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映画『ラストマイル』感想

映画館で毎秒、魂が揺さぶられていた。
とめどなく、涙が頬を流れていた。これは紛れもなく"私達"のための物語であると感じたから。

私はメーカーに勤務する30代の人間である。社会の歯車として、無駄に真面目にそれなりに頑張って働いているサラリーマンだ。お客様の「欲しい」に応え、工場に物を作ってもらい、それを出荷するという一連の流れに携わってきた。今は別の部署におり、物流業界に身を置いているわけでもないが、それでも本作で起きる出来事、会話の何もかもがひとごとではなかった。きっと私と同じように、これは「私」の物語だと感じた方が、たくさんいらっしゃるのではないだろうか。日本を動かし、支えているのは特別な一握りの誰かでなく、ありふれた有象無象の、労働者達である。この物語は物流業界を舞台としながらも、労働者すべてに届く普遍的なメッセージが込められていたところに価値があった。



◆物流業界という舞台の意味するもの

物流は、時に血液に喩えられる。日本各地を網羅し荷物を届ける物流網は、さながら頭の先から足の爪先まで張り巡らされ、栄養分を体全体に届ける血管のようだ。
血液がなければ人は生きていけないのと同じように、物流なくして国は成り立たない。地域と地域を、いや、人と人とを繋いで暮らしを成り立たせているのは、物流なのである。
物流業界の、通販の隆盛による業務負担増、深刻な低賃金と長時間労働、それにともない加速がとまらない人手不足という問題は、日本に大きな影を落としている。物流の問題は、みんなの問題だ。物流が麻痺すれば人々の暮らしは成り立たない。
映画のなかでは人々の、荷物を心待ちにする様子、届かなくて焦る様子、困る様子、届けてもらって嬉しそうな様子が随所に描かれている。物流が滞れば暮らしも滞る。一人の暮らしだけではない、世界が、回るのをやめるのだ。

"私たちは同じレールの上にいる"

エレナは言った。物流業界に身を置く人間らしい、説得力あるメタファーである。

例えば環境問題、戦争、政治。あらゆる問題がこの世界では勃発している。それらは決してひとごとではないのだけれど、でもどうしたって、遠くの人間のことを自分のことのように感じるのは難しい。同じ地球という星で生きている、それを実感できる場面は、なかなかないものだ。

"命は、世界のどこかでいつも消えている。それを今さら騒ぎ立てて馬鹿みたい"
エレナの本音は、痛烈だ。
デリファスから届いた荷物が爆発している、そう報道されてはじめて、世界のどこかでいつも誰かが死んでいるという事態を自分ごとに捉える人々も皮肉なら、
「まさか自分のものは爆発しないだろう」
と、たかを括り、結局爆弾を引き当ててしまった家族のシーンも皮肉だった。

しかしひとたび物流に目を向ければ、世界が繋がりあっていることを容易に実感できる。どんな荷物だろうが、どんなに遠い国だろうが、行き先を指定して配送を頼むだけでいい。X線検査装置をアメリカのデリファスサイトから購入し、航空便で日本に届けてもらうシーンなど、その最たる例だろう。

物流業界を舞台にした意味合いは、まさにここにあるのではないだろうか。
誰かの悲しみや苦しみは、私には関係ない、で済まされることではない。遠くの国で起こっている戦争も、決して人ごとではない。私達は、同じレールの上で生きている。
はじめは高圧的な態度で配送業者に責任を押し付けていたエレナが最後には彼らと手を取り、運賃の値上げ交渉に踏み切ったことは、もはや一社の企業努力では解消しない問題に、きちんと自分達の問題でもあるとして向かい合った結果である。
筧まりかという赤の他人に恋人の死の真相を知らせてあげたいと思ったのは、彼女の苦しみに寄り添ったからである。

◆欲望という名の魔物

"What do you want?"

作中で幾度となく繰り返される言葉である。そして物流を血液に喩えるなら、この言葉こそが世界に血液を送り出す心臓なのではないかと思う。
物を手に入れたい、その欲望がなければ物は売れないし、運ばれない。経済は回らない。だから企業はCMを打ち、セールを行い、あらゆる手を使って人の欲望を刺激する。
その欲望が生み出す莫大な利益、成功者の名誉ににいつのまにか振り回され、巨大な欲望の前に奴隷と化しているのが、作中のデイリーファーストである。

"すべてはお客様のために"

この言葉を歪曲させ、売り上げをあげたい、仕事で失敗したくないという自らの欲望を正当化させるために使う五十嵐や、エレナ。
彼らのその思考を悪と断じるのはとても簡単だけれど、しかし彼らの立場にもし、自分がなったらと思うと気が狂いそうだった。
自分の判断一つで、会社の利益が何十億と減ってしまう。大損失を被れば、給料やボーナスが減り、従業員の暮らしに悪影響が及ぶ。株価が下がり、会社のイメージまで損失したとなれば直接的な売り上げ減以上の長期的なダメージとなる。肩書が立派になればなるほど、責任は大きくなり、失敗は許されない。
お客様の命を片方の皿に起き、会社の存続、会社で働く人間の人生、自分の人生をもう片方の皿に置いて天秤にかけるなど、並大抵のことではないだろう。私は、あのどんどんと減っていく稼働率の円グラフを見ているだけで胃に穴が空きそうだった。
エレナだって、人命の重さがわからない人間ではない。それでも、「社長が出せというなら、どんどん出荷しましょう」と言えてしまう。私だって、仕事でよくそういう物言いをしてしまう。こんなのはおかしいとわかっていても動かない上司を前に、「あなたがやれというなら、やりますけど」、と。自分には正義感があるふりをするだけの、ただの責任の押し付けでしかないのに。悲しいことに個人の倫理観だけでは、欲望の魔物は止まらない。お客様ひとりの命より重たいのは、何百何千万のお客様の欲望。それを保証するのが、すべてはお客様のためにという、社訓。会社が責任をとるのなら、人の命などさほどの重みもない。

でも、本当にそれでいいのか?
私達は同じレールの上で生きているのに?

巨大な欲望にすり潰される、人の命。正当化される、誰かの苦しみ。

五十嵐の、「死んでも止めるな!」のセリフには涙がぶわぁ、と溢れた。きっと家で観ていたら、声をあげて号泣していただろう。あまりにも残酷で、やるせないセリフだ。
血を流しながら倒れる山崎の目の前で、再び動き出すベルトコンベア。欲望の前に、ひとりの命の重みが敗北する瞬間。悲しくて悔しくて、たまらなかった。

人の命の軽視という意味では、お客様だけでなく、ドライバーの命の軽視にも目を向けた映画だった。休む暇もなく働き続けなければ最低限の賃金も貰えない労働環境もそうだが、爆発物が荷物の中に紛れているという事件が勃発した際に、爆発物に関する詳しい情報が、運送業者やドライバーにはほとんど届いていないという状況にも、残酷さを感じた。
製品を開封した時点でスイッチが入る仕組みが判明する、といったような最新の情報は常に警察とデリファスが握り、デリファスから運送業者には指示のみが飛ぶ。末端であるドライバーには、なんだか漠然とした情報しか届かない。爆弾を運ばされているのは実際のところドライバーで、お客様と同様に命の危険に晒されていることに変わりはない。それを誰も指摘しない。仕事を受注する側、大企業の傲慢さが垣間見える。

"ドライバーの命なんだと思ってるんだ"という佐野の叫びも、"あなたが引き取りにきてくださいよ、あなたのところの商品でしょう"という疲れ果てた八木のぼやきも、メーカー勤務としてはあまりにも、身につまされるものがある。

一人では到底太刀打ちできない巨大な欲望という名の魔物を前にして、すっかり心を病んだ山崎は、「自分が飛べばこのベルトコンベアは止まり、稼働率はゼロになるのではないか、恐ろしいブラックフライデーはやってこないのではないか」と思いつき、それを実践して植物状態になってしまった。
その恋人、筧まりかもまた、命を賭して社会に理不尽を問おうとした。おそらく彼女は、恋人が死んだことへの復讐で、無差別に人を殺そうとしたのではないのだと思う。彼女の直接の死因は焼死であったし、一連の爆発において死者は結局、彼女一人であった。彼女の行為の真意は、ブラックフライデーという欲望の祭典のさなかに、人ひとりの命の重みとどう向き合うのかを、社会に問うところにあったに違いない。

こうした山崎や筧の行動は、決して美談としては扱われない。
死んでしまうくらいなら、追い詰められて心を病むくらいなら、そんなことはしなくていい。
"見上げた根性だ"
"そんな根性なら、ないほうがいい"
中堂とミコトのセリフにはそんな想いが滲み出ていた。

物流業界の闇は、個人のやる気の問題では解決しないことを、この物語はしっかりと描く。エレナは最初は仕事が楽しくてしかたなかった。佐野親子はドライバーの仕事に誇りを持っているし、八木だって、物流の仕事で人を幸せにしてきた自負がある。だけど、そんな人間達のやる気を搾取し、誇りを踏み躙り、疲れ果てさせるのが、今の物流業界の構造なのだ。
たったひとりの力で、もはやこの構造は変えられない。だったら協力しあい、相談しあってみんなで少しずつ変えていくしかない。八木と手を組み、大手運送会社を巻き込んでデリファスと交渉をした、エレナのように。このことを本作はなにより伝えたかったような気がしてならない。エンドロールの最後に出てくるメッセージには、涙が出てくる。今、この映画を観ている人間にとって、本作がどれほどひとごとでないかを作り手側が認識してくれていることが、とても嬉しい。

物語の終盤、エレナが自身で佐野親子に羊の枕の誕生日プレゼントを手渡す。いつもなら決して顔を合わせない、運送業者を介した伝票状のやりとりしか行わない関係性同士の、顔と顔を突き合わせたリレーだ。
そして商品がユーザーに届けられる最終区間、ラストマイルに溢れた松本親子の笑顔。
これこそが、本来彼らが"欲しかった"ものだった。

◆爆弾はまだある、の真意

強者の立場で、その権力をふりかざすのでなく、弱者の立場に立ち声を上げ、センター長の立場だからこそできることを駆使して(何の権力もない平社員には他社をあそこまで動かせない)稼働率ゼロをやってのけたエレナ。
パトカーのなかでの、完全にスイッチの切れた寝顔の、なんと幸福そうなことか。これまで長いこと、仕事のプレッシャーや精神的な不安で安眠が許されなかっただろう彼女に訪れた、休息の時間。
心からの「お疲れ様」と「ゆっくりお休み」を、エレナに伝えたくなる。

センター長の座を引き継いだ梨本はエレナに
"次はあなたの番"
だと言われる。

これまでデリファスで働いてきた人間たちは、ロッカーに書かれた山崎のメッセージを目にし、彼の言いたかったことに気がつきつつも、社会構造の闇を見て見ぬふりをして、問題を放置してきた。今回は本物の爆弾が爆発したけれど、またいつなんどき、誰かが病むかわからない。いつか誰かが自殺するかもしれない。もしかしたら、自分かもしれない。物流問題は一朝一夕には解決せず、ブラックな労働環境が知れ渡ればいずれデリファスで働く人は減り、デリファス自体も人手不足に喘ぐときがくるかもしれない。問題は山積みであり、破綻の時は近い。そういう意味での「時限爆弾」は、もうすぐにでも爆発する可能性が高い。そのとき、果たして梨本はその爆弾を爆発させてしまう人間なのか、爆弾を他人に渡してしまうのか、それとも爆弾を不発に終わらせることができるのか。
それは、彼自身のこれからの行動にかかっている。
でも、突きつけられた問題は、あまりに巨大で、重たい。

私には、ロッカーの前で項垂れるしかなかった梨本の気持ちが、痛いほどわかる気がする。

私自身、職場に行く時は吐き気が止まらなかったり、仕事のプレッシャーで眠れなくなったりしたことがあった。睡眠導入剤を処方してもらった。適応障害になった社員なんていくらでも知っている。今だって同じ部署の先輩や後輩が、長時間労働でメンタルがやられそうになったり、自分が長時間労働をしたせいで、パートナーがワンオペで子育てをするはめになり、結果病気になってしまったというひともいる。エレナの過去の告白に、どうしたって共感してしまう。眠れない夜、苦しいよね。
今までだったら、そうやって被害者の顔だけしていればよかったのかもしれない。自分の生活のことだけを考えていても許されたかもしれない。でも、梨本と同じように三十代、いよいよ責任のある仕事が与えられ、発言力は増し、会社や社会を変えていく力がある立場になってきた今、自分の苦しみもそうだけど他人の苦しみも含め、もう、目の前の爆弾から目を逸らしてはならないのだろう。だけどそれが、果たして私にできるだろうか?

良くも悪くも無欲な青年の胸に、灯をともして消えていったエレナ。梨本はこれから、エレナのバイタリティ溢れる後ろ姿を追いかけて、彼なりに前に進んでいくのだろうか。
私は、梨本の未来を想像するのが怖い。どうか押し潰されずに、無理をしすぎずに生きて欲しい。そして梨本の歩む困難な道のりを、私自身もこれから歩んでいくのだろうと思うと、より恐ろしい気持ちになる。

それでも、諦めるなと。死なずに、生きろとこの物語は語りかける。私達は、同じレールの上に生きている。私達はひとりではないのだから。

(2024.8.24鑑賞)

追記

私は岡田将生のファンなので、めちゃくちゃ梨本孔に思い入れている。儚く闇を抱えている美青年とか、善人の皮をかぶったサイコパスとか、顔は良いのにひたすらに残念な男とか、エリートサラリーマン役など、いわゆる癖強な役で爪痕を残してきたと言われがちだった彼が、これほどまでに無色透明のサラリーマンを演じきったことに喜びを隠せない。よく靴脱ぎがちなところとかめちゃ好き。長時間働いてると、足、蒸れるんでしょうね。ちょっと足臭そうで良いです。そういう生々しい人間の輪郭が、梨本にはある。
観客目線に立ち、エレナという人物と対峙し、そのいい意味での欲深さに感化され、ひとまわりだけ成長して、バトンを渡される裏主人公。エレナに犯人ではないかと詰め寄る梨本の、熱を帯びる表情、良い。爆弾をうまく処理し終えて九死に一生を得た彼らが、ソファでくつろぐシーンの空気感。最高じゃないですか。ところで孔、という名前の意味を考えているんですが、孔は穴(あな)という意味の字で、穴といえば0の形をしてる。もしかして、梨本はこれから先、山崎の叶わなかった想いを、エレナの成し遂げたことを、引き継いでいく人物だってことが、表されているのかも。あとね、ホワイトハッカーてなに、いきなり特大のもえ要素をぶちこむんじゃありませんよ、卒倒するかと思ったわ。梨本、まじで生きろよ。生きていつか、ホワイトハッカーとしてユニバース作品に絡んでくれ。頼む。


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