【女子高生エッセイ】『多面体の私を演じる🎭』
私は、自分のことを多面体と呼んでいる。
多面体というのは、正六面体とか、正十二面体とかよく数学に出てくる図形。
小学、中学、高校、家庭、習い事、予備校、そしてインターネット。
タイミング、場所によって、キャラクターが変わる。
ただ、多面体と表現したように、そのキャラクター達は全くの別物ではなく、横並びにつながっている。
小学校のときから違和感は感じていた。
いくつか通っていた習い事。
ダンスでは明るいおふざけタイプ、ピアノではきっちりミスなしの優等生タイプ、アトリエでは繊細さもある自由奔放タイプ、塾では成績は高いが天然タイプ。
『多重人格かもしれない』
そう思うほど、自分の中に何人もの私が住んでいた。
学校に行っても、先生の前では向上心の高いリーダーシップもあるいい生徒、仲のいい友達の前では馬鹿なことが大好きで雪に裸足で突っ込むような子だった。
クラス内では、女の子といる時は大人しくニコニコして褒めたりするいい子なのに、男の子といる時は走り回ってドッジボールで罵詈雑言を浴びせていた。
親の前では、自分の思うことをはっきり伝えることができず、ふざけながら言うことで親の顔色を窺うような繊細な子。
1人でいる時は、本を読むことと絵を描くこと、勉強することが何よりも楽しくて静かな子。
中学に進学すると、自分が入れ替わった。
友達と馬鹿なことをすることが楽しくなくなった。
意味や価値のあることだけを追い求めて、絵や本などの好きなことを捨てて勉強に完全シフトした。
男女仲良い学校で全体的に楽しく過ごせたし、習い事のダンスが忙しくなり、勉強だけした訳ではなかったが明らかに小学生の頃と比べて人との接し方が変わった。
表向きには話す友達はたくさんできたし、学年200人の中で名前を知らない人がいないほど顔が広かった。
でも、本当に仲のいい友達は3人ほどしか出来なかった。
心の中では友達と話すことより、勉強をして結果が出ることが何よりも嬉しくてゲームみたいで楽しかった。
人に期待できなくなったり、失望することが多かったりする時期だったと思う。
高校へ進学すると、また自分が入れ替わった。
地元1の進学校だったので、勉強のできる子が多く価値観の合う子が多かった。
興味深いほど何かに特化している子がいたり、特化できない代わりになんでもできるバランサーの子がいたり面白かった。
先生も卒業生が多いので優秀な人が大半で、初めて教師というものに学習面での尊敬の念を抱いた。
そうして、価値のある人間とそうでない人間を無意識のうちに分ける私ができた。
今考えてみると、私は無意識の中で私を演じていたのかもしれない。
そして、現在系で演じているかもしれない。
私の中の価値観は常に変化している。
多分それは周りの人基準で。
周りの人の価値観に合わせて、気に入られるような自分を無意識のうちに演じていたような気がする。
明るい私も、おとなしい私も、繊細な私も、自由私も、優等生な私も。
全部、大人や周りの子が求めていた"私の理想像"だと思う。
中学や高校でも、周りの人基準で自分が入れ替わるような人間だった訳であるし、実際に理想という虚像を追い求めていたことには違いない。
そうして、本当の私というものを多面体の内側にしまったまま、成長してしまった。
外観だけ上手く作り上げて、中身がスカスカな人間になってしまったような気がする。
これがいわゆる、キャラ作りというものなのだろう。
それに気づかず、この年まで来てしまった。
ここから、私の中身はどうやって埋めればいいものか。
多面体の中身の密度を高くすること。
これによって、外から叩かれても壊れない私の芯を築き上げることができるのだ。
この先、多面体の面の数が増減することや外郭が大きく変形することがあっても、中身の密度さえ高ければ、"本当の私"というものが揺らぐことなく、さらに進化していくことさえできる。
きっと中身の部分を構築する要素は、絵が好きな私や本が好きな私だった。
それを捨ててしまったことに気づいた今、
『1人の時どんなことに心が動かされるのか』
『1人の時私は何に価値を感じているのか』
この二つがこれから多面体の密度を高いものにするにあたって大切なポイントである。
今の私には、『批評すること』『創って書くこと』『音楽を作って、奏でること』がある。
これから、この三つを軸として多面体の中身を強固なものにしていく。
この三点からわかるように、私の中身は創作でできている。
思考して言葉を生み出し、それに良し悪しをつける。
新しい旋律を生み出し、そこに詞という言葉で意味を付け加える。
今の私にはそういうことが好きである。
この創作の芽を枯らさないように育てていくことが私の中身を濃いものにする。
そうして、私の今の脆い多面体を、少しずつ強いものにしていく。
はぁ、それにしても、無意識のうちに理想像を演じてしまう私。
ある意味才能があるのではないかと勘違いしてしまうではないか。
演じることに本当の意味で疲れてしまうまでは、理想像を演じることをやめないでいよう。
そうすれば、本当の私を"守るための"外側の部分が厚くなってくれるから。
きっと私は自分が傷つかないために、自分を多面体にしているのだ。
こうして私は今日も、読者の理想像を演じる。
私が本当に多面体かどうかは私しか知らない。
それでも、私は多面体の私さえ演じてみせたい。
これからも、私が私を守り続けていくために。
【noterさんに発想を貰ってエッセイを書こう!】のコーナー。
今回は、くらげさんの"キャラ作り"という記事を参考にさせていただきました!
元記事も素晴らしいのでぜひご覧ください👏🏻