平安・鎌倉時代の「梅」
お久しぶりです‼︎
Oshigeです( ´ ▽ ` )
さっそくですが、
今回は日本の伝統文様の一つである
「梅」について、述べたいと思います‼︎
今回は、
こちらの本を参考書籍とさせていただきます。
(https://www.amazon.co.jp/すぐわかる日本の伝統文様―名品で楽しむ文様の文化-並木-誠士/dp/4808707861)
皆さん、「梅」といえば何を思い浮かべますか⁇
新春 / うぐいす / 日本絵画 / 縁起もの
などなど、、、。
ちなみに、
私は尾形光琳の『紅白梅図屏風』です‼︎笑
MOA美術館
(http://www.moaart.or.jp/events/redand-white/)
なんだか、
「日本に馴染みの深いイメージ」はありますよね‼︎
では、
日本に「梅」はいつからあるのでしょうか⁇
梅は、もともと中国原産の花木。
奈良時代のはじめに薬用植物として渡来しました。
そうです。
もともと、日本にあった植物ではなかったのです。
驚きですよね(°_°)
日本の歴史を辿っても、
やはり中国というものきっても切れない存在だと、
改めて認識します。
中国では、逆境に耐える強い木として
「人の生き方の理想」
とされてきました。
日本でも、『万葉集』にも多く詠まれるほど、
人々に愛されてきました。
縁起のいい植物として、
「松竹梅」で有名ですよね。
また、それ以外にも学問と深い関わりがあると言われています。
その理由は、
菅原道真にあります。
道真が九州の太宰府に左遷される際に詠んだという歌。
「東風(こち)吹かば
匂ひおこせよ梅の花
主なしとて春な忘れそ」
この歌にちなんで、
梅の花=学問に長けた道真の象徴
となったそうです。
(https://shokubutsuseikatsu.jp/article/column/p/3159/)
また、梅は別名「好文木(こうぶんぼく)」といい、
"学問が栄えると立派な花をつける"と伝えられています。
ここから、学問とのつながりが深いことが分かりますね。
ちなみに、平安時代。
貴族たちのあいだでは、文章の内容だけでなく
「文字の美しさ」も評価の対象でした。
これも、当時の中国(唐)における貴族の文化・教養の影響です。
日本の貴族も、たしなみとして、
『中国の「科挙」に
合格するほどの教養を身につけ』
というのが倣われたていたそうです。
(当時の科挙に合格するには、「字の美しさ」も重要な採点項目でした。)
そう考えると、
当時の日本貴族たちはすごいですよね。
教養で字を綺麗に書くなんて、
今じゃ考えらません😂
そんな『学問』というところにも、
注目が集まっていた時代。
だからこそ、
「梅」と「学問」が、菅原道真を通してつながれた
かもしれませんね。
また、菅原道真は太宰府で『国の平和と安泰』を祈り続け、「反省」をしてずっと身を慎んで清らかな生活をなさっていた
ライバルである藤原氏の恨言など、一級史料には一つも残しておられません。
"菅原道真=怨霊" というイメージもありますが、、
こういった側面から見ると、
「梅」という花が、とても素敵な花に思えますよね。
もしかすると、
梅のデザインや絵画を描いた人々の中には、
こうした道真の姿を思い浮かべる人もいたかもしれません。
そう思うと、梅が描かれた作品の見方が少し変わりますよね。
「この作者は何のために梅にしたのだろうか?」
そんな視点を持ちながら、自分なりに答えを出してみるのも面白そうです‼︎
では、また次回の投稿をお楽しみに‼︎