渋沢栄一とパリ万博
皆さん、こんばんは‼︎
Oshigeです( ´ ▽ ` )
今回は、
『渋沢栄一とパリ万博』
ということでお話ししたいと思います‼︎
参考にさせていただくのは、
NHKでやっている『歴史探偵』という番組。
*画像をタッチすると、サイトに移動できます‼︎
「渋沢栄一inパリ万博」
幕末、パリで開かれた万国博覧会。
徳川幕府使節団の中に若き渋沢栄一の姿があった。
幕府が出品した幻の展示品の撮影に成功。
ライバル薩摩藩との万博バトルも徹底調査する。
(公式サイトより)
この番組を通して、
私が学んだことは2つ。
1つ目は、
『日本の美術・芸術には、
世界に通用する価値があるということ』
2つ目は、
『渋沢栄一が歴史に名を残す原点が、
パリ万博であったこと。』
『日本の美術・芸術には、
世界に通用する価値があるということ』
1867年に開催された、パリ万博。
そこは、各国が持つ技術をお披露目する場でもあり、『国家の力を示す場』でもありました。
では、日本はというと、、、
時は幕末。
15代将軍、慶喜が
「江戸幕府の力を今こそ見せつけよう‼︎」と思い、
目をつけたのが、、、、『パリ万博』です。
当時、パリ万博のために準備された数多くの伝統品は合計800点!
甲冑、絵巻物、金屏風、陶磁器、、、
ちなみに、『昆虫』も含まれていました!
理由は、フランス人の採取家が
「日本の昆虫をどうしても見たい!欲しい!」
と言ったからだそうです笑
でも、これがきっかけで「虫捕御用」という役職ができたとか、、、、。
時代の動きって、本当に面白いですよね!!
しかし、、、
ここで、大きな問題に直面します。
まさかのライバル、
薩摩藩が先にパリに乗り込んでいたのです。
し・か・も、
展示スペースの2/3は占領されていました。
ただでさえ、
初参加の日本は展示スペースが足りないのに、
幕府側の展示スペースはほとんどありませんでした。
また、薩摩の準備した品物も幕府に負けず劣らずの品々、、、。
薩摩の作品たちの何がすごいって、
『マーケティング力』です。
作品たちを"Made in SATHUMA"として世界に売り出す。
それによって、
将来的に薩摩が豊かになることを見据えていました。
今、マーケティングとセールスを学んでいる私には、すごいとしか言いようがないです、、、。
他にも、外交でも幕府は薩摩に一本取られます。
そして、1867年5月。(渋沢たちがパリに着いて、2ヶ月後)
万博では、『表彰式』が行われていました。
この『表彰式』には、ナポレオン3世など著名人が多く集まっていました。
そして、そこに姿があったのは、、、、、、
徳川幕府15代将軍 慶喜の弟である「徳川 昭武」でした。
なんと、幕府が『最優秀賞(グランプリ)』を受賞したのです!✨
和紙や漆器などの工芸品、絹製品、養蚕品が高い評価を受けました。
万博委員だけでなく、現地の新聞も幕府の展示品を高く評価しました。
『万博の展示によって、文化的交流のステップを踏んだ。』
つまり、『文明開花の仲間入り』を果たしたのです。
これがきっかけで、
現在も数多くの日本美術品がヨーロッパの美術館や博物館に所蔵さています。
そして、これらの作品が多くのヨーロッパの画家たちに衝撃を与えるのでした。
この背景を知ると、日本の美術品に対して誇りを感じませんか?
日本の美術作品は、『世界に通用するだけの価値』がある。
さらに、『世界に大きな影響力を与えた実績』がある。
私は、このことがとても重要なことだと考えています。
確かに、日本は歴史的には中国の影に隠れてきた時期がとても長いです。
美術や芸術の世界も、中国からの影響を無視することはできません。
そして、現代。
今、まさに中国の影に再び隠れようとしています。
ですが、思い出してください。
屏風一つとっても、絵画として屏風を発展させたのは日本です。
中国から伝わってきた屏風の蝶番をなくし、
絵画としての新たな価値を生み出した。
きっと、他の作品にもそれぞれエピソードがあると思います。
この『エピソード』こそ、語り継ぐべきものだと、私は考えます。
日本には、世界に通用するだけの価値のあるものがたくさんあります。
その素晴らしさを、私は伝えていきたいと思っています。
まだまだ、未熟者ですが
みなさんの心に何か残ればと思っています。
そして、
次回は2つ目の『渋沢栄一が歴史に名を残す原点が、パリ万博であったこと。』について語ろうと思います!
では、また( ´ー`)ノ