大菩薩嶺を登る。タムロン90mmマクロとトイカメラpapershootともに
湿度が纏わりつく季節になり、なんだか下界を離れたくなった。
少しでも涼しい風が吹く場所へ。稜線に出てしまえばと気付き、車を走らせる金曜深夜は衝動の塊だ。
日本百名山のひとつである大菩薩嶺は、初心者から気軽に登れる山である。初夏のとある週末、2台のカメラとともに心地良さげなハイキングへ出かけたので、写真とともにその記録を綴る。
持参した撮影機材をざっくり紹介
ともに山へ出かけた機材を紹介する。ざっくり言えば、一眼レフとトイカメラの2種類である。
一眼ボディは長年愛用する(そしてまだまだ壊れない!)CANON EOS Kiss X8iだが、今回はそこにタムロンの90mm中望遠マクロを装着して、ちょっと特別仕様にしてみた。わくわく!
TAMROM 90mmマクロレンズ F2.8
タムロン90mmマクロレンズは、登場から45年を超えるロングセラーシリーズで、「タムキュー」の愛称でも知られる銘玉だ。
美しいボケ味とシャープな描写が持ち味で、長年のカメラファンから愛され、進化を続けている。
なぜタムキューを手にしたくなったのか、という初期衝動は忘れてしまったが(確かマクロレンズが欲しくて、だった気もする)、調べれば調べるほど素敵なレンズだと感じ中古で購入した。
一般レンズでは撮影できないマクロの醍醐味はもちろん、ポートレートを引き立てるボケ味もよい。本体のキヤノンらしい肌色の鮮やかさと組み合わせれば、人物写真も良い感じに撮影できる。
素人の私がタムキューを語るより、公式HPにはその変遷が分かる素晴らしいページがあるため、気になる方はぜひチェックいただきたい。欲しくなること間違いなし! 沼の底で待っているよ。
papershoot
台湾発のトイカメラ「papershoot」は、すっかりお出かけのお供として定着した。
いとらうたしなデザイン、フォルム、そして撮って出しの面白さが魅力で、胸ポケットにも入るサイズ感もこりゃまた良い。
▶筆者がpapershootを購入したときの叫び(記録)↓
2023年個人的に買って良かったものランキングで、トップ3にランクインした実力派ガジェットであり、私はコイツをもう手放せない。
あくまでもデジタルカメラ、データ保存はSDカード、データはPCやタブレットと接続しない限り見られないアナログ仕様、スイッチで選べる4つのWB等、と特徴満載のトイカメラとなっており、語り出すと終電を逃したあとの駄弁り程度には長くなってしまうので割愛する。
「どんな写真が撮れるのか見てみたい〜!」という方はぜひこちらも。沼の底で待っているよ。
大菩薩嶺とは
大菩薩嶺は山梨県の東に位置する標高2057mの山だ。首都圏からもアクセスが良く、日帰り登山にもぴったり。この山最大の特徴は、気軽に稜線歩きを楽しめることだろう。
大菩薩嶺の山頂は木々に覆われあっけないのが面白い。とりあえず無感情でピークハントをし、その後に待ち受ける稜線歩きに向けて気持ちを高めるのがおすすめだ。
数年前に雨の中、同ルートにて大菩薩嶺を歩いたが、幻想的でそれはそれは素晴らしかった。ガスの向こうに時折見える南アルプスの山々、続く稜線、あの世のような賽の河原。だが、同時に思ったのだ。「晴天時にもう一度歩きたい」と。
数年越しの願いを経て、舞い戻ってきたのが今回である。前回は雨予報だったこともあり、撮影などほぼできずに超速で下山した。だが、今回こそは!ゆったりのんびり愉快に登るぞ!!という想いを胸に、2台のカメラとトレイルに踏み入れた。
タムキューが描く大菩薩嶺
タムキューが映す大菩薩嶺をひと言で表すならば、生命の躍動だ。これまで見逃していた何気ない動植物にいちいち足を止め、撮影したくなる。
一方、中望遠ということもあり遠景の撮影は少々苦手。画角が狭く「あっそうなんですね〜」という謎写真を量産してしまった。
「山ではひたすらマクロを楽しむべし」と気付き、ようやくブーストがかかった。見つけようじゃないか、命の営みを…!
山×マクロレンズがここまで面白いとは……。想像以上に撮影に時間を費やしてしまったため、非常にゆっくりペースのハイキングになってしまったが、これもまた良かろう。
これまで、樹林帯を見上げたり、遠くの峰に目を奪われたり、雄大なものばかりみていた。
マクロレンズは、その視野を一変させる。
小さな営みが、あちこちで蠢いていること。自然物の調和が生み出す奇っ怪な情景が広がっていること。それを教えてくれたのが、このレンズだ。
papershootが描く大菩薩嶺
だが、やはり広々とした画も撮りたい。そこで活躍したのがpapershootである。
撮影した写真はすぐに確認できない、ピントは近くの被写体には合わない、これまでの経験を経て知ったpapershootの特性はこの2点。
そのため、ハッと心が揺れる広い情景と出会ったら漏れなくシャッターを押してみた。
このカメラに連写は似合わない。じっくり構図を考えて、ここだと思った瞬間にシャッターを押し込む。スナイパーのように時を切り取る。
だから、これらの写真を撮ったときの気温や風、気持ちを未だに覚えている。それがpapershootの良いところ。
カメラの目、わたしの目。異なるレンズが映す世界
「見えている景色はみんな同じなのか」というのが、子どものころから不思議だった。
例えば同じ遠足に行ったとしても、印象に残る景色や出来事は人によって違う。「みんな違ってみんな良い」という標語はもちろん理解できるが、それじゃあなぜ? という疑問は解けずじまいだった。
ただ、人生というものを続けながら、カメラ機材というものを知ると、なんとなく長年感じていた謎が咀嚼されていくような感覚がある。
カメラレンズや機材には前提として映し出せる限界のスペックがあり、得意な画角や被写体がある。仮にこれを客観的な事実としよう。
もちろん人間の目にも映し出せる限界があるが、それ以上に経験、好みといった主観性が記憶に刻み込む絵を左右する。それがその人らしさや個性なのだとしたら、なんとなく合点がいく。
レンズやカメラ本体、各種設定、被写体、構図、シャッターを切るタイミングなどの客観的要素を、内に秘めた主観性とやらが取り決め、1枚の絵を作っているのだろうなあ。とすると、カメラはその人の目に映る擬似的な世界を描いてくれるツールなのかもなあ。
正解も不正解もない、ぬるま湯のような思考を漂いつつ、この記録をおしまいにする。