私たちはどう生きるか
私には大学の頃からの友人がいる。
彼女の名前は庄司(しょうじ)。
彼女は英語の授業の初日に遅刻をしながらも堂々と現れた。
当時流行ったショッキングピンクのどぎつい色をしたトレンチコートを羽織り、ルイヴィトンのモノグラムの鞄を持ち金髪に近い茶髪の彼女は、大学デビューだった芋女の私にとっては眩しく見えた。
昼休みには金のマルボロを吸い、夜はキャバクラでバイトをしていた彼女は明らかに私とは違う世界で生きていると最初は思ったが、数ヶ月後には同じ授業を並んで受け、昼休みには学食でランチをし、帰り道には丸井に寄りサマンサタバサの鞄やセシルマクビーの服を一緒に買う仲になった。
見た目はギャルだが中身は凄く真面目で寂しがり屋の女の子だった。
2年生になると私と同じサークルに入り、夏にはひとつ上の先輩と付き合った。
飲めないお酒を無理矢理飲んで気持ち悪くなり民宿のトイレで泣きながら吐いていた庄司の髪の毛を結んであげたのを覚えている。
3年生になり先輩と別れて一限目に姿が見えず、電話をしたらテニスコート裏で「死にたい」と言いながら泣いていた。
4年生になると取り憑かれた様に就職活動を頑張っていて、毎日リクリルートスーツで授業を受けていた。
夏休み中、6月に開催されたサーフィン大会の取材に来ていた某テレビ局のプロデューサーから「未来のやまとなでしこ」というタイトルの10分くらいの隙間番組の出演依頼が来た際、サークルの部長だった私はバイトがあり都合が付かず代わりに庄司を推薦した。
朝早くに庄司だけプロデューサーと千葉の海に行きサーフィンをする姿とインタビューを撮影し、昼にバイトが終わった私が合流するというスケジュールに納得がいかない様ないく様な複雑な気持ちで車を走らせた。
予想した通り陽が傾きかけた夕刻に到着した私は、海にも入れずインタビューも撮らず彼女と浜辺を歩くシーンだけ撮影した。
「おい、話が違うぞ。」
とも心の中で思ったが、私は主役よりも脇役、委員長よりも副委員長で輝くタイプだと自負していた為ぐっと堪えた。
けれど何となく悔しくて、後日その放送は観なかった。
撮影の話が来た際にテレビに出るかもとペラペラと話してしまったので、先輩からは「おとうふが出るって聞いてたけど庄司がメインだったね。あ、おとうふもちょっと映ってたよ。」と言われて恥ずかしくなった。
庄司はインタビューで「将来は戦場ジャーナリストになりたい」と語っていたが、実際には誰もが憧れる大手のメーカーに就職をした。
22歳で卒業してから15年間の仲だが、いまだに食事に行ったり旅行したりする良きソウルメイトだ。
前置きが長くなったが、そんな庄司と昨日映画を観に行った。
宮﨑駿監督の「君たちはどう生きるか?」
宣伝を一切しない手法でぬるっと公開されてから一ヶ月が経ち、事前情報無しで観に行った為、想像していた斜め上の世界観であった。
この記事では映画の感想には触れないが、観終わってから考察記事を読むに当たって凄く分かりやすい解説をされている方がいたのでご紹介しておく。
「崖の上のポニョ」然り「風立ちぬ」然り、私が個人的に感じたのはテーマが生と死であり観ている最中は物語について行くのに必死で、観終わった後は言葉が出なかった。
正解はなく「観ている人それぞれの解釈を楽しむ系」なのかなと感じた。
2時間半に渡る駿の大冒険映画を観た後だからか、夏休み中に彼女の脳内哲学が活性化されたのか、ランチの韓国ビビンバを混ぜながら彼女は急に語り始めた。
「最近生きづらいんだけど」
庄司はコチュジャンを足しながら唐突に言った。
私は石焼ビビンバのお焦げを作るべく石焼鍋にご飯を押し付けながら「え?何?」と聞き返した。
「生きづらいんだけど」
彼女は憂鬱そうに話した。
周りからみたら心配になる光景かもしれないが、テニスコート裏で泣きながらリストカットをしようとしていた庄司に比べたらだいぶ正気ではある。
私たちはいつでもNHKの「しゃべり場」の様な対話をして来た。
「何かあったの?」
と聞くと、夏休みが長過ぎて色々て考えてしまい生きづらい事に気付いてしまったそうだ。
会社の入社同期仲良し4人の中で、2人は随分前に結婚し子供がいて、3人目の同期も来月結婚式をあげるらしい。
子供がいる同期から久々に連絡が来て「元気してる?久々に皆んなでキャッチアップしない?」と誘われて凄く行きたくないのだと言う。
穿った考えだとは分かっているけれど、結婚を見せ付けられて自分だけが独身で寂しい女だと実感する地獄に行く気がしない。私に説教でもするつもりなの?と。
決して彼女達はそのつもりはないだろうが、そうなると大体子供の話となる。
ミルクがなんだ離乳食がなんだと話している。
私は以前同じ様な経験をして、そんな地獄のランチ会をアクリル板を最大限に活用し聞こえないのに聞いてるふりをしながらほぼ微笑み頷きでパスタを食べて帰って来た事がある。
聞いてなくても全く問題ない。
彼女達は発信したいだけだから。
子連れランチはマウントでもなく承認欲求を満たすものでもなく、ママ達が社会と繋がる唯一の方法なんだと思う。
昔はボランティアとして参加をしていたが、厚みのあるアクリル板を最後にもう参加するのをやめた。
人に気を遣いながら付き合っていると自分の精神が削られる事に気付いたのだ。
自分が居心地の良い人を選んで付き合えば良い。
私たちの心を抉る子連れランチは積極的に断ろう。
気持ちの悪いおじさんのお酒は断ろう。
家族と過ごして癒されよう。
キャリアだけは裏切らないと言われているから仕事は頑張ろう。
夜は楽しいお酒を飲もう。
「そう考えたら楽になったよ。キャッチアップも嫌なら予定が合わないとか言って断れば良いよ。」
「うん断るわ。インスタもスマホから消したんだよね。もうキラキラした世界見たくないよ。」
そして庄司は、それをきっかけに更なる哲学を展開させた。
彼女曰く、この先好きな人と出会えずに結婚も出来なくて一人で死にぬのが恐い、と恐怖を感じ始めたらしい。
「古い考えかもしれないけど、自分は好きな人がいるから仕事も頑張れるし生きていけるタイプだと思う。歳下の可愛い男の子と出会っても37歳なんて相手にされないし傷付くだけだし、もう生きづらくて仕方ない。」
とキムチを頬張りながら言う。
「歳下の可愛い男の子」のワードが気になり、いま叶わぬ恋で悩んでるのかと聞いたらそういう訳でもないらしい。
良いなと思う子がいたけど叶いそうもなく、あくまでもきっかけとして考え始めてしまったとの事。
もうその男の子はどうでも良いのだと。
庄司は昔から恋愛体質の女脳だ。
恐らく結婚相談所で条件を伝えてマッチした人と恋愛ごっこをしたり、「40までに子供を産みたい」と明確な目標を持って婚活をしている三十代とは種類が違う。
ドラマティックな出会いから始まり恋に堕ち、じわりじわりと愛を育む世界にいまだに憧れを抱いている。
寂しくなったらいくつかいる持ち駒のセフレ君たちを召喚する男脳の私とは正反対の考えだ。
「私はもうひとりで死ぬ覚悟あるよ。来世に期待してる。」
そう私が言うと庄司が食べる手を止め目を丸くして、驚いていた。
「何で?前まで再婚も縁があったらしたいし子供の可能性もゼロではなかったでしょ?」
と言われ、私自身そう言えばそうだったなと驚いた。
私は昨年10月に歴史的大失恋を経験した。
自分のメンタルのどん底を知っているからこそ「まだ大した事ないな」と俯瞰する癖が付いてしまった。
10ヶ月経った現在そこからの失意から見事に回復し今は無双状態になっていた。
気になっていた相手にフェードアウトされても傷付かなくなったし、思ったよりベッドインが早く終わってしまった相手はもうどうでも良くなり、キスした感覚であんまり合わないと感じたらその先に行かないようになった。
11年間思いを寄せ「彼女になれるかも」「再婚出来るかも」「彼となら子供を作ったら楽しそう」と淡い期待を抱いていたが、一気にそれを失い感情が飽和した。
現世では二度目の結婚には期待せず、来世で幸せになってくれ。そう願っている。
庄司は言葉には出さなかったが、きっと「おとうふは良いよね。一度結婚してるんだから。」と思っているはずだ。
実際過去に言われた事がある。
「世の中にはさ、女性のおひとり様もカッコいいみたいな風潮があるじゃん。バリキャリで仕事頑張ってキャリア積んで、お金沢山稼いでカッコいいみたいな。私は駄目なんだよね。ひとりでご飯食べるより好きな人と食べたいし、いつかは結婚するって信じながらこの歳になっちゃったんだよ。」
付け合わせのチャプチェをすすりながら庄司は言った。
「そうなの?庄司、ジムとかも行ってて楽しそうだし、誰もが羨むメーカーに勤めて勤続15年でしょ。自分の行きたい部署にも行けて仕事楽しいって言ってたからバリキャリ系なのかと思ってた。お給料アップがモチベーションにはならないの?」
「今まで無意識に悩んでたんだと思う。このままキャリア積んでマネージャー職になって行く自分と、いつかは彼氏が出来て結婚をする自分と、どっちがなりたい自分なのかなと思った時に後者だったんだよね。私にとってはお金ってそこまでの原動力にならないみたい。夏休み長過ぎて色々考えちゃったよ。」
「そっかぁ。気付くの遅かったね。でも気付けて良かったよ。37歳、まだ恋愛出来るよ。まずは環境変えてみたら?転職してみるとか、休職してインドに行ってみるとか。」
「遅いよね。まだ間に合うのかな。やっぱり環境変えた方が良いよね。オーストラリアあたりに留学しようかな。今やりたい事って英語のスキルアップくらいしかないわ。」
「真面目だな。私なんてルー語でなんとか乗り切ってるし、それで良いやって思っちゃってる。素晴らしいよ。留学先で彼氏が出来たら一石二鳥じゃん。」
そんな訳で庄司は来年オーストラリアに留学する事になった。
話はかなり飛躍して、37歳でまた恋愛が出来るのかという話になった。
もう気にならないとは言っていたが、ちょっと良いなと思っていた歳下くんの事を根に持っているのだろう。
「一年365日って勝手に決められてるから自分が生まれた日が来たら一歳年を取る訳でしょ。でも年齢ってある種のラベリングだから、25歳の見た目の37歳もいるし、40歳の見た目の20歳だっている訳じゃん?ちょっと良いなって思っていた相手が、自分の年齢を知った途端に離れて行くって何か違くない?年齢ってそんな大事?もしこの世の中が『年齢』という概念が無ければ、私はもっと負い目なく恋愛が出来ると思う。」
「いや、言いたい事は分かるけど、映画引きずってない?少し話がファンタジーだよ(笑)」
「うんそうだね、そろそろやめるわ(笑)」
韓国料理屋のおばちゃんが
「ランチ時間もそろそろ終わるからね。」
と2回ほど伝えに来たので慌てて残りのビビンバを食べた。
駅に向かうまでの道のりで私はふと思った。
大した生き方をしていないのに偉そうにアドバイスをするなんて、自分はなんて浅ましいのだろう。
「さっきは偉そうに庄司にアドバイスして、もういつ死んでも良いとか言ったけど、多分夜になったら『いつまでひとりで生きて行けば良いんだろう』って絶望するんだと思う。私、多重人格なのかもしれない。」
「そんな事私だってあるよ。多分どっちもおとうふだよ。」
「ありがとう…。私たちはどう生きるかって感じだよね。」
「それな。」
「それより、これからどこ行くの?」
「ジムの人たちとホームパーティするよ。」
「良いね。残り少ない夏休み楽しんでね。」
「おとうふは?」
「私は実家に寄って夕飯食べるわ。」
「良いね。じゃあまたね。」
「うん、またね。」
隣の芝生は青いという。
私は彼女の今の生き方は立派だと思うし、どうやって生きて行きたいかを考え行動する勇気は憧れる。
戦場ジャーナリストにはなれなかったが、もう立派な「未来のやまとなでしこ」となっていると思う。
果たして私はどうか。
庄司からしてみたら、一度は結婚しているし仕事で海外にも行けるし、セフレだっていたりデートをする相手がいるんだから良いじゃんと言われそうだが、全く幸せを感じていない。
無い物ねだりだ。
夏と言えばジブリでしょ、なんて、安易な気持ちで観てしまった映画を観て色々考えてしまった。
私たちはどう生きるか。
永遠の宿題な気がしている。
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