ふんわりと、たゆたゆと。運動会もなんのその
その日の気分で、
わたしはきっとキャラが違う。
今日は、
ふんわりと、たゆたゆと
って気分。
運動会が初めて延期になった。
小学校6年間、
最後の最後なのに、
わたしは息子のかけっこも、
娘の選抜リレーも見れなかった。
悲しい?
悲しいには悲しいのだけど、
それまで天候に恵まれて、見れてたことがすごいことだったのだなぁと思う。
娘には、
「来年もリレーに選ばれてね!」と伝えたし
息子には
「ママ、たぶん、担任がビデオに撮ってくれてると思うから安心しぃや」と慰められた。
なんだろう、
息子といると
どちらが大人なのかわからなくなる。
わたしには
どうしようもないことが起こったとき、
意識して「ふんわりと」「たゆたゆと」いるようにしてる。
天気、天災、事故、地震、病気、怪我など全てにおいて、意識してる。
今日は、
「運動会が延期になって、私は見れなかった」
という
わたしにはどうしようもない出来事が起こったから。
なんで悲しいんだろう?
最後だったから?
でも、
中学に上がっても
「去年行けなかったからこっそり行くね!」と見に行ってしまおう。
うん、そうしよう。
娘のリレーは、
娘に頑張ってもらおう。
「女子は女子の中で早ければ大丈夫だから、楽勝やで」
と息子が言ってた。
娘は足が早いから、たぶん大丈夫だ。思春期もまだ遠いほど、ほっそりマッチ棒みたいな体型だしね。
とはいえ、
息子が小3で不登校のとき、
運動会に出なかった。
あー、あの時よりはずっと悲しくないや。
あのときは意外と堪えたから。
周りの子たちに羽交い締めにされて殴られてから、クラスに行かなくなったのだ。
殴った子達は楽しそうに運動会に参加してるのに、なんでうちの子が……と思ったけど。
その思いを、夫とは共有できず(説明したけど理解できなかったようだ)
息子本人は、涼しい自宅でゲームを楽しんでた。
そうだ、あのときよりは悲しくない。
それに、
普通に働いてたら、
そんなことはよくある話なのだ。
「参観日、仕事で行けない」
「説明会、仕事で行けない」
それって、あるあるだもの。
わたしは、今まで全部行けてたよね。
そのことに感謝したこともなかった。
ありがたいことだったんだなぁと思う。
昔は、
この「悲しい」を認めたくなくて
ポイって捨てて
「そういう運命よ!」と無理にポジティブにしてたけど、
シャドウワークをしてからか、
「悲しいわたしも、いていいよ」
「運命だから仕方ないね、と開き直るわたしもいていいよ」
「あとでたくさん話を聞こう、と楽しみなわたしもいていいよ」
と
思えるようになっているのだ。
うん、
子どもたちの話を聞くのが楽しみだ