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アクションラーニングのはじまりは、薩摩藩だったのかも

こんにちは、秋山です。
三連休は鹿児島に住む親友に会いに行ってきました。芋焼酎をしこたま飲んで、絶賛二日酔い中です。

二日酔いに最高だったカレー

鹿児島といえば、指宿の砂風呂、桜島などなど。観光名所がたくさんありますが、今回のお目当てはなんといっても「維新ふるさと館」


雨で灰が流されて岩肌くっきりの桜島

鹿児島は、維新の三傑の西郷隆盛、大久保利通の出身地。そして島津藩が始めた、郷中教育(ごじゅうきょういく)のはじまりの場所です。

郷中教育とは?

幕末の倒幕運動で大きな役割を果たした薩摩藩。江戸時代から郷中教育という、独自の教育が行われ、人材育成に取り組んでいました。

薩摩藩に見られた独特の社会教育の機会に「郷中(ごじゅう)教育」がある。同じ地域に住む武士の子どもたちが、ともに心身の鍛錬と学習に励み、地域の年長者が目下の者を指導する仕組みだった。郷中を構成するのは6歳から24、25歳までの男子で、年齢によって小稚児(こちご)(7~10歳)、長(おせ)稚児(11~14、15歳)、二才(にせ)(長稚児の上)と区分されていた。二才は24、25歳になると長老(おせんし)と呼ばれ、郷中を離れ、結婚したり役職についたりした。

https://www.sentankyo.jp/articles/829ecc3e-e2e6-446b-8474-960b818136f8

郷中教育では、日ごろから答えのない問題について議論を行い、武士としての心得や、判断力を身につけていました。まさに、アクションラーニングのはしりです。

この討論のことを、郷中教育では、詮議(せんぎ)と呼んでいました。詮議の場では、まず稚児に向かって問いが出され、稚児が答えられなければ二才が指導し、その指導が適切でなければ長老が訂正していきます。お互いに教え合うことで、実践的な知恵を身につけていきました。

郷中教育は、ボーイスカウトの参考にもなっている

薩英戦争で日本志士の活躍ぶりをみたイギリスは、その教育方法に着目し、ボーイスカウトに取り入れたといいます。アクションラーニングのはじまりは、レグ・レバンスだといわれていますが、実は日本にも独自のアクションラーニングが根付いていたといえるのではないでしょうか。

参考:薩摩の郷中教育とボーイスカウト

桜島いえーい
桜島の灰を使った陶芸の窯元と


またくるぞ、鹿児島!


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