私が苦手なこと三選
私はシンド人である(拙稿「健康人とシンド人」より)。要は、けっこう生きづらいよということである。まあ誰だって「私も生きづらいわ」と言うだろう。比較するつもりはない。今日は自分の苦手なことを、いくつもあるが、敢えて3つに絞って書いてみた。
①3人以上での会話
これのやり方がとんとわからない。綾屋紗月さんもたしか似たようなことを書いておられて、膝を打った記憶がある。3人ならば必ず2/1になってしまい、その1がいつも私である。飲み会などは私にとって地獄だ。4時間いて一言も喋らなかったこともある。とはいえ20代は結構そんな場に参加してきた。コロナ以降は一度も行かなくなった。
面白い(?)弊害としては、小説を書くときに3人以上での会話が描けないという致命的な欠陥だ。いつもモノローグかディアローグになってしまう。これは明らかに実体験の貧困さに起因している。「小説を書くために」という名目で、飲み会に出てみようかなぁ…。あ、相手がいないか…。バフチンでも読むかぁ。
②子供との触れ合い
これもめちゃめちゃ苦手である。よく子供の前に行くと態度が変わる人(子供の目線の高さまで瞬時にしゃがみ、「〇〇ちゃんよく来たね〜」とかいうやつ)、ああいうやつに碌な人間はいないと思っている(大偏見です)。もっと建設的というか普遍的にいうと、MBTIでINFJ(提唱者)はカメレオンと言われ、相手が誰であってもその相手に合わせられる(がゆえに本当の自分を見失ってときに疲れてしまう)と言うが、私はINTJ(建築家)なのでおそらくそういうように振る舞えず、例えば子供の前でも「スピノザ『エチカ』第二部定理49の備考はさ…」とか話してしまいそうで、こわい。しかしそういう自分だからこそ、「おかあさんといっしょ」の類は好きでよく見る。あそこまで振り切るには、それこそ人生何周する必要があるんだ、とただただ感嘆してしまうのであった。
③しばらく先の予定
よくアイドルのラジオなどを聞いていると「遊ぶなら“今からどう?”しか無理ですね」という人がいる。私も完全にそのタイプである。たとえ翌日であっても、何か予定が入っているとそのことで頭がいっぱいになり、緊張して眠れないのだ。とりわけ「待つ」という行為は、「具合が悪くなる」と等号で結ばれている。何も待たない、思い立ったら即行動、鉄は熱いうちに打て、が私の健康法だ。とはいえ太宰治の短編「待つ」やベケットの『ゴドーを待ちながら』、鷲田清一の『「待つ」ということ』などは繰り返し読んでおり、自分ができないことへの克服意識もちゃんとあるんだということをここでアッピールしておきたい。ところで前述のアイドルたちは、日々「先に」そびえ立つライブスケジュールと戦っていると思うが、それを乗り切れるメンタルがあるならば、遊びくらい大丈夫だとも思ってしまうのだが…。
以上が私の苦手なこと三選でした。他にも本当はいっぱいありますが、また苦手度が手に負えなくなってきたら書こうと思います(笑)