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◆読書日記.《川上武志『ホームレス収容所で暮らしてみた』》

<2023年6月27日>

※因みに今回の記事で、ぼくの「note」の投稿記事数がめでたくトータル300記事になった。お読みになられてる皆さま、今後とも宜しくお願い致します。

 川上武志『ホームレス収容所で暮らしてみた 台東寮218日貧困共同生活』読了。

川上武志『ホームレス収容所で暮らしてみた 台東寮218日貧困共同生活』(彩図社)

 本書の著者の略歴を見ると、かなり変わった人生を送られて来た方のようである。

 1947年生まれ。岡山県倉敷市出身。30代の後半に人生の限界を感じ、渡タイ。北部タイの山岳民族に魅せられ、アカ族の村で2年近く生きる。その後、チェンマイノナイトバザールに店舗を構え、山岳民族のグッズを販売。帰国後はテーマパーク「倉敷チボリ公園」に就職し、6年後に閉鎖してからは静岡県の浜岡原発で働く。そのときの体験を基に、『原発放浪記』(宝島社)並びに『放射能を喰らって生きる』(緑風出版)を執筆。現在は東京都足立区に在住。

本書「著者略歴」より引用

 著者は略歴に書かれているように、本書を執筆する前は浜岡原発で働いていたようである。

 その静岡県で原発労働者として働き、リタイア後は反原発運動に積極的に参加し、略歴にもあるように経験を基に『原発放浪記』『放射能を喰らって生きる』という(おそらく)原発を批判気味に書いた著書を発表したために、どうやら警察にマークされたらしい。
 著者によれば中部電力のグループ企業で警備業務を行っている企業が静岡県警幹部の格好の天下り先になっていたのだそうだ。

 この関係で何と警察が著者に様々な嫌がらせや挑発を受けたのだそうだ。

 この静岡での揉め事が原因で、逃げるように上京した著者は当時70歳を越した高齢者であったという。
 この年代だとほとんど職が見つからない。
 滞在していたカプセルホテルの宿泊費さえ払えなくなったので仕方なく台東区の自立支援センターの施設に入寮した……というのが本書の経緯となる。

 本書はそんな著者が東京都台東区でホームレスを泊まらせて就職支援をしている自立支援センターの施設「台東寮」で経験した事をつづってその内情を紹介するエッセイ的な読み物である。

※参考:<川上武志 note>

◆◆◆

 しかし、楽天やアマゾン他で紹介されている本書の「内容紹介」は誇張や間違った記述が多くて「それでいいのか?」と首を捻らざるを得ない。

東京都と台東区が共同で運営していた「自立支援センター」台東寮。金も職も住まいも失い、三食昼寝こづかい付きという夢のような好条件につられて飛び込んだホームレスの収容所は、魑魅魍魎の巣窟のような凄まじいところだった。 寮では8部屋に約60人が荷物のように詰め込まれ、1人分の専用スペースはたったの1畳というお粗末さ。おまけに食事もまずい。各部屋には牢名主のような存在がいて、その多くは暴力で支配している。せっかく三食と寝床にありつけたというのに、規律の厳しさから脱走する者が後を絶たない……。
そんな「ホームレス収容所」で暮らす者たちの姿を通じて、現代日本の闇を覗き見るノンフィクションルポ。
目次
第一章 緊急一時保護
第二章 自立支援プログラム
第三章 清掃の仕事に就く
第四章 カリアゲ

AMAZON当該書籍サイト内の内容紹介より引用

 上の内容紹介では本書を「ノンフィクションルポ」と称しているが、ルポルタージュと言えるほどの客観的な書き方も記録的な書き方でもない。書き方は極めて主観的でほとんどエッセイである。

三食昼寝こづかい付きという夢のような好条件につられて飛び込んだホームレスの収容所」という書き方も、まるで著者が怠け者で、ラクが出来るとウキウキ飛び込んだかのように読める表現だが、これも本書に書かれている事情とは違っている。
 上にも書いた通り、著者は具体的な生活困難から自立支援センターを頼らざるをえなくなって、仕方なく入寮したという経緯があった。
 少なくとも、本書にはこの施設を利用した動機に浮ついたものは見られない。

各部屋には牢名主のような存在がいて、その多くは暴力で支配している」というのも、本書ではあくまで「複数ある中の一部の部屋の事情」で、暴力を振るう人間も紹介されていない訳ではないが、本書の中ではどちらかと言えば「変わり者」の部類として扱われている。
 このような表現ではまるで各部屋全てに暴力的な牢名主的な人物がいるような、かなり大げさな表現だ。

 編集者の「売らんかな根性」が内容紹介を露骨に歪めている。
「自立支援センター」の施設を大げさに過酷な環境であるかのように書いて興味を煽り立てる嫌らしい広告的表現だ。

◆◆◆

 本書の内容は、一部<文春オンライン>で読む事ができる。
<文春オンライン>の著者プロフィール蘭から記事のリンクに飛べるので、興味がある方はこちらで雰囲気だけでも感じてみてはいかがだろうか。
 本書では白黒だった写真もカラーで掲載されており、本書には掲載されていない画像も載っているので自立支援センターの施設内の様子も雰囲気は分かりやすいかと。

<文春オンライン 川上武志プロフィール>

 ただ、「ルポ」としては、本書は残念ながら書き方が主観的すぎて情報の信頼性が薄い。

 例えば施設内で提供されている夕飯だが、下のような書き方となっている。

 どんな夕食なのか期待して食堂に向かったのだが、仕出し弁当だったのでがっかり。おまけにみそ汁はインスタントである。入り口で弁当を受け取り、食堂に入った。
(略)
ご飯を口にして、あまりのまずさに吐きだしそうになった。有効期限がとっくに過ぎた不良米を食べさせられているのではないだろうか、思わず怒りが湧いてくるような味の悪さである。それにおかずは揚げ物が多く、濃い味つけになっている。野菜が極端に少ない。これを半年間つづけたら、まずまちがいなく体調がおかしくなる。食事を提供する者にとっては、食べられるだけありがたいと思えということなのだろうか。

本書P.40-41より抜粋
寮で出される食事

 この手の施設内の生活を知りたいとなれば、真っ先に知りたいと思うのが、食事事情でもあるだろう。毎日の健康や生活の質にかかわってくる。

 しかし、施設内での食事の具体的な描写は上のシーンくらいなもので、毎日どのような献立なのか、分量はどうなのか、主食の分量は決まっているのか……という事はあまり書かれていない。
 著者はこの食事が相当イヤだったのだろう。
 その後、食事の描写が出てくるとすれば、施設で貰ったおこずかいで買ったカップ麺を食べたり、コンビニで購入した食料を食べたり、自分の貯金から出した金で外食したり……といった所である。

 このように、施設内のざっくりとした情報は出ているものの、細かく取材して書いているわけでもないようで、情報量は案外に少ない。

 この「台東寮」についても、入寮者はどのような生活環境におかれるか、どのような規則があるか、どのような設備があるのか等、そこで生活していれば分かる情報はある程度記して揃ってはいるものの、それ以上の情報は意外と薄い。

 著者も入寮時に行う職員からの説明を「嫌になるほど規則が多い」とぼやいたり「このような話を聞いていると眠くなる」(ともに本書P.46より)といった感じで聞き流しているので(笑)、あまり「取材」を前提に施設内の生活を送っていたわけではないらしい。おそらく、後追い取材もほとんどやっていないだろう。

 描写はその寮の中で交流のあった人たちとのやりとりのほうが多いだろう。
「こんな人生を送った人が同じ部屋に入ってきて、あんな事を言っていた」「今度入ってきた人と仲良くなってこんな話をした」といった入寮者同士のやり取りメインである。

 ただし、そこから東京の自立支援制度の問題点が浮かんでくるわけでもないし、自立支援センターの施設としての問題点が出てくるわけでもない。

 淡々とした施設内の日常と、目に付いた施設内の変わった人や小さな事件の数々が描かれ、著者は「自分はもう72歳だが、生活保護など絶対受けずに働くのだ!」と決意して就職、台東区で借り上げているアパートに移って自分の生活を立て直すのであった……という自分語りで本書は締めくくられる。

 つまりこれは、タイトルが想起させるような「施設」をメインにすえた内容ではなく、あくまで「著者」の体験がメインとなっている「随筆」といった読み物であった。

◆◆◆

 自分はビビリで心配性なので、常に「自分が最悪の状況に陥った時、生きて行けるのか?」という事を想像せずにはいられない。
 だから、昔から「災害時のサバイバル」的な書籍だとか、「地震が起こった時のシミュレーション」みたいなテレビ番組だとか、事情あって突然生活困窮者になってしまった人のドキュメンタリーだとかいったものには興味があったのである。
 半年ほどホームレスになってしまった作家の体験記・松井計『ホームレス作家』も「明日は我が身かもしれない」という気持ちで読んだし、ベストセラーコミック・花輪和一『刑務所の中』もたいへん興味深く読んだ。

 本書もそういう興味の一環として読んだのだが、上に書いた通り、若干の肩透かし的な読後感はあった。

 折角めったに報道されない施設の情報を提供しているというのに、書き方が主観的すぎて、施設内の雰囲気がつかみづらいのである。著者の性格にも起因する事であろう。

 著者は執筆当時72歳にもなる高齢者であったが、生活保護は絶対に受け取らず、70代の人物を雇ってくれる企業がほとんど見つからない中で、諦めず最終的に就職口を見つけるのである。そして本書のしめくくり、著者は以下の様にいうのである。

 台東寮での五か月間で、健康的に問題がないと思われる者たちが生活保護を受ける姿を嫌になるほど見てきた。あそこが痛い、ここが悪いと盛んに訴えていたが、四〇歳を過ぎれば大半の人が持病のひとつやふたつは抱えているものである。体調やコンディションにまったく問題がないという者は稀有というか、まずいないだろう。甘えるなといいたい。

本書P.250より抜粋

……と、非常に元気なのである。

 そりゃあ高齢者になっても自立して仕事がしたい気持ちも分からなくもないが、「それが普通」であるかのような考え方はどうなのかと思う。
「持病のひとつやふたつは抱えているもの」だとは言え、それは人の事情によって軽重さまざまであろう。

 例えば40~50代ならまだ働き盛りとも呼ばれる年齢だから分からなくもないが、台東寮に入寮している人たちの中には60代の人たちもいて、彼らも職を探さなければならない状況にある。昔だったら退職して年金生活を送っている年代だろう。

 人材不足になりがちな昨今の日本では、交通事故のニュースに掲載されているトラックやタクシーやバスの運転手などの年齢を見ると60代というのも珍しくなくなっている。
 さすがに体力も集中力も落ちてきている高齢者にいつまでも車両関連の仕事をさせるのは交通事故を招きやすいし、そういう人たちにはさすがに引退して年金暮らしをしていただきたいものである。

 だが、そういう年代の人たちでも職が無ければ食っていけない現代日本の状況には、この著者は問題を感じないのだろうか?

 60~70代の高齢者の就職が難しく、就ける職業も資格でもなければ肉体労働ばかりでというのも問題ではなかろうか。

 少子高齢化によって、今後日本社会はどんどん人材不足に陥っていくだろう。若手の新人も確保しにくくなってくる。
 そんな中、年金受給年齢は引き上げられるだろうし、おそらく企業はサービスレベルを維持するためには老人を簡単には辞めさせられず、仕事をさせ続ける事になるだろう……という状況は想像に難くない。

 今後、イヤでも年を取っても仕事を続けなければ生きていけなくなるのではないか。……というのは、ビビリな性格のぼくだけではなく、ちょっと慎重な気になっている今の働き盛りの世代の人間だったら予想内のビジョンではないだろうか。

 本書で紹介されている施設が必要とされている人というのは将来的に増えていくだろうし、もしかしたら現在進行形でコロナ禍の事情で困窮状態に陥ったり、新型コロナの後遺症で身体が利かなくなった人などがどしどし転がり込んできている所かもしれない。

 そう考えると、この施設の状況はどうなのだろうか?今後そのような事態に対応していけるだけの設備になっているのだろうか。こういった施設は都内だけでどのくらいの人数を収容でき、全国的にじゅうぶんな質を保っていられているのだろうか。……そんな疑問が次々に浮かんでくる。

 が、現高齢者である著者にそういった問題意識は感じられない。

 例えば本書の中では、同じ部屋の60代の入寮者の話で、求人誌に住み込みの警備員の仕事を見つけて行ったが酷い目にあって逃げ帰ってきたという人の話を聞くシーンがある。

「着いたとたん、えらいところに迷いこんだと思いましたよ。宿舎がプレハブなのはええとしても、個室という約束なのにひと部屋4人の雑魚寝で、飯場と同じですわ。それでも翌日から働きだしたのですが、仕事に出ても1日2000円しかもらえない。あげくに経営者はヤクザとわかり、脱走を考えるようになりました。だが敵もさるもので、逃げることができんように夜には宿舎のまわりに土佐犬を放し飼いにしているんですわ」

本書P.131より抜粋

 このくだりを読んでぼくなどは「えっいまもそんな露骨にヤバそうな事業をやってる所があるの!?」と驚いたものだが、著者は「住み込みの場合は、注意が必要ですね」などといった感想を漏らして、例えば義憤を感じるといった様子もない。

 本書の著者はこのように、顔の見える隣人や実際に会った人については問題提起や疑問を提示するというのに、制度の事や施設全体の事や政治的な事については本書の中でほとんど自分の意見を言っていないのである。
 つまり、ルポとしては決定的に「大きな視点」に欠けている、徹底的に個人視点の事しか書いていないのである。

 こんな貴重な体験を紹介してくれているというのに、それに対して著者のメッセージがほとんど見えてこない。見えてくるのは、著者の頑張りようである。
 これは「何だか貴重な体験をしてしまった」みたいな、淡々とした体験記でしかなく、この体験から何を学んだのか、どういう教訓があったのか、日本の福祉制度について思う所は……という言及がない。

 本書に書かれているのは、どこまで言っても「著者の経験した半径10m以内の世界」の中の個人的な話でしかない。

 しかし、こういった特殊な状況を紹介する内容ならば、このような主観的な感覚で感想を書かれるよりもまだドキュメンタリー映像にしてもらったほうが雰囲気が伝わったかもしれない。

 読みやすくて貴重な話ではあったが、情報量としては物足りなく、分析的な視点が見られず、著者のかなり主観的な感想を連ねた、所詮はエッセイ的な読み物であった。


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