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息子が私の手を離れる日

先日、上の息子が初めてストライダーに乗りたいと言い出した。
2歳の誕生日に買ってはみたものの、本人が怖いと言って全く乗らず、数ヶ月間お蔵入りになってたアイテムだ。

※ストライダーとは、足で地面を蹴って進むランニングバイクのこと。平坦な道ならスピードが出過ぎたりすることがないので、小さい子でも乗れるのが自転車との違い。



そこから4ヶ月。突然「自転車乗りたい」と言い出し、急遽練習が始まった。


親の支えを頼りに、足で蹴る。蹴る。ころぶ。また蹴る。蹴る。蹴る。

真剣な眼差しで地面を見ながら、足をバタバタと動かす息子。
だんだん慣れてくると、支えは必要ながらも、あっという間に遠くに移動しているではないか。

それを見て、ふと、
「あ、この子は遠くにいっちゃう存在なんだ」
と当たり前の事実が胸がズシンときて、重くなる。

急に彼の成長と、その先にある自立が、ありありと感じられ、嬉しさ以上に、急激に寂しくなってしまった。


この感覚は、人生で2回目だ。
息子が5ヶ月のとき、初めて、Tシャツとズボンを着用したときも、赤ちゃんから子どもへの変化を感じ、急に寂しく不安になったものだ。

これが2年前だと...大人は見た目も中身も、ほとんど変わっていないというのに。



とはいえ、もちろんこの時も今も、子どもの成長は嬉しい。

嬉しいんだけど、想定を超える成長スピードは、嬉しいよりも寂しさが上回ってしまうときがある。


子育てをしていると、こういう「嬉しい」と「寂しい」みたいな、相反する大きい気持ちが混ざり合い、波のように押し寄せる瞬間が良くあるように思う。

それはどうする事もできないモノなので、
幸せは味わい、悲しい気持ちも味わって、消化されるのを待つだけだ。

こういう複雑で割り切れない感情体験を重ねることは、気持ちいいとは言えない。
けれど、この感情体験の積み重ねが、”人としての厚み”みたいなものにも繋がっている気がするし、子育てにおける醍醐味の1つなのかもしれない。


そんなことを考えながら、息子の小さかった頃の写真を眺める。
あと、何年カメラに無邪気に収まってくれるのだろうか。
いけない。また可愛さと幸せと寂しさが溢れてくる。

おおしまりえの本業は、恋愛ジャーナリストでコラムニスト、恋愛コーチです。現在公式LINEでは、noteに書ききれない情報や、恋愛コーチングの申し込みをお受けしています。まずはお友だち登録をお願いします。

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