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小説には入口と出口があってほしい。

ワクチン接種1回目が終わった。
副作用が怖かったので、帰宅してすぐ、冷房をかけた部屋で床に入った。
1日休みを頂いていたけれど、休みは寝て起きて文章を書いていたら終わってしまった。
キャラクタの設定を書きながら、初稿プロットを書き直したい衝動にかられている。
筆が進まないときは、焦って机に向かったところで進まない。
人の頭は正直だ。ひねり出すものがないときは無理して吐こうとしない。
脳みそに吐きダコを作るつもりはなかった。
私は友人から頂いた『STEINS;GATE』をプレイし始めた。
『宇宙ひも理論』『相対性理論』など、
物理学視点からタイムマシーンを解説している部分がとても分かりやすかった。
牧瀬紅莉栖は可愛いので、未履修の方は取り急ぎアニメから観ることをオススメしたい。

一昨日から書き始めたプロットは、SFラブコメでパラレルワールドものだった。
『なめらかな世界と、その敵』の『乗覚』という設定から着想を得た。
キャラクタはMIBのKとJ、『探偵はもう、死んでいる』のシエスタと君塚のイメージ。
そこまで考えたところで筆が止まる。
……作者がやりたいことはなんとなく決まっている。
しかしキャラクタがやりたいことが決まらない。

村上春樹の『1973年のピンボール』はワクチン接種の行き帰りで読み始めたばかりだった。

物事には必ず入口と出口がなくてはならない。そういうことだ。


一九七三年九月、この小説はそこから始まる。それが入口だ。出口があればいいと思う。もしなければ、文章を書く意味なんて何もない。

winnie the poohにも終わりがある。クリストファー・ロビンが学校に行く歳になって、『Doing nothing』が好きだってことをプーに伝えて、旅立っていくシーン。

どんな物語にも、入口があれば、出口がある。人の消化器だって、呼吸系だって。
……ってことは昨日も書いた気がする。

でも、出口が無い問題だってあるだろう? 鼠取りのように。
それでも、出口がない問題に、自分なりの値を入力して、出力するのが小説という媒体だ。そう思う。
問題に対して、答えを出さないという答え方がある。その答え方が他人を救うこともあるが、答えがないという答えは、往々として一時的な麻酔薬にしかならない。
答えを出すことで一歩を踏み出せる。
そして、小説の場合、キャラクタの踏み出す一歩と読者の想定した一歩が重なった場合、化学反応が起きるのだ。爆発的な反応が起きた暁には、その本は作業机の目に見えるところに並べられて、病めるときも健やかなるときも、読者に前へ進む勇気を贈ってくれる。
希望だらけのアンサーじゃなくていいけれど、せめて誰かの救いになる答えを出さなければならない。
あくまで、一個人の意志でしかないけれど、そういう物語をいつだって所望している。

入口を作ろう。
簡単でいい。
冴えない男子と魅力的なヒロインがいれば、ラブコメディの神様が踵で愛を打ち鳴らす。
二人の行く末を考えてみよう。
恋人として結ばれる? あるいは一気に結婚? 老後まで2人仲良く幸せに暮らしました? そうそう、それでいい。
男女が好きあって、葛藤して、その結果、2人の望む結果が得られた――物語は成立する。

あとは簡単な骨子のうえに、試練を重ねる。試練は2人じゃ乗り越えられない高い壁かもしれない。でも、この世界上に2人ぼっちじゃない限りは、助けてくれる心優しき隣人がいる。あるいは意地悪な隣人と対立してもいい。コミュニケーション、対話は葛藤を乗り越えるために必要な段階だ。

生み出したキャラクタがめいっぱい葛藤して、用意したハッピーエンドを獲得してくれる日を待ちわびながら、肩の力を少しだけ抜いて、もう少しだけ物語のためにキーボードを叩いてみる。


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