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今ここを生きる
now and here

この感覚は一口に


「🍠を味わうこと」に他ならない

まるで芋蜜に溶け込むようだ🍠


今回は「今ここの哲学」第一回です🍠


1.現代的時間観は「観念」🍠

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時間は「直線的」に流れる

それも「過去から未来へ一直線的に流れる」

これはあくまで観念である🍠


創造神を出発点として終末へと向かう


メンドーなので、どこから私たちのそのような観念が常識化したのかは議論するつもりはない

例を出す

スー族というネイティブアメリカンだったか、、、忘れてしまったが、現代的な時間の観念がなく、それを教えるのにとても苦労したという話を聞いたことがある

私たちの時間観が決して、本来的なものではなく、普遍的なものではないということだ

他にも

物理学ではプランク時間

仏教では一念三千

超いも理論では🍠時空

などなど

現代では、常識とされている時間観が当たり前と思っていた人は、ぜひこの先も読んでいただきたいものです🍠


2.肯定の🍠

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私たちには理性があるらしい

任意の命題 P に対し"P ∨ ¬P"(P であるか、または P でない)

という風に考える

私は🍠であるか、または🍠でない


話はそれるが、私は今日焼き芋🍠を食べる予定だ

私は

この記事を書き上げたら、あらゆる可能性を想定し、確実に焼き芋🍠を購入しに行く

最初のスーパーに焼き芋があったらそこで買うし

そこになければ、もうひとつ当てがある

話は飛躍したが、我々はそんな風に考える


また、🍠を購入できなくとも、購入していた自分を想像できるし、その可能性の中で自分が食べれていないこの自分

ある並行宇宙では🍠を食べている自分、、、

なんて羨ましいんだ! あいつめ!


話がそれてしまい

私はどこかへ飛んで行ってしまったようだ

しっかり根を張らないと

でも、こんな時も🍠はそばにいてくれる


「いま、🍠を食べたいと思っている」

この事実は否定できない

ただこの瞬間の事実

「いま、何も起こっていないということが起こっている」

ただ、そうである🍠


「今ここ」では圧倒的に

大きな🍠に全て包みこまれてしまう

🍠しかない

🍆ではありえない

🍠しかないのだ(・。・;



あらゆる可能性もなく

反実仮想は不可能🍠

今というこの🍠をただ味わう

全てが🍠であるし

それはバラバラではない

全てが芋づるでつながっている

イモタングルメントしている



ただ端的に🍠である

¬🍠がない
と思ってみる
そこは入口であるかもしれない



ただこの瞬間、この🍠を

おいもっきり味わうのだ!


途中から暴走してしまい

カオスになりましたが

これはこれで悪くないも

また今度これについて書きます


私の好きな言葉

自灯明・法灯明🍠


ありがとうございました。

感謝、甘藷、わっしょい🍠



サポートしてくださる方々、本当にありがとうございます。