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『カラマーゾフの兄弟』をもう一度読む


中学生の頃に一度読んだきりの『カラマーゾフの兄弟』。
教師から勧められ、精一杯の背伸びをして読んだこの長編小説を、
いつの日かもう一度読みたい、と思い続けてきた。

しかし、全四部、プラスエピローグというボリュームに、
なかなかスタートが切れない。
「今年こそ……」という思いが
「ああ、今年も読まなかった」という嘆きに変わるー
そんなことを何度繰り返してきたことだろう。

時は容赦なく流れ、季節が代わり、また新しい年がくる。
私の人生の、残りの時間があとどれ位あるのか分からないけれど、
時計は止まってくれないのだし、
いつまでも「未読」のままにしておく訳にはいかない。



今年の3月、私はこんな記事を投稿した。
タイトルは「村上春樹が『カラマーゾフの兄弟』を語るとき」。

この記事の最後にはこう書いた。

ドストエフスキー作『カラマーゾフの兄弟』は、いつか読もうと思う。
「読破したことのある人」になりたい、それだけでなく。

このときは、今年こそ読もう、と心に決めていた。

しかし、
もたもたしているうちに12月がやってきてしまい、
タイム・リミットとなる。
ついに『カラマーゾフの兄弟』を読む時が来た。


いざ読もうという段になり、
翻訳者の選択に迷った。

私が中学生の頃に国語教師から借りて読んだのは原卓也訳
しかしあまりにも昔のことで、ストーリーと共に文体も何も覚えていない。
中学生の頃の辛い思い出と冷や汗だけは鮮やかに蘇るというのに。

結局、亀山郁夫訳江川卓訳かの2択となり、
迷った末、亀山訳を選択した。
亀山郁夫氏については、著書『新釈カラマーゾフの兄弟』を読み、その内容にはあまり良い印象を持たなかったものの、文章は読みやすいと感じていた。

加えて、
亀山訳は、複雑な人名を分かりやすく整理してあり、人名が出てくるたびにブレーキがかかる、というロシア文学の壁ともいえる難点をクリアーしている。その点が最も大きな魅力だった。

ドストエフスキー作『カラマーゾフの兄弟』
亀山郁夫訳、
エピローグ付き全四部。

第一部を読み始める。


もっともわたしは、こんなくそ面白くもない曖昧模糊とした説明にかまけず、序文なしでいきなり話を始めてもよかったのだ。
ひとは気に入れば、最後まできちんと読みとおしてくれるだろうから


『カラマーゾフの兄弟』序文 「著者より」から抜粋

著者ドストエフスキーからの挑戦状の様にも思えるこの序文。
僅か5ページのこの序文はシニカルで謎めいて、ゾクゾクする程魅力的だ。

もちろん、私はこの小説を、「最後まできちんと読みとおす」つもりだ。
所々、行きつ戻りつを繰り返すかもしれない。

来春、節分の頃には読了できるだろうか?