怪我は、ただ痛いだけなので「命の危険を乗り越えた32歳の信念」
─── 2024年1月28日
照ノ富士関、優勝おめでとうございます!
「ありがとうございます!」
休場が続いた半年間、今回は腰の怪我ということで、これまでとは違った苦労があったのではないかと思います。いかがでしょうか?
「でも病気じゃないから・・・」
怪我は、ただ痛いだけなので
波乱の大相撲3月場所も、2日目が終了!
大好きな若元春、阿武咲が良い相撲をとって2連勝!応援している碧山と若隆景、復活した伯桜鵬も2連勝(🖐🏻 ᐕ)ドスコイ
昨日は、舞の海さんの解説も良かったなぁ
大相撲がこんなにも楽しいのは
たくさんの理由があるけれど、唯一の横綱・照ノ富士関が、身体を壊しながら引っ張ってくださっているのも、大きな理由だと私は思っています。
横綱は、お相撲の中で最高位。
ただ、唯一の最高位である横綱・照ノ富士は、たくさんの怪我と病気が常に隣り合わせとなっています。昨年7月場所を最後に、今年1月までの半年間は怪我で休場。
1月に万全ではない状態で戻ってきて
なんと・・・優勝しました!とっても強かった!優勝インタビューは、当時トレンドランキングに入るほど、印象深いものでした。
怪我は、ただ痛いだけなので。
この言葉、たくさんの苦労をしている人にしか言えない言葉だ・・・。照ノ富士は、まだ32歳。かっこいいなぁ…強いなぁ…。お相撲は、観るスポーツとしても大好きだけど、続けることのメンタルを深堀りするとたくさんの学びがあり、勇気と自信しかもらわない。だからこんなにも好きなのだと、改めて感じます✨
そんな照ノ富士ですが
過去に何があったのか・・・公表されている手記をもとに綴っていきます。
悪い状況下になって、初めて見えてくるもの
糖尿病持ちの照ノ富士。
ある日、身体の痛みが止まらない・・・糖尿病だけでこんなに体が痛むだろうか。動けなくなるぐらい腰も痛い。病院は4つも回った。
すると・・・
腎臓に石ができていた上、C型肝炎まで発覚した。まだ20代、内臓はもうボロボロになっていた。
筋肉をつけるためにトレーニングをしているのに、やればやるほど筋肉が落ちていく。体中がむくんで、顔が腫れて、目が見えなくなっていく。
番付を落としたくない一心で土俵に上がるが、全く力が出ず勝てない。力が落ちることに比例し、気持ちもどんどん落ちていってしまった・・・
ついには医師にも
「このままだと、あと2~3年しか生きられませんよ」とまで言われてしまった…。俺、もう死ぬのかな・・・このとき初めて“死”を身近に意識した。気力と体力が落ちると同時に、必然的に番付も急降下していった。
「相撲を辞めたい」と伊勢ヶ濱親方に相談。すると・・・
─── 1年半かけた闘病生活が始まった。
番付を落とす(=位が落ちる)と離れる人もいた。一方で、残って変わらず応援してくれる人もいた。その人たちのために、頑張って結果を出したい。彼らは心から喜んでくれる。そういう人たちとは今後一生の付き合いになるだろう。
一生の付き合いになる大切な人。
それは、自分が悪い状況下でこそ見えてくるものだ。
大切にすべき人かどうかは、自分が良い時には分からないこと。マイナスのことを考えると、マイナスのことしか起こらない。
今は一生の仲間を見つけられる大チャンス。こんな時だからこそ、前向きになろう!
怪我は、頑張った証だからさ
─── 照ノ富士の手記
何度読んでも、感動でしかない・・・!!うわぁぁぁぁあ!こういう時、もっと照ノ富士への感動をうまく言葉で伝えられたらなぁ…!
そんなことを考えるのも楽しいくらい、照ノ富士の軌跡を見返すことは生きる希望を与えてくれるものです^^
病気といえば・・・
先月、リクルートの先輩と行ったちゃんこ屋さん。店長さんは、元十両力士でした!めっちゃ仲良くなっちゃって、番付やカレンダーまでもらっちゃって、ルンルーン🤭な私。その時の会話が印象的でした。
怪我は頑張った証
この言葉も、本気で努力した人にしか言えない言葉だ・・・。それまで人目を気にせず、小学生のようにウキウキしていた私の酔いは、一気にさめた。
アルコールなんてなくったって、店長さんの言葉に涙が出た。
私は16歳で水泳を引退。
その後、急激に筋肉が落ち、しかし10kg以上太り、その後15kgのダイエットをした。この結果、臀部に妊娠線のようなものが入ってしまってます。
結構コンプレックス・・・
いろんな病院を行ってみたけれど、もう戻らないとのこと。まぁ仕方ない、、痛いわけじゃないし…。そう思うものの、15年間コンプレックスは残ったまま昨年の冬を迎えました。
ヒーローくんとお別れし、再び ”水泳への恐怖” が芽生えてしまった私は、ジムのプールに今でも行けていません。ヒーローくんのおかげで、秋の間は行けており、その時複数の会員さんと仲良くなりました。
そのうちの1人のおばちゃんと、12月、1ヶ月ぶりに更衣室で再会!
この言葉、noteを書いている今でも泣けてくるわ・・・笑
おばちゃんの一言、すっごく嬉しかった。
溢れる涙を我慢して、おばちゃんに挨拶をし、小走りでシャワーブースにこもってたくさんの涙を流したこと、今でもすごく鮮明に覚えている。
一昨日夜、後輩の純と話し、昨日の記事は純のことを記載。
記事を見返し、真っ先に思ったのは、
「私もまたスポーツをやりたい。水泳をやりたい」でした。この1歩は、私にとってかなり大きい・・・
大相撲3月場所が終わる2週間後までの間、何かしらのアクションをおこしてみよう・・・そう思えました。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
今日は、いつも以上に起承転結から逸れまくっている文章だったと思います(笑)
思ったことを、何も考えず文字に残す。
このカタチで残したかったんだよなぁ・・・。
今日は、会社の人事異動が公表されました。私も新たな1歩を進むことになります。不安も大きいけれど、転職したかのようにガラッと雰囲気も変わることになるので、覚悟を持ちたくて「照ノ富士」のことを思い出しました。
正しくなかったかもしれない過去の自分を、否定したくない
これは、照ノ富士が言っていたことです。
良い言葉だな✨
この先の未来にどんな光が差し込むのか、それはこれからの私次第なんだなぁ。
病気と怪我を経験して、照ノ富士は1歩も2歩も、大きく成長した。怪我前はとてもやんちゃで、理不尽なことが嫌いな性格を全面に出して、よく反抗していたそう。この経験を経て、照ノ富士が言った言葉というのは・・・
何があっても、おさやちゃんはおさやちゃんだよ。
そう言ってくれたのは、
昨日noteに書いた後輩の純、元彼のヒーローくん、のりこ(母)、親友・・・その他たくさんの友達や家族、リクルートのみなさんが言ってくれました。
自分の中で、変わらないものだけ持つ
今の私には、信念が確固たるものではない気がします。信念を、より深く、固くするために、今は仕事を全力で行おうと思えました。
「黙って土俵で見返す」
照ノ富士の信念。
私もこんなことを、心の底から言える大人になれることが、目標です✨