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美術品を観る時間を増やすこと(「常設展示室」を読んだ感想文)
ハロー、u子です。
芸術鑑賞をしたくなる、秋にピッタリな本を読みました。
自分を客観視できたらいいのに、とたびたび思う。
メタ認知、第三者視点、俯瞰、離見の見……様々な表現でビジネス書の表紙で見かけることも多い。
数年前、後輩から相談されたことがあった。「どうしたらメタ認知が出来るのか」と。
当時のわたしは「分からん」としか言えなかったし、「すべてが見えているわけではないと分かっているだけマシ」というソクラテスぶった(?)回答で濁した。残念。
世阿弥の「花鏡」は読んでいた。客観視が重要であることは分かってた。
しかし、客観視する具体的な方法は分かっていなかった。
あのときのわたしが「常設展示室」(原田マハ/新潮文庫)を読んでいれば、もう少しマシな回答ができたかもしれない。
この短編集の主人公たちは、絵画が好き。
そしてもれなく目の前のことに多忙を極めている。
絵画を鑑賞するとき、一歩離れてみると違った印象を受けることがある。
無我夢中だった自分の人生を一歩引いて見て、ハッとする主人公たち。
この対比がストーリーの背骨となり、物語を立たせている。
過去を振り返るとき、自然と第三者視点になれていることが多い。
一度、止まってみることは大切。とにかく忙しい主人公だってこう言ってた。
さびしさを感じる余裕が、自分にはまったくなかったのだ。
p.74「デルフトの眺望」より
立ち止まる時間もなければ、客観視も難しい。
「さびしい」ことにも気付けないなんて。こんなにさびしい人生があるか?
芸術鑑賞はこの振り返りの時間をくれる。対話で引き留めてくれる。
常設展示室はずっとそこに、ある。
天から今の自分を把握したい。それは難しい。
それが出来たとして、大切なことが米粒より小さくて見えなくなるかもしれない。
絵画を観るように、一歩だけ下がってみることぐらいなら出来るかも。それが日々の、週次の、月次の振り返りの積み重ね。
それは普段から絵画に触れていて、一歩引いて観てみる経験があって成立することなのかもしれない。
こうして、猛烈に美術館へ行きたくなった。
おしまい。