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離乳食の始まりは赤ちゃん期後半のサインだった

9月中旬から離乳食が始まった。
ゆっくりそのうちと思っていたけど、本人は食への興味が高いらしく、私たちの食事をじーっと見るようになり、申し訳なくて生後5ヶ月に入ってすぐに始めることにした。

準備のあいだ、正直本を読んでも教室に行ってもネットの記事を見てもイメージが湧かなくて、最終的には「10倍がゆをレシピ通り作れれば、あとは勢いでなんとかなるでしょう!」と、エイヤーで進むことにした。

テンション上がって買ったル・クルーゼのベビー皿、すごく可愛いけど使いにくい。

この準備期間のインプットが個人的には混乱を増長させた。
今まで全くやったことがない作業のため、知識を入れてもスッキリしないし、人に教えてもらってもスッキリしないのだ(もちろん具体的な疑問点はスッキリしたけど)。

しかも離乳食で最初に作る10倍がゆというのは、炊飯器やレンジ、鍋など色んなアイテムで作ることができる。
さらに言うと、米からもご飯からも作れる。つまり作り方は無限大なのだが、本には「お米から鍋でお粥を作りましょう〜」と、めっちゃ手のかかるタイプのレシプが乗っていたりする。

走り出した今となっては、「ごはんがやわやわになって、粒感も取れていればやり方はなんでもいいのよね」ということが分かるのだけど、始まる前は「これで正解かな??」という真面目思考が発動して結構しんどかった。

母親のオロオロなんて気にしないくらい、よく食べる!たのもしい。

そんなわけで、ずっとオロオロしながら準備をしていたのだけど、そのオロオロは“分からないことが分からない”という混乱とあわせて、寂しさもあったことが後でわった。

離乳食をはじめることで、赤ちゃんから幼児へのステップアップが始まると感じ、寂しさとスピード感にオロオロしていたのだ。


ちょうどこの頃、急に気温が下がる日があった。慌ててもらいものの秋冬物を着せてみたら、人生初の上下別の洋服で、「いつのまにか“男の子”がいる!」と、びっくりした。

昨日までロンパースを履いてバブバブ言っていた我が赤ちゃんは、ちゃんと子ども服を着て凛々しいではないか。支えられながらも、二足歩行への欲求をアピールしているではないか。

なんかもう赤ちゃんじゃなくて、子どもじゃん!

お、おぬし、いつのまにそんな大きくなっ……いかないでーーーーー泣

「めっちゃ可愛いじゃん!」と、表面上は喜んでみたけど、私の本音はかなり寂しかった。
赤ちゃんの息子がいなくなってしまったみたいで、可愛いんだけど可愛くない、みたいな気持ちになった。

「子育てはあっという間」は耳タコだけど、“赤ちゃん”って漠然と2年くらい続くのかなーと思っていた。でも冷静に考えれば「赤ちゃん」と呼ばれる時期は、いわゆる新生児から乳児をさすわけで、乳児の定義は一般的に満1歳までだという。つまり、あと半年で我が息子は赤ちゃん卒業なのだ。

そう考えると、離乳食というのは赤ちゃん期後半のスタート合図なんだろうな。別にだからといって育児が楽になるわけじゃないし、なんなら離乳食が始まったり自我も体も成長したりして、さらに大変さも増す気がする。

でも、なにも出来ずにママやパパを頼りきりの息子は、1日1日いなくなっていく。
そう思ったら、やっぱり今はまだ寂しい。

こういう複雑に入り混じった感情が、子育て中は今後も続くのかな。そう思うと、40年近く生きてきても、経験してないことって、まだまだ沢山あって楽しいなと思うのであった。

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