念願の柴又は期待以上だった
地元にいた頃に地元の観光地を知らなくて、今更有馬温泉に感動したように、上京してから「東京」という街を観光する機会はなかなかない。
でもコロナ禍以降、東京から離れた視点も持つことができて、改めて東京を知りたい気持ちが湧いて、東京の名建築を巡ったりした。
そんな中、ずっと気になっている場所が柴又だった。寅さんと草団子以外の知識はなくても、食べ歩き好きかつ「東京」を感じたい私には非常にそそられる場所だった。
行きたいと思い始めて数年、「遠い」というイメージだけで行く機会を逃し続けてきたが、ついにタイミングが来た。
戦友とも言えるネクストシアターの同期、岡部恭子(以下、おかべ)と今年はアクティブに行動していて「次、行きたいところある?」と聞かれた時に、「柴又がずっと気になってる」と私は答えた。するとおかべは「子供の頃に行ったけど全然覚えてないから行きたい」と言ってくれた。
そのやり取りからちょうど1ヶ月後の日に行くことが決まった。何気なく決まった10月10日はなんと「寅さんの日」だったらしい。
当日、下調べ済みのおかべが教えてくれた。そんなミラクルがあるのかと初の柴又でさらに興奮。
この興奮の根底には、前日に4作品観た『男はつらいよ』の影響がしっかりある。
恥ずかしながら、私は『男はつらいよ』をちゃんと観たことがなかった。「ちゃんと」というのは、親が観ているのをちらっと見たり、名シーン特集とかで見たことがあるだけだった。
せっかく柴又に行くからにはと、前日に張り切ってシーズン1〜4まで観た。1本90分なのと、寅さんの喋り方のキレの良さと話のテンポの軽快さにより、あっという間だった。
今の時代とのあまりの違いに最初は戸惑ったり、親戚に寅さんみたいな人がいたら厄介だなと正直に感じたりしつつも、『男はつらいよ』の世界に初めてじっくり堪能できて、俳優陣それぞれの「技」にも魅了された。
そのおかげもあり、駅に着いてまず、さくらを見つめる寅さんの姿に感激した。映画で観た商店街や団子屋さんが目の前に広がる。前日に観て知っただけのくせに、一丁前のミーハー心があった。
どのお店で食べるか迷うくらいに草団子屋さんがあるのにも驚く。
まずは柴又帝釈天にお参りして、草団子を食べながらお昼ご飯をどこにするか考える。
この商店街はそれほど長くないためとても巡りやすくていいのだけど、「この人たち何往復してるんだ?」とお店の人に思われそうなくらい気づいたらずっと歩いて迷っていられる。
何往復もした結果、鰻と鯉という名物の川魚を日本酒と共に満喫した。それでもおやつを食べたい私たちはお腹を空かせるために少し歩いて、「寅さん記念館」に行くことにする。
正直、「時間があったら行こうかな」くらいにしか思っていなかったこの場所が、予想を超えてテーマパークのように遊び心を溢れさせてくれた。
到着して中に入る前に、記念館の「館」の文字を取り付けようとしている寅さんが出迎えてくれる。中に入ると、とても巧妙な寅さんの動く影絵を目で追いかけながら、私たちの心は吸い込まれるように記念館の中に入っていくことになった。
戦友でもある同期おかべとは芝居を通じて出会ったため、実際に使われたセットや小道具や体験できる場所があると楽しくなってしまう。
「昨日、『男はつらいよ』観て良かったね」
と言い合いながら、映画を観たおかげで楽しさが倍増しているのをお互い実感していた。
私たちが行ったタイミングはちょうど小学生たちの見学と被って、一時は小学生たちに取り囲まれて混乱したけど、その子たちを先に行かせて静かな状態になるまで私たちは撮影セットを存分に味わった。
カメラを向けるとこの同期は最高の変顔かその場に溶け込む表情をするのが羨ましいくらいに得意で、私はいつもそれを見て笑い転げる。
お互い戦闘モードだったあの頃も、おかべはいつも私を笑わせて和ませてくれた。
「記念館」と聞くと、展示物が多くてただ見て読むものが多いのかと勝手に思っていたため、想像を超えて「体験型寅さんパーク」に同い年の私たちははしゃいだ。
はしゃぐという言葉が似合わなくなった年齢も忘れて、はしゃいだ。はしゃいだら、お腹が空いた。私たちは大満足な状態なのに、さらに甘味で胸いっぱいになった。
戦友とも言える同期にしか分かち合えない出来事が山ほどある。すだれ越しの夕陽を浴びながら、忘れられないあの頃の話をしつつ、甘味で頬も心も緩んだ。ちょっと足を伸ばすだけで、日常の忙しなさを忘れられることに幸せを感じる時間だった。
柴又駅で電車が逆方向になる私たちは、線路を挟んで大きく手を振り合ってバイバイした。小学生のように暗くなる前に解散した。次は5ヶ月後のディズニーシーを約束して。
同期を超えて、あの頃を越えて、友人として日常を忘れられる落ち着いた時間を過ごせることに感謝したい。
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