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◆読書日記.《澁澤龍彦『エロスの解剖』》

2019年6月8日

 澁澤龍彦『エロスの解剖』読了。

澁澤龍彦『エロスの解剖』

 60年代に澁澤が主に性科学の周辺をテーマに書いたエッセイをまとめたもの。

 冒頭のほうを読んでいて「何か既視感があるな?」と思ったが、これはかなり昔に一度読んだものだった。たぶん、高校~大学あたりに読んだものと思われる。

 という事で久しぶりに再読した事になるのだが、改めて読んでみると流石に半世紀前の著作なので知識の古さは否めなかった。
 本書の初版は1965年。この頃はまだ性生理学といったものは本格的ではなかった。

――例えば『セックスと科学のイケない関係』の著者でサイエンスライターのメアリー・ローチによれば「性生理学の研究は、ごく少数の例外はあるものの、一九七〇年代初めまでは存在しないも同然だった」と書いているほどである。

 折角なので、ローチの前掲書からもう少々引用してみよう。

「セックスを研究するのは、研究者本人が"ヘンタイ"だからだというのが当時(一九六〇年代)の定説だったのだ。
 まあ、"ヘンタイ"は言い過ぎにしても、一般的には、研究者というものはふつう、研究対象に尋常ならざる関心を抱いているものだ。それゆえ、一部の人々はセックスを研究している学者を敬遠する。かと思えば、やたらあれこれ聞きたがる人々もいる」

――と、当時の研究者からして偏見を持っていた様子を記している。

 澁澤の本書の内容についても、主な"学術上の"参考文献は精神分析学か心理学か哲学か、といった所であった。

 現在のように、性生理学だけでなく脳科学や生物学なども含めた学術上の研究内容が一般書の中にも出てくるようになった現在からしたら、当時の状況はそれほどお寒い状態だったのではないかと思うのである。
 逆に言えばそういう状況にあって、これだけ内容豊富な情報を集められているという所に、澁澤龍彦の情報収集能力の高さと言うものが伺えよう。

 本書は現在でもある意味では「入門書」的な魅力を持っているのではないかと思われる。
 ぼくが学生時代に読んだ時も「入門書」的な意味で色々と参考になったし、感銘を受けた文章が多々あったように思われる。

 昔ながらの澁澤のフォロワーというのは、澁澤の築き上げた様々な知識の土台を足場にする事で、性科学であったり幻想絵画であったりオカルトであったりといった「人間の暗黒面」の更にその先を考え、それを自らの芸術作品に纏めたり思想に役立てたりと言った事ができたのだろう。

 読者は澁澤の文章からフロイト理論の性的な側面に触れ、あるいはバタイユ思想の性的な側面、レヴィ=ストロースの近親相姦の理論的側面にアクセスでき、あるいはシュルレアリスムや絵画におけるセックス・テーマ、ギリシア神話における様々な性倒錯の様相を知り――そこから自分の興味や関心にアクセスしていく足掛かりとするのである。

 やはりそれが「百科事典的」な知識集成である澁澤の本を読む楽しみの一つにもなっているのではないだろうか。
 自分もそういった澁澤龍彦のエンサイクロ・ペディストの側面に憧れて、いつかはそういった語りが出来る人間になりたいという願望が、現在も自分の広範な知識収集欲の源泉の一つになっていると思っている。

 因みに、本書で澁澤は性に関する哲学者からの引用はバタイユとサルトルがほとんどを占めていたのが印象的ではあった。
 これはフランス思想だから?とも思ったが、考えてみればフランス思想が隆盛期に入る前のドイツ思想の面々を思い浮かべてみて、性的なテーマを扱っていた哲学者がいたかどうかと考えてみると、確かにいなかったように思われる。
 西洋的知識の全体系を網羅しようという『エンチュクロペディ』を著したヘーゲルでさえセックスをテーマにした論考はなかったのではないかと思われる。

 それに対して『エロティシズム』を著したバタイユがあり、『存在と無』でいち早くサド=マゾの考察を行ったサルトルがあり……といった事を考えれば、フランス思想のある意味「軽やか」なイメージというものはあながち戦後の開放的な時代的背景のみの理由ではないのではないかとも思う。


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