康について考えることに終わりはなく。
食べること
我々は常に命を頂いている。私は食べずに生きられない。私の主食さつまいもを食べるだけでも、数多の微生物を犠牲にし、虫を犠牲にし…相当な数の命を奪って生きている。
私は生きるべき人間か。死んだ方が良い人間か。
この問いはいつも胸にある。
誤解を招いたか。「罪はあらじ。」
現代的な罪悪感ではない。純粋な思いだ。
そんなこと言ったら、地球の某宗教家さんたちも、pride greed envy lust罪つくりよ!
手を合わせる。「いただきます」と唱える。
この肉体が朽ちるまでに何が出来るのであろうか。
人類の自殺に全ての生きとし生けるものが巻き込まれる。困ったものだ。
私は今日さつまいもご飯を食べる。
食べ終えると、理由もわからず涙が止まらなくなる。
黄金に輝く稲穂の美しきその輝きは私の頭頂から、足元を貫き、宇宙の果てまで拡がっていく。
実るほど頭を垂るる稲穂かな
「謙虚」の二文字を忘れた時、緩やかな自殺は始まっている。
山の高きをもって地の低きにくだる
霊腸類としての役割をしっかり果たさねば。
謙虚に、日々反省、日々整腸。
まあ、難しいものですね。傲慢な未熟者十六の大罪人の私も整腸していくしかないも。
全ての生きとし生けるものたちがほくほくでありますように。 芋蜜狂徒