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既婚子なしはいつまで珍しい存在なのか

普段、私はあまり「自分に子どもがいないこと」の詳細について、noteやSNSで言及することがない。
私にとっては、それはあまりに自然で、当たり前のことだった。

リアルでも普通に、そんな話題になれば、子どもいないし持つ気もないんだよね~と言ってしまう。聞かれるのも全然不快じゃないし、ただの日常会話の一部。

有難いことに、相手が子どもが欲しい人や既にいる人であっても、そうなんだ~と普通に受け止めてくれて、お互いを尊重して会話ができる関係ばかりだった(と私は思っている)し、私は子どもの話題に興味があるから、そこから不穏な空気になったりすることもない。
だから、その発言が本当は相手に気を遣わせてるかもとか、あまり人に言うことじゃないかもと知ったのは、ずいぶん後になってからのことだった。


既婚で選択子なしというのは、ネット上ではそんなに珍しい存在ではなくなったような気がしている。
でも、一歩外へ出れば、どこもかしこも子どもだらけ。いや訂正、高齢者だらけ…だが、子どもだって多い。自分の周囲の既婚者も子なしはほぼいない。そりゃ昭和と比べたら少ないのは当たり前で、結婚したらけっこうみんな産んでるよなあ、というのが私の感想だ。



だから、もう少し積極的に書いてみたくなった。
ここにいますよと、言ってみたくなった。

そんな気持ちに気づかせてくださった、スローロリスのひとり言さんのnote。


この記事を読ませていただいて、いろんな感情がぶわっとこみあげてくるのを感じた。
ああ、私、ほんとは誰かに話したい気持ちがたくさんあるのかもと。

「2人で生きていくこと自体が共同プロジェクト」
「だれかと一緒に生きていくことに違い(差)はない」

さらっと私の思いを代弁してくださり、書きたい気持ちが溢れてきた。


ストレートに書きますし、全方位にはとても配慮しきれていないです。そのあたり苦手意識のない方は、よければこのままおつきあいください。



子どもがいなくて、夫とずっと生きていける自信ある?


このようなことを昔、聞かれたことがある。
ぎょっとするかもしれないけれど、そんな嫌な感じではなくね。
同い年で、お互いそろそろ結婚という頃だったかな。彼女も子どもはどちらかというとそこまで欲しくない、わりと悲観的な想像もするタイプの人だった。少し似ていたから、単に興味本位でそんなことを聞いたのだと思う。

でも私は、その発想に驚いて絶句してしまった。
結婚とはただ好きな人とするもので、子どもは二の次、だと思っていたから。昭和生まれにしては時代に合わない考えだったのだろうか?親が不仲で結婚なんかしないと思っていた反面、憧れも強かった。
確かに、そもそも結婚制度って子どもありきのものだったんだっけ。まあ、それもいつの話よって感じではある。

絶句した理由はもうひとつあって、子どもは夫との関係を維持するための存在なの?と疑問に感じたからだった。子はこれから必死で生きていかなきゃいけないのに、という思いが、そのころの私は強すぎた。

彼女は子どもができなかったらペットを飼うと言っていたけれど、結局不妊治療をして授かった。実は私が思っていたよりも“欲しい人”だったのかもしれない。

私はその質問になんと答えたのかは覚えていない。
ただ当時も今も、夫と暮らしていくことが結婚の目的であって、それさえ叶えば幸せだ。もしかしたらそれは、誰かから見ればとてもわがままなことなのかもしれない。
でも、とても繊細な問題だから、子どもがいないのに結婚する意味ある?みたいなことは、あまり言わないでもらえたらと思う。


結婚=子どもという価値観は、これまでの歴史なんかを考えればまだまだ普通なんだろう。
だから、こういうところで伝えたい。

たとえ世間に何も産み出さなくても、家族だと認められる形で、一緒に生きていきたいだけなんです。


子どもをもたない理由


ここから先は、興味のある方にだけ読んでもらえれば。
2本に分けようかと思ったけどめんどくさいのでこのままいきます。


子どもがいない理由は、ありすぎるほどある。

・単に人生で一度も、子どもが欲しいと思ったことがない
・子育てするなら共働き必須で、自分には両立不可能
・「結局子育てなんとかなった」と思うのは親の方だけ、子どもには一生影響がある

そして、一番芯の部分
・「自分の子供に死にたいと言われたとき、希望を示せるような大人にならない限り絶対に産まない」と21歳で思ってしまった。子育てはもっと明るい人(にぎやかという意味ではなく)や、考えすぎない人、そして性格とか抜きにしてやりたい人がやる方がいい

なんかもう暗すぎてごめんなさい。色々かわいそうだな〜とか思われても仕方ない。いまだに親や過去のメンタル疾患を引きずりすぎていて自分でも引く。

でも、どうしたってこれが私なんだから、自分なりにやれることをやって、堂々と生きている。


子なしの主張


私自身は直接何か言われたことはないものの、たまにネットを見るといろんな子なし批判がある。

まず大前提、個人が責められる筋合いはない。
少子化少子化っていうけど、それ何十年前からの話?私たち世代のせいにしないで。

例えがアレだけど、自分は興味ないし苦手なのに、「サッカー人口減ってるからサッカーしろ!やりはじめたら命がけで周りともうまくやって20年続けろよ」とか「犬を飼う人が足りてないから飼え!毎日散歩させて餌あげて可愛がれ」とか言われても、イヤ大変そうだし興味ないからむりです、ってなるでしょ。

でも、逆にやりたい人ならどんな環境でも言われなくてもやるよね?
そういう人が増えるような環境にすることが先なのに、何十年あってもできなかったんですよね?

子育てと一緒にすんなって言われそうだけど、無理やり例えろと言われたら正直こんな感じ。

あと、この問題を語るときに、そもそも出産は母子ともに命がけだということを忘れてる人が多すぎない?っていつも思う。
まあこんなシビアに考えてる人間の遺伝子から当然淘汰されていくんだよね、それはわかってる。


日本がどうなってもいいのかという問いがもしあるならば、よくないけど私に日本は背負えません、としか言えない。

そもそも、産む人も別に国のために産んでない。
結果そうなるのは事実でも、自分が欲しいからとかできちゃったからとか、たまたま求められる側にいて、選びたい方を選んでるのは同じ。(望まない妊娠とかは別の話で)

産んで一人前なんて古い言葉もあるけど、自分の状況や性格を見極めて冷静に判断する生き方。これだって充分、一人前の大人では?

子どもがほしい、育てたい!という人は時代に関係なく当然いて、そういう人たちがせっかくのその思いを失わないように、安心して子どもを産み育てられるような世の中に、早くなってほしい。
その人たちの思いこそ、国の宝だよ。
私は、あまり深く悩みすぎずに、妊娠した!やった!めでたい!みたいな人にすごく憧れがあるんだよ。
そういうまっすぐな愛情深い人に、ちゃんと幸せな子育てをしてほしいよ。



そのために必要なのは、子ありVS子なしとか、若者VS高齢者みたいなことをやってる場合じゃなくて、どれだけお互いがお互いのことを想像できるか?というところだと思う。
そりゃーーもう難しいけどね。

10年後くらいには、既婚子なしが特集で取り上げられるような存在にはなっていないといいな。



ここまで読んでくださった方は果たしているのでしょうか…。
長い戯言にお付き合いくださって、ありがとうございました。


#この経験に学べ #多様性を考える