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夏ですら無味乾燥だったから、小説の主人公は読者を導く一筋の光であってほしい。

Yogee New WavesのCAN YOU FEEL ITを流しながら記事を書いている。

この街で 生きた頃のこと
よければ踊って 過去を踏みつけてよ
そのままでいてね 夏の日よ
スコールが香って 季節をやり過ごす いつも


Yogee New Wavesは、アルバム『BLUEHARLEM』しか聴いたことがない。
Twitterのフォロワーから勧められたのだが、彼は私の好みを熟知しているようだ。
夏という概念が好きだ。忘れられない季節が好きだ。
過去からの流れが色濃く写っている今が好きだ。
文章を書きながら、未来志向になろうとしているが、
その本質は夕陽のあぜ道に後ろ向きで伸びる影のままだった。

時折、たった1つの瞬間に縋りたくなる時がある。
ロードバイクを思いっきり漕いで、汗が滴って、
通りの少ない田舎道の赤信号で停まったあと、
振り向いた夏の空が、
泣きたくなるくらいの澄んだ青一色のときとか。
きっと、時間が巡るめく所為だ。
恋人同士が一つのキスに感情を乗せるのは、
その瞬間が永遠ではないからだ。
口が寂しくなってからどれほどの時間が流れただろう。
考えれば考えるほど、胸の内、冬の時代は終わらない。

この夏は目を見張るほどの入道雲に立ち会えなかった。
夏が終わる。無味乾燥な、灼熱の日々は、ほとぼりが冷めていく。
永遠がないからこそ、縋ってしまう。
夏っぽい夏を。

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小説のアイデアを出してみたら、
MIBとLEONの踏襲をしたようなシナリオが生み出された。
まだ、人の目に晒されることを想定していないなぐり書きのようなものだ。
しかし、なぐり書きでも1から10までひとまず数え上げてしまうのがいい。
もとより完璧な小説はない。


「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」

村上春樹の「風の歌を聴け」はバイブルで、何度も読んだ。
読んだ割には内容が水のように流れるのだけれど。当たり前のように頭の中に入ってきて、するすると読めるのに、水の流れのように過ぎ去っていく。クラシック音楽のような小説。この喩えはクラシック愛好者を敵に回すかもしれないけれど。『スプートニクの恋人』は読みやすく、内容も頭に留まった。
私は、お世辞でも文章が上手いとは言えない。だから、何度も書き直す。
初稿のうちは文章の巧拙もお構いなし。
書けないところはSVOCと少々の修飾語で凌ぐ。
書けるのは、導入とキャラクタの過去を深堀りする場面。当社比だ。

プロットを書いていて気づいたアタリマエのことがある。
物語は、最初に提示された問題を、
最後に説得力で包んで解決していればそれでもう50点は取れるってこと。

配点は目分量だ。あとは『キャラクタ』がなんとかしてくれる。
問題を解決するのはキャラクタ。キャラクタは読者のもとに降り注ぐ一筋の光であらねばならない。
私は、優柔不断さを図々しく貫き通す人物を主人公にしたくない。
何も決断できない主人公は、読者を迷子にするからだ。

話の筋道が分からないと、読者は迷子になる。
例えば、迷子になった子供は、
親を探すためにその場から当てずっぽうに、行く宛もなくさまよう。
そうすれば、疲れてしまい、しまいには途方に暮れて泣いてしまう。
迷子になるってことは、疲れて途方に暮れてしまうってことで、
それは読書でも同じことが言える。

迷路を作るのはいい。
でも、迷路を作ったら、ゴールを作らなければ読者に不親切だ。
働きアリを蟻地獄に突き落とすような所業だ。
耳が痛い話である。自戒としてここに残しておく。


これから数日は、物語が提示する問題と、その解決方法を重点的に考えることにした。
無から何かが生える期待はしていないので、
休暇は作品を鑑賞して、研究を続けることにする。


人を楽しませるには、自分が何より楽しむことが大事で、
それと同じくらい、楽しいものから何もかもを吸収する貪欲な勤勉性もまた、肝要だと信じたい。

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