◆読書日記.《古谷経衡『シニア右翼 日本の中高年はなぜ右傾化するのか』》
<2023年3月22日>
古谷経衡『シニア右翼 日本の中高年はなぜ右傾化するのか』読了。
保守系の著述家・評論家である古谷経衡が、かつて保守文壇にいた自分の体験も踏まえて「日本で近年シニア世代に所謂「ネトウヨ」的な人が増えた理由」を考察する内容。
古谷経衡と言えば、以前は「ネトウヨ御用達番組」として胡散臭いと思っていた右翼系動画配信番組『チャンネル桜』にレギュラーとして出ていた関係で右翼系の人なのかな?と思っていたら、いつの間にか最近は、どちらかと言えばネトウヨを批判するような文章を書くようになっていた人――というぼくの中のイメージがあった。
あれっ、この人いつの間にか転向したのかな?と初めて認識したのは確か、知人が『愛国奴』という、古谷経衡が明らかに批判的に保守文壇やネトウヨを書いたと思われる小説を紹介していたのを目にしてからだったと思う(まぁ古谷さんは転向したとは思っていないかもしれないが、その問題は本稿には関わりないので一旦置いておく)。
この人についてはあまり興味は持っていなかったのだが、確かに昨今シニア世代が右傾化している理由というのは興味があったので、本書を手に取ったわけである。
<内容紹介>
<感想>
本書の構成は1章~4章+終章にプロローグとエピローグをつけた構成で、それぞれの内容を簡単にまとめると以下のようになる。
第1章「右傾の内側――息を吐くように差別をするシニア」では、主に著者が保守論壇で活動するようになってから見聞き体験したその界隈の人々の特徴(言論傾向や年代、活動内容など)について説明している。
実体験を踏まえて現在の右翼文化を作り上げた人々の実態が半ルポルタージュ風に書かれていて、ぼくとしては本章が最も面白かった。
第2章「右翼とは何か、ネット右翼とは何か」では、本来の「保守思想」とは何なのか、日本の歴史・思想史的に解説し、その上で日本の現在の「右翼」と所謂「ネット右翼」と称される人々の掲げる考え方が、本来日本の中での「右翼」の流れとはいかに違っているかという事を比較する。
第3章「右傾の門戸――ネットの波に遅れて乗ってきた人々」では、日本の近年(20世紀末~現代まで)のインターネット史を振り返り、シニア世代がいかにネットリテラシーを身に着けずに楽にネットサービスを享受しているかを説明する。
要するに、ここで著者の主張するようにシニア世代がいかにネットリテラシーが低く、そのためYoutubeに投稿される右翼系動画や陰謀論などに騙されやすいのかという理由の一側面を説明するわけである。
第4章「未完の戦後民主主義」では、日本の戦後民主主義はいかに不徹底だったかという事を以下の4点から説明していく。――そして、ここでシニア世代が右翼的……というよりかは戦前のような非民主主義的な価値観にコロリとハマってしまうもう一側面が説明されるという事となる。
1,戦前と戦後の連続
2,民主的自意識の不徹底
3,戦争の反省の不徹底――幻の戦争調査会
4,戦争記憶の忘却
大まかにまとめれば、第1章で「シニアが右翼化している現状」を著者の体験を元に説明し、第2章で「そもそも右翼とは何か」、そしてそれが現代の所謂「シニア右翼」や「保守言論人」と呼ばれる人たちの思想といかに違っているかという現状確認を行う。
そして3~4章でそういう現状となった原因を著者なりに、(1)インターネットによる影響、(2)戦後民主主義の失敗による影響――という2点で説明している、というのが大まかに言って本書の内容である。
◆◆◆
さて、内容紹介にも端的に表れているように、本書は著者の主張するこの「シニア右翼」という人たちを批判的に扱っている。
著者が本書で扱っている「シニア右翼」を批判的に検証したいと思ったその動機は分からないでもない。というか半ば明白に書かれてある。
著者がコメンテーターとして参加していた右翼系動画配信番組『チャンネル桜』のレギュラーから追放された時の気持ちを以下の様に述懐している。
ぼくとしては今までネット右翼の言説のレベルの低さというのは、半ば戦略として意図的にやっていた部分もあったんじゃないだろうかとも思っていたのだが、どうやら中にいた人でさえゲンナリするほどのレベルだったらしい。
本書はふだんネットの闇の中に隠れてなかなか見えてこない、そういった「レベルの低い人たち」の正体を暴いて衆目に晒すという目的もあったのだろう。
若者たちよ、こんな連中に恐れる事はないぞ、と。しょせんはこの程度の連中なんだから、ちゃんと自分たちの権利を主張しないと損をする事になるぞ、と。
もちろん、今後著者がそういった「シニア右翼」らを批判していくに際しての理論武装をしようという意図もあったであろうとも思う(そちらのほうの意図がメインだったのかもしれない)。
単に「シニア世代はなぜ右傾化するのか?」という謎を解くだけならば、必要ないんじゃなかろうかと思えるほど右翼の歴史から日本のネット史、政治史に関する情報をきっちりまとめて詰め込んできているからである。
これならば今後何かしら「シニア右翼」に関連して問題が起こった時に即座に「なぜシニア右翼が問題を起こすのか?」的なコメントを用意する事が出来るのでコスパも良い。
◆◆◆
という事で本書は右傾化したシニア世代の状況であったり、昨今の日本に右傾化する人が多い理由だとか、そういう事に関して、予想以上にきっちり情報がまとまっていて勉強になった。
……が、手放しで褒めるにはいくつか疑問のある内容だったように思える。
何より疑問に思えたのは、そのようにけっこうきっちり情報をまとめてきているというのに、やけに参考文献の提示が少ないという点である。
ここで「え、資料を提示するのがそんなに大事なの?」などと思ってはいけない。
「シニア右翼」は本書では、人気の保守系言論人たちが発言する内容をそのままうのみにして受容・拡散していると半ば批判的に扱われているのだが、彼らが保守系言論人の言説を無批判に受け取ってしまうのは、何より「シニア右翼」らが体系的な知識を持っておらず、確固たる民主主義の価値観も持っていないからだ、と本書でも指摘されている。
だから簡単に理解できる「本当の真実はここにある!」といったようなYoutube動画にコロリと騙されてしまう。
逆に言えば、ちゃんとした歴史的知識を持っており、民主主義的な価値観についても理解していれば、半ば陰謀論的な歴史修正主義の動画になど騙されないという事なのだが、肝心なのは、その「ちゃんとした歴史的知識」はどうすれば手に入れられるのか、という所である。
先日も紹介したガレス・レン&ロードリ・レン『サイエンス・ファクト』では「現代科学は科学的根拠に基づいて構築されているが、その根拠が意図的に選択されれば、科学はいわば虚実を織り交ぜたフィクション(うそ)と化してしまう」と指摘している。
歴史修正主義者が自分に都合の良い「事実」をでっちあげる際、しばしば行っているのがこのような「根拠を意図的に選択する事」であると言っても良いだろう。
だからこそ「それを事実だと主張するのは、どの資料に基づいて言っているのか」という事が重要になってくるのだ。
自分の意見に都合の良い資料ばかりを選択していたり、偏った資料ばかりを選択していたり、既に否定されている根拠に基づいていたりしたら、おのずとその主張は歪んでしまうのである。
教科書にも出てくるような一般化された歴史知識だったらまだしも、例えば本書のコラムに書かれている日本の宗教と政治の近現代史については、かなりしっかりと情報を詰め込んでいるわりにほとんど参考文献の提示がない。では、戦前からの新興宗教の流れと言うのは、著者は何を元にして書いているのか。
おそらく様々な参考資料に基づいて書かれているのだろう、というのは読めばわかるのだが、その際に内容をファクト・チェックするには「どの資料のどういった記述を踏まえて書いているのか」という事が分からなければ、ちゃんとした学術的な根拠なのかそれとも何者かが唱えた仮説なのかアヤシイ人物の異説なのか、というのも分からない。
そうやっていちいち裏を取るような手間をかけるしっかりした知的な読者をする人がいないからこそ、人気のある言論人の発言を無批判に受け止めてしまう人が多い、――という事を本書でも批判していたのではなかったのか?
読者に知的な言論を求めるのならば、まずはご自身からその模範としてこの手の社会科学的、歴史科学的な形式にこだわってほしいと思う。
例えば、本書で言及されている世代別の主なSNS利用率についても、参照しているのが何故か過去の2017年版の総務省『情報通信白書』だと分かるからこそ、「え、じゃあ何でネット上で最新版まで簡単に手に入る『情報通信白書』をわざわざ過去の情報で示しているの?」「それって恣意的に過去のデータを拾ってるわけじゃないよね?」等といった疑問も参照元が分かるからこそ出てくる疑問だろう。そういう出典さえなければ、それこそその情報をうのみにするしかない。
(※ちなみに本書で引用されている世代別の主なSNS利用率は2020年までネット上で参照できる総務省の資料で確認できる。https://www.soumu.go.jp/main_content/000765258.pdf を参照の事)
そういう事さえも「まあ、書くまでもなく常識的な話だからこそ、あえてその出典は示していないんだろうな」と好意的に受け取ってくれるのが、専門家でもない平均的な一般的な読者というものである。
「だからトンデモ理論に飛びついてしまう」……というのが、Youtubeに出てくる出典のアヤシイ情報でも簡単に信じてしまうシニア世代を批判していた理由の一つになっていたのではなかったのか。
本書はそれなりに情報量も多くて説得力もあるのにも関わらず、どこか学術的な厳密さの抜けた「甘さ」が気になってしまう、惜しい作りの内容であった。
だから、内容は面白いと思いつつも、著者の主張や情報を信用しきれないのである。
シニア世代の無知無教養さを批判するのならば、まずご自分の足場をきっちりと固める意味でも、そういう学術的厳密性にこだわっていただきたいと思う。
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