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今日、会ったホームレスに共通する思い

今日、仕事の帰り、普通車を降りて急行に乗り込んだ瞬間、鼻を突く異様な臭いがしました。ふと左を向くと、3人がけの座席に強烈な異臭を放ったホームレスが、意識があるのかないのか、わからないようなうなだれた姿で座っていました。向かいの席には人が座っていましたが、横や周囲には誰一人いません。外は暑く、やっと涼しい車内に入ったと思ったけれど、汗をかいて何日も、いえ、数か月もお風呂に入っていないような強烈なにおいに、思わず可能な限り離れた場所で、つり革につかまりました。
内心、串カツで有名な西成に行けば、そのレベルのホームレスは珍しい話ではないのですが、そこまでのレベルのホームレスを、電車の中で見かけるのははじめてのことでした。ふと気になって、横目で見ると草履から見える右足はかなり黒く汚れていました。左足は…真っ黒な足袋でも履いているのか?と思えるほど、汚れているというレベルではなく異様な感じでした。
ふと浮かんだのは、あれを打った人が、後遺症で皮膚が壊死したかのように真っ黒くなる、そんな風に見えました。
もしかしたら、4年前に始まったあの騒ぎで、あれをして身体がおかしくなり、そのせいで働けなくなり、ホームレスに陥ったのではないのか…などなど、この世界のあまり表立っていないような出来事も含め想像をしていました。
人間が、すべての生活の基盤をなくし、今にも死にそうな姿になって行き場所もなく存在しているような姿に、助けようとするものはなぜどこにもいないのか…という思いになりました。見た目はゾンビのような姿になっていても、人間なのです。心があります。もちろん、あそこまでの状態になっていれば、その電車に乗っている個人に、その思いを感じた訳ではもちろんないです。それは不可能なことです。地方、いえ、国レベルで、政治が考えることです。
電車を降りて帰り道、私は昔からそうでしたが、なぜそこまでホームレスに心が揺り動かされてしまうのか…。そう思ったとたん「助けて欲しかった」とストレートな気持ちが、心の中にこだましました。頭で考えて、ここれこれこうでこうだったから…と理屈でわかろうとした答えではなく、正直な私の思いがストレートに出てきた感じでした。
私が一番辛かったのは、小学2年生の頃から、長距離トラックの父との3人の父子家庭暮らしで、1つ上の姉が母親役をしていて、ほとんど父のいない暮らしの中、毎日毎日、姉から顔面を殴られ続け、頭をかち割られるほど掃除機の柄で殴られ…顔は腫れあがり、唇も切れて、腫れて、頭はたんこぶだらけのそのような日々でした。姉が16歳で家出するまでそのような過酷な日々は続きました。父の酒乱、時に姉への暴力もあり、面前DV、心理的虐待にあたっていたと思います。
私は複雑性PTSDと、その合併症であるアルコール依存症からの回復のために自助グループに通い、そこでたくさんのトラウマ体験を話してきました。ですが、話していたトラウマ的エピソードは、主に飲んで酒乱だった父のことでした。けれどそれは、確かにトラウマではあったのですが、世間一般に理解されやすい内容だから、それを選んでいたと思います。それに、父親の酒乱で苦しんでいた私より、毎日姉に殴られ続けていた私という方が、恥の感覚ははるかに大きく感じます。それに、1つ上の姉にやられていた話をしても、きっと伝わるはずがないという思いが今でもあります。姉妹喧嘩のレベルでしか理解されないだろう....と思うのです。
ホームレスの話からその話になったのは、そこにただ一つ共通する思いがあったからです。それが今日やっとわかりました。それは、誰も助けてくれない、という思いです。
あの頃、もし助けてくれる人がいると思えるとしたら、物理的に私と姉のいる場所に一緒に居てくれる人以外あり得ませんでした。父には到底そんなことは無理でしたし、夕方心の中で『お父ちゃん、早く帰って来て』と願う気持ちでいっぱいでした。早く帰って来てくれた時は本当嬉しかったです。
助けてほしいという思いはありましたが、実際に助けてと言える人は誰も居ませんでした。父も、そして、途中1年間だけで戻って来た母も知っていたのに、学校の先生も顔面にあざのある私の顔を見て見ないふり、ホームレスの人に心入れしてしまうのは、世界のどこにも助けがなく、見捨てられているという共通点が見えたからです。かつて私が、18歳で家出するまで生きていた世界はそういう世界でした。
助けて欲しかったです。毎日続く姉の暴力が、一番の地獄の苦しみでした。
この話を唯一わかってくれたと思える人がいて、私は回復し、新しい人生を歩みだすことができました。2年半前に引退された精神科の先生です。その先生のくれた心の灯火は、私の中に今でも大切に灯っています。その感動を一生忘れません。


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