大澤正彦先生の著書『じぶんの話をしよう』を読んでから、自分の話でもするか。と思い、noteを書いています。正確にいうと仕事からの現実逃避ですが、ポジティブな動機づけがあるほうが大人っぽいと思う所存です。 というわけで、自分の話をするのですが。私は、お世辞にも「良い環境で育った」とはいえない人間です。自分の話をすると「よく今まで生きて来れたね」といわれます。 もちろん、当時の私はガラケーをパケ死させたり不登校になってみたりとろくでもないクソガキでした。そのせいで、たくさん親
私の両親は7歳のときに離婚しました。しかし、当時の私はときめく小学1年生。5時間目の算数で意識を飛ばして必死にプリントを埋めていたプリティな私には、離婚の意味が理解できませんでした。 その意味が理解できたのは、小学校4年生になってからで、もう父とは暮らせない事実に気づいて泣き腫らしたのを思い出せます。 そう、私はよわい7歳にして「母親と父親どちらについて行くか」を選択しなければいけなかったのです。 これ、当事者からするとめちゃくちゃ残酷ですよ。だって、離婚の意味すらわか
離婚直前のころに、私の両親はエグめの喧嘩をしていました。怒鳴る母親がオロナインの容器を壁に投げつけ、机の下で震える私たちきょうだいの近くに転がってきました。 ちなみに、中身が散らばるほどの威力だったので1番怖くてトラウマになっているだけで、実際にはさまざまな物が寝室を飛び交っていました。 母親がキレるタイミングで「2人で机の下に隠れなさい」と父から指示されたような気がします。 こんなの今やったら単純に虐待なので、児童相談所の職員がやって来ますね。そう、子どもに大人の喧嘩
まず、私は親に望まれて産まれた子どもではなく、うっかりできたから産まれただけの存在です。 そのため、割とえげつないネグレクトを受けて育ちました。 どれくらいかというと、小学1年生まで実母のことを「家にいる怖い人」だと認識していた程度です。 「ママ」と呼ばないと返事をしてもらえないので、「ママ」という単語は知っていました。しかし、それが自分の母親を指す言葉であることは認識できていませんでした。 「騒ぐと怒鳴られるので、この人がいるときは気をつけないといけない」 というのが、私に
共通言語について考えるとき、私はいつも『金魚屋古書店』というマンガを思い出します。 『金魚屋古書店』では、登場キャラクターが自分と同じ作品を読んでいて同じレベルで語れることを「共通言語」と表現していました。 共通言語を人に求めすぎると人間関係の構築に支障がでてしまい、相手にマイナスな印象を与えかねません。 しかし、上手く使う分には「共通言語」は最高の考え方だと思うのです。 私にとっての共通言語は「ドラえもん」私にとっての共通言語は「ドラえもん」です。例えば、私が愛して止まな
ライターになったけれどこれから稼げるか不安 会社を辞めたくてもフリーランスは不安定だし…… フリーランスライターになるための準備がわからない 多くの駆け出しWebライターは、こんな悩みを抱えているのではないでしょうか。 いざWebライターになってみたものの、将来が不安で仕方ない…… そんなときには、一度冷静に自分のスキルやお仕事の探し方を考えてみましょう。 私は、20代でフリーランスWebライターになって7か月目までほとんど稼げていませんでした。 そんな私でも、7