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【小説】ぬるま湯のようで、愛おしい、私と彼だけの致命的なバグ。

 休日の6時前だっていうのに、カーテンの外からはぎらぎらとたくましい日差しが降り注いでいる。
 おかげで目覚ましをかけてないのに、ぱっちりと目が冴えてしまった。

 いつもより、陽の光が彩られて見えるのはなぜだろう。
 考えるまでもなかった。
 あの子のおかげだ。

 マットレスのスプリングの上で跳ねてみる。
 ごくわずかな無重力は、きっと私の心を表している。

 窓を開ければ、からっとした夏の風が伸ばし始めたばかりの私の髪を颯爽と吹き抜けていった。
 きっと、彼に抱いたのは恋ではない。
 ちょっとした、化学反応に過ぎない。ぬるま湯のようで、愛おしい、私と彼だけの致命的なバグだ。

__

 恋をしている自分が好きだった。
 だって、恋をしているときが一番きらきらしているから。
 お洋服も、お化粧も、好きな人に見せるって意識するだけでぜんぜん違う。
 貴方にとって、誰よりもかわいい恋人でありたいから。

 そんなのは、恋が見せる仮の姿でしかないのかもしれないけれど。
 しばらく恋をしない期間ができた私は、日に日に無気力になる自分がほんのちょっとだけ怖かった。
 まるで、養分が失われた枯れ木になっていくみたいで。

 焦って、嘘っぱちの可愛さを振りまいてみる。
 私のことを好きになってくれる子は、両手に余るほどだった。

 でも、いくら着飾っても、みずみずしい感覚が冴え渡らない。
 女の勘って言葉があるけど、そういうものなのかも? 
 恋愛感情は、頭の中の化学反応でしかない。
 ――なんて身も蓋もない正論をかざすよりは、『女の勘』ってミステリアスなものに縋っていたほうがドラマチックで好きだ。

「でも、結局は男と女ってそういうものだよ」
「そういうものって?」
「頭がバグって好き合うものだって」
「貴方、ロマンが足りないんじゃないかしら?」
「リアリストって言ってほしいね」

 私の手前に座った男の子は、さもつまらなさそうに合コンを楽しむ子たちを眺めていた。
 周りがお酒の勢いでピンク色の話題に傾き始めてから、私は端の席で酔ったふりをしながら、チェイサーのアイスティーを静かに飲んでいた。その紅茶は水と氷でだいぶ薄まっていて味がしなかった。
 角張った眼鏡をかけた、地味めなその男の子は、数合わせで渋々誘われたんだという。

「奢ってくれるって言われたから来てみたけど、この空気はちょっと苦手だ」
「奇遇ね。私もよ」
「君も数合わせ?」
「いいや、私は恋を探しに来たの」

 酔った勢いで胸を張って宣言してみたら、彼に鼻で笑われてしまった。
 それで、顔が熱くなってきたので、ジョッキ一杯のアイスティーをぐいっと一気に飲み干す。

「せっかく着飾ってるのに振る舞いがもったいないね」
「いいのいいの。周りは見てないから。見られていても、私の眼中にはないから」
「意外と高飛車? もしかしてどこかのご令嬢?」
「一般庶民の家系ですのよ?」
「なにその口調。面白い」

 つまらなさそうにしていた彼がふっと微笑む。
 胸の内でふわっと、甘い感覚が冴える。
 恋、と呼ぶには勢いがない。けど、肩肘を張らなくていい安心感、というか。

「どうして恋を探しに?」
「恋をしているときの自分が一番きらきらしてるから、かしら」

「恋に恋してるってことかな」
「恋をしている自分に恋をしているのかも?」

「うわあ。随分なナルシストだね」
「自分に自信があるのは素晴らしいことじゃないかしら」

「それは否定しない。ぶっちゃけちょっとだけ羨ましい」
「ふふん。もっと羨みなさいな」

 作り物じゃない会話が弾む。
 恋をしているときの自分は、もっと計算して喋っている。
 どうすれば可愛く振る舞えるのか。方程式のようなものが頭の中でうねっている。

 でも、彼と話しているときに出てくる言葉は、水のようにさらさら流れるようなものだった。
 初めての感覚だった。私は追加でアイスティーを頼む。既に酔いからは覚めていた。
 彼のジョッキにはお冷だけが注がれていた。

「君は面白いね。なんだかいつもより、気楽に人と話せてる気がする」
「面白いって褒め言葉?」
「かわいいの方がよかったかな?」
「そっちは言われ慣れててお腹いっぱいかしら」
「じゃあ、面白い、で。もちろん褒め言葉だよ」

 面白い。その言葉は不思議な響きを帯びている。

「私、面白いって言われたのは初めて」

 いつだって、私はかわいいを求めてきた。
 そのための計算を尽くしてきた。
 そんな可愛いの理論武装がほどかれた今、私に残っている『面白い』ってなんなんだろう。

「どのへんが面白い?」
「ちょっと変わってるところ」
「あんまり褒められた気持ちがしないけど……」
「でも、ちょっと変わっているからこそ、面白く噛み合っているんだ」

 彼の言っていることはよく分からない。
 けど、分かりたいという自分がいつの間に心を陣取っていた。

 なんだかこそばゆい。
 恋ってこういうものだったかしら。

「計算された可愛さよりも魅力的なものがあるから、きっと面白いのかもね」

 これって、きっと頭のバグだ。
 だってこんなのは、恋とは認められない。
 しかし、私の中に突然生じた、たった1つのバグが、なぜだか愛おしくて、離したくなくなった。

「ねえ、今から抜け出さない?」
「君もちょっとはリアリストにお目覚めかい?」
「ロマンチストよりも面白いものに出会えた気がするの。
 ほんの些細な、エラーのせいよ。もちろん、マルウェアは貴方」

 机の下で、彼の手を握る。
 手汗でびしょ濡れだった。私は彼の顔を見上げて、そして、その耳が真っ赤なことに気づかないふりをした。
 笑うのをこらえるのが大変だった。

 どうやら彼も、私の面白さにバグっちゃったらしい。

__

 休日の6時前だっていうのに、カーテンの外からはぎらぎらとたくましい日差しが降り注いでいる。
 おかげで目覚ましをかけてないのに、僕の目は冴えてしまった。

 いつもより、陽の光が彩られて見えるのはなぜだろう。
 考えようとして、顔が熱くなる。
 きっとあの子のせいだ。

 マットレスのスプリングの上で毛布に包まって身体を丸める。
 恥ずかしくて、お天道様に顔向けできない。

 網戸の外からは、からっとした夏の風が吹き付ける。
 雲ひとつない青空はブルースクリーンのようだ。

 きっと、彼女に抱いたのは恋ではない。

 ちょっとした、化学反応に過ぎない。
 ほとばしるように熱く、いじらしい、僕と彼女だけの致命的なエラーだ。

(終わり)

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