舞台「サイコパス」から考える哲学
舞台「サイコパス」の感想
舞台「 PSYCHO-PASS サイコパス Virtue and Vice」がアマゾンプライムおよびdアニメで公開がはじまった。
そこで、今回のブログでは舞台「サイコパス」の感想を哲学的視点に立ちつつ書きたい。既に私のブログで同内容で配信しているが、Noteでは加筆して内容を改めている。これから観る!という方はネタバレが含まれるため、回れ右して頂ければと思う。
物語のあらすじ
シビュラシステムによって、人々の精神状態が数値が出来る「犯罪係数」によって人を裁くことが出来る近未来のお話し。アニメは「サイコパスシリーズ」として放送されていて、劇場版は今年1月に放映された。今回の舞台は、原作のスピンオフ的なポジション。主役はエリート警察官・九泉晴人(くえんはると)。その相方は嘉納(かのう)だ。
九泉晴人の生い立ち
九泉は、公安局刑事課第三係のリエリート監視員。就任直後、母親が犯罪係数が高いため自らのドミネーター(銃)でころ している。人間のあらゆる心理状態や性格を数値化する「シビュラシステム」の信者であり、融通が利かない。しかし、相方の嘉納は温厚の性格で、九泉のフォロー役的なポジション。ある意味お互いの足りないところを補う最高なバディ。
哲学的ゾンビがキーワード
物語は、哲学的ゾンビたちが暴走する奇妙事件を解明するために、嘉納と執行官たちがとタッグを組んで事件解明のために尽力する。この哲学のゾンビ(Philosophical Zombie)が物語のキーワードになる。なお、哲学のゾンビとは、オーストラリアの哲学者・デイヴィッド チャーマーズによって提言された思想実験である。
ふつうの人間にみえるけど、じつは意識(クオリア)が無い人間を指す
(https://hoshimi12.com/?p=15672「哲学的ゾンビを分かりやすく説明したい」より引用)
上記の様に哲学的ゾンビは定義づけられている。
物語では、哲学的ゾンビが何者かによって増産され、九泉の仲間の執行官が次々と亡くなってしまう。しかし、実は仲間の公安局の誰かがが情報をテロリストたちにリークしていた。
主人公は哲学的ゾンビだった
ネタバレをしてしまうと、情報をリークしていたのは主人公の相方嘉納だった。また、驚くことに主人公が哲学のゾンビというオチ。
つまり、九泉は、シビュラシステムによって情報をうえつけられ、管理されていた人為的な存在だった。そのことに疑問を持っていた嘉納がテロリストたちに情報をリークしていのだ。
九泉に身バレした嘉納は、九泉を自分の一派になることを勧める。しかし、それを九泉が拒否し、ドミネーターでお互いを打ち合い、最後のシーンは終わる。
結論から考えるソクラテス的価値
最後のシーンで印象深いのは、「考え続けることが人間だ」と九泉が答えるセリフ。この言葉は思想家のジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill)の言葉を文字っているのではないかと管理人は思う。
満足な豚であるより、不満足な人間である方が良い。それと同じように、満足な愚者であるより、不満足なソクラテスである方が良い。
(https://information-station.xyz/5322.html「TANTANの雑学と哲学の話」)
十分な餌を与えられ肥え太った豚が何頭いても、飢えてやせ細っても思考することを辞めない一人の人間の価値に満たないという話。
つまり、考えもがき続ける九泉はたとえ「哲学的ゾンビ」という傀儡であっても本質的な意味では人間だったのだと思う。
おわりに
舞台「サイコパス」には現代の技術の発展による闇について考えさせられるのと同時に、哲学思想にも言及しているのが面白かった。現代に生きる我々に向けてのメッセージとして、私も日々大切に生きていきたいな、と思った。
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