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“指摘”されると凹むあなたへ。/シナリオライター13年生のお悩み相談室

しむら「話は聞かせてもらったわ」

アクア「しむら?」

しむら「私もフィードバックで山のように指摘をされるたんびにウダウダウダウダ落ち込む側だから…ズビッ…ちょっとだけ気持ちわかる…ズビズビッ…ちーん」

アクア「ちょっとじゃなさそうだが」

どうもどうも、そんじょそこらのシナリオライター13年生、しむらです。
本日の茶番冒頭は【推しの子】4巻より。かなちゃんかわいいよかなちゃん。

マシュマロあざした!

というわけで、本日はマシュマロ宛にいただいたお悩みに“私なりに”お答えするエントリとなります。

プロットライターさんでいらっしゃるという相談者さん、相談ありがとうございます。そんじょそこらのシナリオライターのいち意見ですが、数ある考え方のひとつとして読んで頂けたら幸いです。


「ここ、直して」―“指摘”されるたびに落ち込みます。どうしたら?


さて、改めてご相談内容を振り返ってみましょうか。

  • 制作物のフィードバック(戻し)の際に、“指摘”をされると落ち込んでしまう

  • 誰しもあることだとわかっているけど、慣れない

  • モチベの保ち方を教えてほしい

とのことですね。

私これ、泣くほど気持ちわかります。私も長年同じ悩みを抱えてきました。

実は数日前に(ほんとにちょうど良く)シナリオライターさんのつどいに参加してきたので、その場で相談者さんのお悩みをみなさんにもぶつけてみました。するとその場にいた全員が一様に、

「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(あるある)」

というリアクション。いやあ、美しすぎる合唱でした。

これまで世にたくさんの作品を送り出してきたベテランさんばかりでしたので、この「あーーーーーー」には、手掛けた作品の数×数え切れないくらいの指摘の記憶が詰まっているんだろうなぁと感じました。

相談者さん自身もお書きになっているとおり、指摘を受けるのも、また指摘を受けて落ち込むのも「誰しもあること」。

でも、たとえそうだと頭でわかってても、また次に指摘が飛んできたときにゃあこころは反射的に落ち込むんですよねわかる

(※この谷口さんの1枚大好きです。納得しかなかった。)

「やまない雨はないとかじゃなくて、今降ってるこの雨が耐えられないっつってんの」
 ↓
「誰でもあることだよじゃなくて、今自分の身に降り掛かってるこの指摘が耐えられないっつってんの」

ってことだと思います。

というわけなので、相談者さんと同じ心理に長年苦しんできた私が、いまでもなんとかシナリオライターとして生き続けていられているワケを、「“指摘”に対するモチベの保ち方」として3つご紹介したいと思います。


“指摘”に対するモチベの保ち方

  1. まずは自己分析。落ち込む理由を考えよう

  2. 指摘者は頼ってくれる仲間、向き合う対象は作品

  3. 泣きたいなら泣く。怒るなら怒る。発散して前を向く


1.まずは自己分析。落ち込む理由を考えよう

指摘を受けて「落ち込む」「腹が立つ」。この感情の源泉には常に「不安」があると言います。

  • ちゃんと直せるか不安だ → 不安が「落ち込む」「腹が立つ」になる

更に深掘って、このような不安を抱いてしまう原因ですが、それは「自己評価の低さ」とか「自己肯定感の低さ」とか言われています。

わかりやすく言うと「自分に自信がないから」ということですね。

確かに、自分に自信がある人ならば、自分に対する揺るがぬ信頼から「自分ならクリアできる!」と、指摘を前向きに受け止められそうですもんね。

「いやいやいやしむらさん。
 わたし結構自分に自信あるよ? なのにこんなに落ち込んでるよ?
 なんで?」

と思った方。
もしかすると、私の経験談がとてもお役に立てるかもしれません。

私は学生時代まで、自分のことを「自分に自信があるタイプ」だと思い込んでいました。それまで自分が「やる!」と思ったことは満足行くレベルで達成できていたし、まわりの大人たちからもよく褒められていたからです。

けれどその自信は、常に「理想」と「現実」が噛み合っていたからこそ維持できていた、かりそめの自信でした。


就職活動にて大挫折を経験。
それ以来、私は生きづらさを感じるようになります。

その頃の私はまだ、自分は「本質的には自信があるタイプ」だと信じ切っていたので、就活で乖離した理想と現実を再び噛み合わせれば、学生時代の無敵な自分に戻るんだ!と信じて必死な生き方をしていました。

ところが、社会というものは複雑怪奇なもので、楽勝(?)だった学生時代よりも事がうまく運ばず、理想と現実はどんどんズレていくばかり。

自分のなかでフラストレーションが募るだけではなく、「きっと周りの人たちも理想通りにできない私を責めてんだろうな」なんて、今思えば被害妄想も甚だしい思考にとらわれるようになっていったのです。

これ以上自分自身からも、周りの人からも失望されたくない。
一刻も早く自信を取り戻そう。

と、もがきまくりの20代だったと記憶してます。

鋭い方ならもうお気づきかもしれませんが、上記のような考え方をしている時点で、私という人間は「真に自分に自信があるタイプ」ではなかったんですよね。

「自信ある!」と信じ込んでいる自分の裏には、常に自分に自信がない自分が隠れ潜んでいた。

理想と現実との間で、常に自信の“水位”が水のように乱高下するのと、
どんな状況においても自信の“質量”が岩のごとく変化しないのとでは、
真に自信があると言えるのは、圧倒的に後者だと思います。

「私は自分に自信がないタイプだったんだ」。
その事実を知り受け入れたのは、30代に入ってからやっとこさでした。
(心理学や精神医学に興味を持つようになったおかげでした)

いつか岩のごとし揺るがぬ自信を手に入れたいものですが、私は理想を追わずにはいられない完璧主義者としてこの世界に生まれついてしまったようなので、これについては少々あきらめ気味です。

なので、“自信ナシ完璧主義者”であることを認めたうえで、何事にも自分に合った対策を講じることで、モチベを保って生きていくとを心に決めています。

相談者さんもしむらと同じ性格の傾向なのか、それ以外なのかはわかりませんが、

  • 落ち込むという感情の源泉には「不安」があることを理解して

  • 指摘に不安を抱く自分が本当はどういう性格なのか、深めの自己分析する

  • 何事においても、自分の性格にあったモチベの保ち方をする

まずこれを第一歩としてやってみることをおすすめします。

▼自己分析おすすめ本


2.指摘者は頼ってくれる仲間、向き合う対象は作品

これは考え方一つでしかないのですが、“自信ナシ完璧主義者”しむらおとのにとって効果があったモチベの保ち方だったので共有。あなたの原稿に指摘をしてきた人物(以下指摘者とします)と自分の関係に対する「思い込み」を外していきましょう、というもの。

指摘者はあなたの仲間です。仲間だと思ってください。

たった、これだけの話。

こんな感じで、原稿に対してコメントが入ってくるのをテキストフィードバックとします。

シナリオのフィードバックを受けるときって、現場にもよりますが、多くの場合が「テキストフィードバック」の形式になっていると思います。相談者さんも、こうした形式で指摘され落ち込んでいる・という前提で話を進めますが…

このフィードバックを、テキスト形式ではなく、対面で伝えられるシーンを想像してみてください。

←あなた 指摘者→

あなたの想像の中で、指摘者は(→)みたいな顔をしていませんか? 険しい顔、怒った顔をしている気がする…と、思ってしまいませんでしたか?

私はテキストフィードバックのとき、ついこうした構図を想像しがちです。自分に自信がないから「ああ、きっとこれ相手はうんざりしてるな、私に失望してるんだな」なんて自動思考が働いてしまうわけ。

けれど、それはあくまで自分の想像でしかなくて、相手が本当はどう考えてるかなんてわかりようがない。

でもだからといって、指摘者に思い切って「私に失望してますか」と聞くのは勇気が必要ですよね。それに、たとえ「そんなことないですよー!」と言ってもらえても、自分に自信がなかったら「あ、これ社交辞令だな」なんて思ってしまいそうです自分に自信がないって本当に厄介だな特に私。

相手が本当はどう考えてるかなんて、一生、わかりようがない――

だったら、好きなように、事がうまく運ぶように、自分の“相手に対する認識”を変えるのがいい…というのが、自信ナシ完璧主義者しむらが行き着いた2つめの方法「指摘者は頼ってくれる仲間、向き合う対象は作品」です。

そもそも“指摘”とか“指摘者”と呼んでしまうと、なんか威圧的なイメージ。なので、私は認識を改めるためにも、“指摘”という言葉をあまり使わないようになりました(このエントリを書いてて久々に使いました)。

いまではこれらの言葉を、頭の中では以下のように置き換えています。

ד指摘”→◯“頼み”とか“お願い”とか
ד指摘者”→◯“仲間”

指摘者は仲間。飛んでくる指摘は、その仲間からの頼み。

更に、いま自分が立ち向うべき相手は
ד指摘者”
 ↓

いまここにある「もっと面白くなるかもしれない作品」

指摘者改め仲間は、敵ではなく仲間ですから、
自分の“隣”で、一緒に作品と向き合ってくれる、戦ってくれる人である。
…ということを、毎度胸に刻みました。


×こうじゃなくて

◯こう!“隣”で一緒に作品に向き合う!

自分に自信がないから指摘に対して構えてしまい、
「相手は自分に失望しているはずだ…」とか、
「相手の指摘は“正解”で自分の書いたものは“間違い”だ…」
なんて思い込みがちですが、

その思い込みを外すためにも、

  • 指摘じゃなく頼みだから、正解も不正解もない

  • 指摘者は自分を頼ってくれる仲間

  • 向き合う相手は指摘者ではなく、指摘者の“隣”で作品に向き合う

という認識に改める努力したら、私の場合は結構心が穏やかになりました。

それから、とあるライターさんがとても良いことを仰ってました。

「指摘に対しては『だよねー』と思うようにしている」

これっていうのは、指摘者の人の意見を一回受け入れて、自分が相手と同じ立ち位置にまわる、ということだと思います。

言霊の力なのか『だよねー』って言うと(思うと)、おのずと相手の“隣”に行くことができそう。私も聞いてなるほど~!と思ったので、これもぜひ試してみていただきたいなって思います。

「それでもやっぱり不安だし、落ち込むのがやめられない」
…というあなたには、これ↓をおすすめしたい。


3.泣きたいなら泣く。怒りたいなら怒る。発散して前を向く

泣きましょう。怒りましょう。それでいいんです。

なんて、ちょっと目からウロコかもしれません。

指摘を受けたことで落ち込んだとき、まず、その感情を抱くこと自体を“悪”だと思ってる自分がいませんか?

私が実際そうだった。

私の場合、「指摘で落ち込む」という感情は、指摘されたという事実そのものに自信をなくして落ち込むのと、その指摘を素直に受け入れられない自分に失望して落ち込むという、恐怖のダブルパンチで襲ってきました。

自信ナシ完璧主義者しむらにとって、理想のライター像っていうのは、どんな指摘にも表情崩さす笑顔で「わかりました!」って言える人だったので、それになれない自分自身に、またしても失望していたわけです。

「きっとこころの安定した作家さんなら、こんなこと言われても前向きに『直します!』って言えるんだろうな。なんで自分はこころから前向きになれないんだろう…」

「向こうは作品を良くしたくて言ってくれてるのに。それに落ち込む自分はおかしい。なんてダメな作家なんだ…」

“ありがたいはずの指摘”に落ち込む、悲しくなる、時には怒りさえ覚える。
――その感情を「抱いちゃいけないもの」と否定してしまう。

それこそが、指摘そのものよりも自分のこころを傷つけるナイフです。

「自己否定」という行為が脳とこころにもたらすダメージは、結構深刻なんです。ひどいとうつ病の原因になることもあるほどだそう。

なので、私は指摘に落ち込んだり、悲しくなったり、怒ったりしても、その感情を抱くことを「悪いこと」にするのは、やめるようにしました。

代わりに、その落ち込み云々を、ありのままの自分が抱いた感情として受け入れる努力をしようと思ったのです。

具体的に何をやったのかというと、以前別のエントリでも紹介した「書くワーク」をやりました。

ここで「書く」のは、シナリオでも企画書でもプロットでもありません。
いまの自分の内側にあるものを、なんでもいいから、書くのです。
いま、ここにある自分の「気持ち」や「考え」を書くのです。
できれば、真っ白なノートブックに、ペンで。

https://note.com/otono_s/n/n5c2f4ef70dca

書くワークについて詳しくは、↑のエントリを読んでみてください。

そしてこの方法を試す場合に、経験者としてぜひ、やってほしいのは――

その悲しみや怒りを包み隠さず
ぶわああああ~~~~~~~~~と書き殴ること!!!!!!!!!

こんな顔で!!!!!!!!!!!うおおおおおおおおおおお!!!!!!!!

なんなら指摘してきた相手への文句だって書いちゃっていいです相手に見せなければ(笑)とにかく、自分の素直な気持ちを一回受け入れるためにも、こころのなかにとどめておかず一心不乱に書き殴りましょう。

で、気持ちがスッキリした気がしたら、ノートブックを閉じて、ちょっといっぱいお茶でも飲む。少し時間が経ってからまたノートブックを見たら「自分こんなこと言いたかったのか…」と、場合によっては自分でドン引きするぐらいの感想を抱けるかもしれません私は抱いた。

でも、それでよかった。自分で書き殴ったものを「うわぁ…笑」くらいに笑って見られるようになったとき、気持ちは軽やかでした。また執筆頑張ろうって思えました。

案外「笑える」ようになるのが、自分の感情を受け入れられた、ってことになるのかもしれません。

まあこれをしたとて、どっかの指摘でまた「悲しみ」や「怒り」は再び沸き起こってくるかもしれません。そのときも、やっぱり頭ごなしに否定しないで、また↑の顔でノートブックに向かいましょう(笑)

そして、書くワークは気持ちを軽やかにする以上に、とっても素敵な効果を生み出してくれる可能性もあります。

それは書くことで、苦しい現状を打破する意外な方法が見つかるかも、ということ。

たとえば、書き殴りタイムから数日して自分でノートブックを読み返したときに「あれ?自分、指摘でこういう言葉を使われたときにいつも落ち込んでんな」というのがわかってきます。

となれば、冷静&前向きな頭になれているタイミングなら、指摘者改め“仲間”に、できたらその言葉を使わないようにしてほしいとお願いしてみようかな、などといった方策が思いつくかもしれません。

たとえ↑が実現が難しくても(汗)このような感じで、書くことで“客観視”ができるようになり、状況を良くするためのヒントを得られるかもしれません。

とにもかくにも、
湧き出た「悲しみ」や「怒り」を“悪”だと思わない
そしてその感情をノートブックに書き殴って残しておく
これはぜひやってみてほしいなって、思います!

もう一回!!!!!こんな顔で!!!!!!!!!!!うおおおおおおおおおおお!!!!!!!!


まとめ!

というわけで、マシュマロから相談してくれた相談者さんに向けて、
“指摘”に対するモチベの保ち方、

  1. まずは自己分析。落ち込む理由を考えよう

  2. 指摘者は頼ってくれる仲間、向き合う対象は作品

  3. 泣きたいなら泣く。怒るなら怒る。発散して前を向く

をご紹介してみました。こんな感じで回答になったでしょうか? なっていたらいいな。

相談してくれてありがとう! ご自愛してお過ごしください!!

おまけ:こぼれ話

この記事を書いていて、私の中でいろいろと思い出したことがあり、こぼれ話として有料記事にて別途公開させていただきました。

なんで有料!?と思われるかもしれませんが…理由は記事の冒頭にてご確認ください。

おまけ:シナリオの「直し」についてのお悩みにおすすめの本

おまけ:自分のこころを大切にするためにおすすめの漫画

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しむら おとの🐼シナリオライター+?
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