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孤独からの逃げ道と寂しさについて
少ない思い出を大切に
私は障がい者で歩けないために、車椅子を利用しており、スーパーにはいつもヘルパーさんと一緒に行っている。車から車椅子を出したり、折り畳んでしまったり、ヘルパーさん自身も片手でカートを押しながら、もう片方で私の乗った車椅子を押さなければいけないので、時間がかかる。
コロナ感染のリスクを少しでも防ぐために、最近はヘルパーさんに買い物リストを渡して、1人で行ってもらっている。私は行かずに我慢していたが、これはこれで、物の値段がわからないため、買ってきてもらうものを選ぶのがすごく難しくなった。その選ぶ作業をヘルパーさん任せにするのも負担だろうと思ったので、この間遂にヘルパーさんと一緒にスーパーに行って、自分の好きな食材を買った(店への滞在時間を長くしないように考えながら)。それだけで、旅行に行ってきたような気分になり、心が穏やかになった。
今年の夏は、コロナが落ち着いていた時を見計らって、一度海に行き、秋にはロープウェイで山に行き、中島みゆきの映画を題材にした「糸」という映画を観た。(あの映画は、主題歌に惹かれて行った人も多いんじゃないでしょうか)
いつも全国を旅行してきた私にとって、今年の思い出は数えるほどだが、その少ない思い出を大切にし、冬を乗り切ろうと思っている。冬も何か自分の部屋で思い出作りを考えたい。ヘルパーさんと焼肉パーティーでもやろうか、と考えている。一緒には食べられないが、人の心が動かないと、良い講義もできないし、面白い原稿も書けない。
ものが書けなくなったらどうしよう、という恐怖がたまに押し寄せてくる。
手も足も使えない私は口しか動かない。
話して書いてもらうことだけが、ストレス発散だ。記憶のあるうちは、これをやり続けたい。noteを書くにしても、私が話したいこと、書きたいことを、最近は箇条書きのレジュメにしてもらっているので、それを元に原稿にすることが楽しみである。とにかく何かしていないと、寂しくなる。
私にとっての「寂しさ」とは「自分が生きていて、社会の役に立っているかどうか」と不安になることだ。
若い時から、ずっとその不安はあった。テレビを見ながら、何か食べていける方法はないか、と考えていた。編み物、刺繍、彫刻、彫金、絵画など、自分が生きていくために、お金を得ることを常に考えていた。「障がい者はお金がかかる」と言われるのが嫌だったから、少しはお金を稼がないと、という気持ちがあった。稼げれば、少しはそれが社会のためになるかなと思っていた。自分の存在を邪魔だと思われないことが大事だった。
今は、だんだん障害が重くなってきて、足で何もできなくなってしまったから、すごく辛い。
言葉だけは発することができるから、noteなどを書いて、生きている証を作らないと、心が苦しくなってくる。
寂しさは、足元まで落ちていく。
でも、その寂しさは大地に広がっていき、花や作物ができると考えれば、寂しさを楽しむ方法を考えられる。
落ち込んでも、必ず床や大地が受け取ってくれると思うと、安心できる。
これ以上落ちていくことはない。必ず床や大地があるから。
うけとってもらってから、それから考えればいい。
車椅子を支えてくれる床も大地だ。
寂しさは自問自答で解決するしかない。
誰も解決してくれない。
若い頃はいっぱい相談できる相手もいたし、誰かヒントを言ってくれた。
誰かに言えば、そこに跳ね返ってくる言葉もあった。絶対いい言葉が返ってくると知っていた。かつて悩みを打ち明けてきた人も、最近は天国に行っていたり、退職していたり、コロナで会えなかったり。
だから、2人の自分がいて、語り合うほかなかった。1人は情けない自分。
もう1人はちょっと面白い自分。気の強い自分もいるし、エッチな自分もいる。自分は色々いるので、とにかく自分で語り合う他ない。
たまにヘルパーさんにも聞いてもらっていたが、何度も同じことを言わないか、心配になる。カッコつけているのかもしれないが、人に同じことを何度も言わないように、違う言葉で話すよう自分でルールをつくってきた。あと何年生きられるかわからないので、話せる相手がいたら、とても大切にしたいのだ。
つらい時は、言葉を見つけて、笑って
生きてる限りは皆孤独だけど、どこかで地球が受け取ってくれると思ったら、ちょっと安心感がある。誰にも何も言わずに死んでいく人たちもいる。
そういう人たちに「大地が受け取ってくれるよ」といえば、少し楽かもしれない。自分が楽になる言葉を見つけるということは、とても大切だ。
社会が、GoToキャンペーンでおどっているとき、私もみんなに隠れて1人で温泉にでも行きたいなぁ、と思った。しかし、1人では行けない。医療崩壊になりつつある日本で、「私も、ただのおばさんだったのだ」とやましさを感じて、笑える。そう笑うことが、人にとって一番大切だと思う。