見出し画像

数学と文学から、愛について考える(「博士の愛した数式」を読んだ感想文)


ハロー、u子です。

「博士の愛した数式」(小川洋子/新潮社文庫)を読みました。

読了直後は、イイ話だったな~という程度の感想でした。
数学者である藤原正彦さんの解説を読んで、さらにイイな~と思えました。

そして、出てきた数式について調べたり関係性が見えてきたとき、あまりにも面白くて心が飛び跳ねました。

これぞ、良質な読書"体験"。
この体験を誰かとシェアしたいのでnoteを書きます。


ここから先、容赦なくネタバレ?しますのでご注意ください。





◆ネーミングセンスについて

著者のネーミングセンスが天才だ……!と気付いた話です。


永遠に愛するNへ捧ぐ あなたが忘れてはならない者より

「博士の愛した数式」p.246

事故の後遺症により、事故以降のことは80分経つと忘れてしまう博士。
その博士が事故以前に書き上げた論文に書かれていた一文。
博士と、義姉(=N)との関係性が明らかになるシーンです。

ここで、登場人物を整理します。
・私(家政婦)
・ルート(私の息子)
・博士
・義姉(=N)

Nは、数学で「自然数」を表します。
自然数とは整数のことで、普段私たちが使っている目に見える数字です。

主人公である「私」の名前が明かされることはなくストーリーは終わります。どうして明かされなかったのか?
それは、私=I=i(虚数)だからです。

虚数iは、自然数Nに対して目に見えない数字。
博士の記憶の中で、事故以前から親しかった義姉Nは存在します。
事故以降に出会った私iは、存在しないものになってしまいます。

ルート=√は、虚数iを存在させるために必要な記号です。
本書内でも博士にそう言及されているシーンがありました。

子どもを大切にする博士。
ルートがいるおかげで、博士にとって私iが存在するものになる。
そのようなイメージでしょうか。


すべてまとめると、
・義姉Nは、博士の記憶に実在するもの
・虚数iの私は、存在しないようなもの
・私の息子√は、私を存在させてくれるもの

このネーミングセンス。気づいたときは小躍りしました。
きっと著者も思いついたときに鳥肌立ったんじゃないかな~なんて。



◆オイラーの等式について

重要なシーンで博士が書いたオイラーの等式《eiπ + 1 = 0》

主人公の私と、義姉が言い争っているシーン。
博士がケンカを仲裁するため、メモ帳に書いたのがこの数式でした。

彼女の瞳から少しずつ動揺や冷淡さや疑いが消えてゆくのが分かった。数式の美しさを正しく理解している人の目だと思った。

「博士の愛した数式」p.187

この数式のおかげで主人公の私と義姉は和解。
主人公の私が、義姉=Nだと確信するシーンでもあります。


世界一美しい数式と言われるオイラーの等式《eiπ + 1 = 0》について。

何がすごいのかと言うと、独立した存在だと思われていたもの(オイラー数・円周率・虚数)が相互に関係していることが明らかになったこと。
しかも、こんな簡単な数式で表せるとは!ということで世界一美しいと言われているようです。

主人公・博士・義姉。
それぞれ血縁関係はない、独立した存在です。
だけど、それぞれが関係しあって美しい等式を成すことはできる。そのような比喩だと感じました。

愛とか平和とかって難しく考えがちだけど、実はこれぐらいシンプルでいいんだよなぁ。
それを数式から学ぶとはね。


さらにオイラーの等式について調べてみると、電気工学の分野でも用いられるそうです。

そう、主人公の私が過去に愛した男性(ルートの父親)は、電気工学を専攻する大学生でした。

私を魅了した、電気工学についての神秘的な知識は何の役にも立たず、彼はただの愚かな男になって、私の前から姿を消した。

「博士の愛した数式」p.53

この語り口、めちゃくちゃ残念な男だなって思ったんですけど、のちに表彰されて新聞に載る成果を残したという描写があってよかったです。

電気工学で虚数i(存在しない数字)を使用することなんかあるんだ……と驚きました。
私iと息子√の存在が電気工学の彼にも必要だったんだな、と気付けて少し救われましたね。よかった。



「博士の愛した数式」には色んな仕掛けがあって、それが分かったときの気持ちよさ。まさに体験でした。
数学の問題が解けたときに似ているなぁとも思いました。

文学は、正解・不正解がなくて、それがいいところ。
数学だって、まだ分かっていないだけで本当は不正解かもしれないこともある。

そういうグレーもカラーも、愛せるようになりたいですね。


おしまい。

この記事が参加している募集