見出し画像

両親の離婚|じぶんの話をしよう④

私の両親は7歳のときに離婚しました。しかし、当時の私はときめく小学1年生。5時間目の算数で意識を飛ばして必死にプリントを埋めていたプリティな私には、離婚の意味が理解できませんでした

その意味が理解できたのは、小学校4年生になってからで、もう父とは暮らせない事実に気づいて泣き腫らしたのを思い出せます。

そう、私はよわい7歳にして「母親と父親どちらについて行くか」を選択しなければいけなかったのです。

これ、当事者からするとめちゃくちゃ残酷ですよ。だって、離婚の意味すらわからないのに「親を選べ」と迫られるんですから。

私は父親が大好きだったので、父親と暮らしたかったです。釣りを一緒にしたのも、抱き上げてくれたのも、ご飯を作ってくれたのも、父親の記憶しかありません。

私は少なからず、父親には大切にされていたのではないかと思うのです。でも、結局父親は選べませんでした。なぜなら、どうしても兄と離れたくなかったからです。

兄はきっと離婚の意味がわかっていたのでしょう。母親についていけば転校しなくても良いから母親にするのだと、吐き捨てるように話していました。

私は一緒にサバイバルな幼少期を生き延びた兄が大好きです。今はもう音信不通で、生きているのかすらわかりません。でも、兄と一緒にいるためなら、大好きな父親と一緒に暮らさない未来を選ぶほど、私にとって兄はかけがえのない存在でした。

ちなみに、当時「父親は私がついてきたら困る」と大人から言われた記憶があります。それが誰だったのかは思い出せないのですが、自分は親にとって迷惑な存在なのかと認識したのはその時がはじめてだったのかもしれません。

そんなことを経て、私は父親と離れ、これまで暮らしていた田舎での生活を選ぶことになったのです。


いいなと思ったら応援しよう!