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いちごと妖精【ショートショート】

見て!みて。
わたしにはね、
大事なものがたくさんあるの。


この妖精の世界は完成されてた。
花もある。
緑もある。
鳥はさえずり、果物もある。
陽はあたたかく、
夜は星が煌めいて、葉がそよそよと優しい音を奏でる。
1人だったけど、完成された世界だった。

寂しさもない。
悲しさもない。
妖精は「幸せ」とは何かを知らなかった。
そんな言葉なんか、なかったのだ。

つらいこと、悲しいことはないし
毎日がちゃんとキラキラしてた。
少し歩けば知らないものに出会って
新しい発見をして、妖精は毎日が満ちてた。

水辺で遊び、羽を濡らし、
乾くまで日向ぼっこする。

そんな優しい日々だった。


ある日、お日様が登るのが遅くなった。
星の煌めきが少しだけ減った。
花は、なぜか咲き誇るようになった。
散歩に出た妖精は、
いつもの道、いつもの景色なのに、
帰り道がわからなくなった。

やっと帰ったときには、家が忽然と姿を消したのだ。


「ねぇ、私のおうちはどこに行ったの?」


空を飛ぶ大きなワシが言った。
ーー大丈夫、心配ないからーー

夜にお月様が言った。
ーー気にしなくていいよ、大丈夫だからーー

花も、草も、友達みんなが言う。
ーー大丈夫だよ、大丈夫。
  心配ないよ。怖くないよ
  ほら、イチゴ好きだったでしょ?
  イチゴを食べてるうちに、
  大丈夫って思えるよーー


せっかくもらったのだから……と
妖精は
自分の顔より大きなイチゴを頬張った。
とても甘くて、甘くて、妖精の思考を溶かしてしまった。

「ねぇ、誰も答えてくれてないよ」

妖精は、みんなが思うほどバカじゃなかった。
「大丈夫だから」と言われて「うん」と返事はするものの、何ひとつ大丈夫じゃなかったのだ。
家がないこと。
日常が壊れていってることを肌で感じていた。
うまく言葉にはできなかったけど、
心で、根っこで知っていたのだ。

強すぎるイチゴの甘さは、
妖精の思考を溶かし切る。
ドロドロに、跡形もなく溶かし切ってしまったはずなのに、痕跡は残るのだ。

妖精の知らないところで、1滴ずつ疑問が落ち、少しずつ腐り疑心に変わる。

信頼していた世界。
完成された世界が、崩れ始める気がした。

夜、泣きながら眠りについた。
朝、泣きながら起きた。
寝ていても、怖い夢を見た。

妖精は
そんな経験なんて、したことがないから、
不安が押し寄せてきて、
どうしたらいいかわからなかったのだ。
それなのに、帰る家がないのだ。


妖精が泣くと森が震えた。大地も泣いた。
空も泣いた。森の仲間は震え上がった。

みんなが心配して、イチゴを持ってくるのだ。
そして、妖精の口に押し込む。

大声で、泣いてるのに、
「ほら」とイチゴを押し込むのだ。


一口かじると夢から醒めるように……
妖精はおとなしくなった。
イチゴは妖精の不安を溶かした。
悲しみを溶かした。恐怖を溶かした。
そして、思考も溶かした。


森のみんなは、妖精が泣き止むと安心してどこかに行った。
でも、妖精は知っていたのだ。
溶けてみえなくなっても、ちゃんと溜まっていることを。
見えなくなったから無くなったわけじゃなく、きちんと片付けないと大変になることを。

妖精は、肌で羽根で、心で、感じていたのだった。


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