9時間半かけて踏破!2022後期最大の挑戦だった40kmトレランの報告
こんにちは。或るサー夫婦の「ツマ」です。
私達夫婦は2022年10月22日に開催された「ジャングルぐるぐるMAX」というトレラン大会の40kmの部に出場しました。
しかしこの大会。
「一緒に夫婦で出ようね♡」と示し合わせていたものではなく、もともとは私が5月に挑戦したウルトラマラソン(55km)大会の次の目標としてこの大会をエントリーしていたところに、つい1カ月前に突然、オットが自分も出場すると言い出して追加でエントリーをしたという経緯があります。
ウルトラマラソン完走までの道のりはこちら↓
私は一応、この大会に向けて自主強化合宿を決行したり、トレランの練習会に参加したりと準備を重ねてきましたが、オットは完全に自分の身体能力の高さと体力自慢を頼りにしているフシがありました。
ツマの強化合宿の様子↓
私ですら初めての40km挑戦で完走できるのか不安を抱いているなか、ほぼトレーニングなしで挑むオットは無謀とも言えます。
果たして彼は無事にゴールできたのか?!
I. 山は自然が作ったアスレチック
5:00 起床。
5:30には自宅を出発しました。
移動中の電車で仮眠、8:00には受付会場がある越生町の「オーパーク越生」に到着しました。
40kmの部は9:45にブリーフィング、10:00にスタートです。
私はおにぎりを1つ頬張り、フィジーカーのオットはケトジェニック(脂肪をエネルギーに変える状態)を維持するための特別メニューを口に含んで栄養を体に取り込んだり、コースに持って走るものと事務局に預ける荷物とを整理したりして、スタートまでの時間をのんびり過ごしました。
10:00
いよいよ出発です。
スタートに設置された門をくぐるとすぐにトレイルに入る階段があります。
オットが私の後ろにつき、上りはパワーウォーク、下りは飛び跳ねながらステップ良く進みます。
走りながら木の根っこや岩などの障害物を越えていくのは面白く、まるで自然が作ったアスレチックで遊んでいるようです。
オットの足取りも軽快でとても楽しそうです。
II. 正確な走行距離はいかに?
13:30(13km地点?)
二人ともスマートウォッチのワークアウトを起動させ、距離や心拍数、歩数などを計測して走行します。
しかしある地点で互いの距離カウントにズレがあることに気がつきました。
この時オットのアップルウォッチは「17km」と表示しており、私のものより4kmの誤差があります。
事務局からもらった地図はざっくりしたものなのでどちらの距離カウントが正確なのかがよく分かりませんでした。
アップルウォッチは高級品なので正確だろうとオットは主張しますが、私のHuaweiの8000円のスマートウォッチは過去幾度となくマラソン大会で正確な距離を示してくれていたので間違っているとは思えません。
自分の疲労感も「13km」くらいが妥当だろうとも思っていました。
18km地点?
私達の前を走行していた60代くらいの男性二人が座って休憩に入ったので追い抜かします。
その際に交わした会話の中で、一方の男性と私のスマートウォッチが示す距離が「18km」で一致したので、こちらが正しいだろうことが判明しました。
この時オットのアップルウォッチは「26km」を示していました。
そのため27km地点にあるエイドまであと少しだと期待していたようなので、8kmのビハインドはかなりの精神的ダメージがあったようです。
III. これはあれでナニ?
男性二人と別れてほどなくして長い上りに入りました。
今回のコースで最も標高が高い飯盛山(816km)の峠を目指します。
その途中のスイッチバックにとある銅像がありました。
これは・・・あれですよね・・・?
オットがナニを前から横からと写真を撮っていると、後続のランナーが上ってきて一瞥し「ふふっ」と笑います。
やはりこれがあれに見えているのは私達だけではない!!
でもなぜこんなところにこんなものが。
帰宅後、ネットで調べてみてもよく分かりませんでした。
IV. 勇気ある撤退
飯盛峠に向かう上りは、急こう配でこそないもののいつまでもダラダラ続いて、ランナーの足をジリジリ疲弊させていきます。
この上りの途中で、初めてオットから「休憩しよう」と言われました。
15:40(23km地点)
再びオットが休もうと言い出します。止まるやいなや地面に座り込みます。オットは持参したキャンディーチーズを2、3個頬張り、塩を多めに舐めて再び立ち上がりました。
この時は足の痛みを訴えていましたが、実は気分も良くなかったそうです。
実はオットは前日の夜、エネルギーを体に担保しようと目論んで、焼肉屋さんで大量に食べていました。
普段はフィジークの体づくりの為に徹底的な食事管理をしており、脂っこいものをとんと食べることがないので、久しぶりの大量の脂質に胃が驚いて消化不良を起こしたのかもしれません。
この時点でゴールまではまだ半分近くあります。
オットは「ゴールはできない。リタイアする。」と勇気ある撤退を決断をしました。
しかしここは山の中。
リタイアしたいと思ったときにできないのがトレランの厳しいところです。
とりあえずエイドまでのあと4kmは頑張ろうということになり、ゆっくりゆっくり歩を進めました。
25km地点
飯盛峠を越えてほぼ下り切ったところに突如、お寺が現れました。
荘厳な雰囲気が漂い、タダモノでないことが直感で分かります。
この高山不動尊は千葉の成田、東京の高幡と並ぶ関東三大不動尊の1つに数えられているそうです。
私達は山の中からこのお寺にたどり着きましたが、公式ルートには120段の階段が待ち受けています。
16:20(27km地点)
やっとの思いでエイドがある八徳自治会館に到着しました。
稲荷寿司、手作り蒸しパンとポテサラ、麦茶やスポドリ、昆布茶などが提供されていました。稲荷寿司が甘くて疲れた体に沁みました。
しかし私は残り時間が気になります。
40kmの部の制限時間である20:00まではあと3時間半。
ここまでの道のりは、後半こそ不調のオットに付き添い若干スローダウンしましたが、前半の快走時は10キロ2時間強ペース。
残りは13kmなのでおそらく制限時間内にゴールできるだろうと見込み、ここでリタイアするオットと別れて完走を目指すことにしました。
V. 歴史との出会い
オットと別れ、エイドを出発して再びトレイルに入ると、薄暗くなっていました。15分ほどしてヘッドライトを点灯させました。
17:00(29km地点)
顔振峠に到着。見晴らしがよく、素晴らしい展望です。
顔振峠というのはその昔、源義経が兄・頼朝の追手から逃げているさなかにここを通過し、ここから見える景色があまりに美しいので何度も振り返って見た、という伝説に由来しています。
この顔振峠には「平九郎茶屋」という立派な建物がありました。
ここにも興味深い言われがあります。
埼玉県が生んだ傑物・渋沢栄一には「平九郎」という養子がいました。
平九郎は幕末に彰義隊に加わり、飯能戦争で新政府軍と戦いましたが半日で敗北。逃げているさなかに草履を求めて茶屋に寄り、お礼に刀を渡して峠を下ったそうです。
この平九郎が訪ねたのが現在の「平九郎茶屋」。
今の店主のおばあさまが店主だった時代のお話だそうです。
詳しくは以下リンクより。
茶屋を後にした平九郎は残念ながら官軍に見つかり自死します。享年22歳。
ジャニーズにいそうなイケメンで歴女に人気なのだそうです。
VI. 道はどこ?そして長旅のゴール
トレランのコースは道案内のサインこそ設置されていますが、コースそのものは手つかずの自然です。
それこそがトレランの魅力でもありますが、時には危険が伴います。
たとえば次の写真。
道案内の点滅灯はありますが道が見当たりません。
そう、この草をかき分けて前に進むのです!
18:00(33km地点)
エイドを出発して1時間半ほどで6km進んだので、このままいけばゴールは19:30頃だろうと目星をつけ、先にタクシーでゴール地点に引き返したオットにLINEを送ります。
そして19:30。
9時間半走り続け、40kmの山道を踏破しました!!!
オットと合流し、パワーエイドでカレーとグレープフルーツを頂きます。
今回の大会は40kmの部だけでなく、2周(80km)、3周(120km)、4周(160km)の部があり、既に日が落ちた暗闇の山中に再び歩を進める選手たちが大勢いました。
トレラン界はサイコーにクレイジーで、サイコーにおもろい。
ツマの私はすっかりその魅力に憑りつかれたようです。
一方オットはというと、スポーツでは常に人よりも優秀であり続けた彼だけに今回のリタイアにはかなりガツンときたようです(挫折というやつです)。
一度は「もうトレランはやらない。」と言っていましたが「トレランでの雪辱はトレランでしか拭えない。」と奮起し、半年後に同じ程度レベルの大会に再チャレンジしようと誓いました。
私達の冒険はまだまだ続きます。