[code:ノストラ]ほんの少し時代遅れな件について
今回は週刊ヤングマガジンで連載中の「code:ノストラ(以下"ノストラ")」に注目していきたいと思う。作品ページをNFT化して販売するというニュースで話題になった作品だが、正直なところいまいち没頭できない自分がいる。その原因が何なのか漠然と考えていたところ、若干の時代遅れ感を感じさせることだと気づいたのはコミックス第1巻を2、3度読み直してようやくだった。
Person of Interest(以下POI)の方が古いはずなのに
"ノストラ"が描いているものって、AIや情報化社会のことだと思うのだが、そう考えると真っ先に思いつくのが「Person of Interest」だ。「Person of Interest」とは『ダークナイト』のジョナサン・ノーランと、「LOST」シリーズなどを手がけたJ・J・エイブラムスがタッグを組んで制作した海外ドラマで、元CIA工作員と天才プログラマーが、犯罪予知システムを使って末来に起こる事件に挑むクライムサスペンス、人工知能(Artificial ntelligence)による国民監視を主題にした物語だ。POIで語られていたのは”AIの倫理的課題”。つまり、誰が何をプログラムし、誰が実際にそれを運用するのか、といった問題を主軸にテロ、サイバーアタック、ビッグデータなど、現在進行形で話題になっているような題材を扱っており、今後起こり得る未来を的確に描いて見せた物語だったように思う。
私が"ノストラ"を若干古いと感じてしまった要因として、数年前に完結したPOIで扱われていたテーマを今また同じ様に扱っているように見えること(単に私の考えが浅い恐れもある)、そして「ノストラ」という平成の世紀末に私たちをザワつかせた恐怖の大王をネーミングに使用していることも影響しているように思う。しかしそんなことは表面的なことであって、もっと重要なのは勿論その作品の中身にあったように思うので、その点について触れていきたい。
トロッコ問題への回答
"ノストラ"に期待していることの1つ目として、トロッコ問題へどう回答していくのか?ということがある。「大多数の安全や幸福のためには、少数の犠牲はやむをえないのか?」と言う政治哲学上の命題が、POIの中では繰り返し語られていた。そして本作品"ノストラ"が描こうとしているものも、基本的にはPOIと同じであるように思っている。「大多数の生命か、少数の生命か」どちらかを選択せざるを得ない場合、誰が・どんな基準でその選択を実行するのか?という問題が浮き彫りになる。主人公の神谷迅(カミヤ ジン)は警視庁の組織である「未発生事件対策課」という組織に所属しているが、彼個人の善悪が判断基準になるのか、はたまた警察組織としての判断が優先されるのか。普通に考えれば個人ではなく組織としての判断が優先されるだろうが、本件が複雑になり得るのは、神谷迅以外には未来予測量子コンピューター「ノストラ」と会話できないのであって、そのやり取りは外野にとってはブラックボックス化したものとなっている。そのため最終的には彼の判断こそが重要になり、独断的に選択実行することも可能かもしれないという事情がある。
この時、神谷迅は"どういった価値判断で選択をしていくのか"ということが問題になる。誰かの"正義"が誰かの"不正義"となり、誰かの"善"は誰かの"悪"になってしまうような複雑さと困難さを抱えているのが、我々が住む現代世界だ。色々な"背景"や"経緯"や"思考"や"心理"をもった人々が関与することで予測演算の変数は膨れ上がり、未来に起こる出来事は理屈通りには動かなくなることもある。よかれと思ってやっていることが、あらぬ結末を呼び寄せてしまうようなこともあるだろう。それを引き起こしてしまうものをコンピューターでいう「バグ」と呼ぶなら、"ノストラ"においては誰が(何が)バグなのだろうか?量子コンピューター自体にバグが仕込まれているのか、あるいは神谷迅という存在がバグとして機能してしまうのか。神谷迅が単なる"ノストラ"からの命令受信機になってしまっては、全くストーリーに面白みがでないだろう。ゆえに、彼にはバグとしての役割が期待される。
現在進行中の「メタブスちゃん篇」で展開され始めているのは、メタブスちゃんを救うのか、劇場にいる大勢の観客を救うのか(その中には迅の友達もいる)という話である。そこにある逡巡と決断の繰り返しが描かれている。神谷迅は、"ノストラ"がお膳立てした2択からどちらかを選ぶことを迫られるが、"ノストラ"は選択肢を提示するだけで決定には関与しない。しかし物語が進むにつれ、次の段階として描かれていくのは人工意識(Artificial Consciousness)かもしれない。「ノストラ」がとても優秀なコンピューターAIであるならば、神谷迅が重ねた意思決定から何らかの価値判断を学び取り、自ら意思決定する人工意識を獲得するようになるだろう。そうなった時、「ノストラ」にとって神谷迅はもはや不要であり、命令受信機能と実行機能だけを持つ、まさにマシーンとしての神谷迅が必要とされるようになるだろう。「ノストラ」が神谷迅の意識を乗っ取った上で、どういう行動をしていくのか。そこに私の関心は移っていってしまう。あくまで素人読者の考えではあるが、そこに我々が見据える未来があるように思う。
こうしたテクノロジーを扱うフィクションには、SF作品のようにどれだけ新しい価値観を読者に提供できるかが期待されるものだと思う。クリストファー・ノーランを超えるようなストーリーを読ませてくれ!なんてことは言わないのだが、POIが描いたものを上書きする、そんな面白いストーリーを期待していたりする。