適応障害の「適応」を改めて考えてみる
適応障害と診断されてから、半年が経ちました。
診断されるまでは、知っていたけれど、そこまで自分のアンテナが反応していなかった言葉、診断名。
だけど、一度診断されてからというもの、ネットの記事にあったりするとわたしのアンテナが反応するようになりました。
そうすると、適応障害と一言に言っても事例は様々で、「適応」っていったい何なのだろうと疑問に思い始めました。
今日はその疑問をすっきりさせるべく、自分なりに色んなパターンで考えてみたいと思います!
*******
「適応障害」・・・
診断された時は、名もない自分の苦しい状態に名前をつけて休みをもらえたので、救われた気持ちになりました。
ただその一方で、「適応」というと、自分がその状況に上手く対応できなかったというニュアンスが強く感じられて、悔しいような悲しいような気持ちにもなりました。
改めて、「適応」という言葉を調べてみると、
と出てきました。
つまり、
図などで想像するならば、
凹ー凸やN極ーS極というようにぴったりはまったり、もし凹ー凹やN極ーN極の関係であっても、形や向きを柔軟に変えて当てはまるようにできることを指すのでしょうか。
そうこう考えていると、
果たして「適する」は誰の基準なのか
という疑問が挙がり、
また、
「適する」というものは極めてあいまい
だということが考えられます。
それをもとに、
ここからは、例を出して考えていきたいと思います🐻
例えば、学校にジャイアンがいた場合。
ジャイアンは結構衝動性が高くて、殴ったりするけど、本当は友達想いで優しいところがある。歌も好きだから歌ってる。
仮に
ジャイアンが凸
クラスメイトも凸の関係性だとして、
クラスメイトがジャイアンの衝動的な面ばかり見て非難してしまったら、途端にクラスメイト(集団)に対して、ジャイアンは「適さない」存在となってしまいます。
でも、クラスメイトが、ジャイアンはすぐカっとなっちゃうこともあるけど、本当は優しくて、一緒に遊びたかったから怒っちゃったりするんだってわかってくれる人たちだったら、
ジャイアンが凸で変わらなくても
クラスメイトが凹に変わることで
ジャイアンはその環境に「適応」することができる。
仕事の場合は。
例えば、
コンフォートゾーン(安心)
ラーニング(ストレッチ)ゾーン(挑戦)
パニックゾーン(まさにパニック!)
という言葉を多々耳にすることがあるかと思います。
これは、その人にとっての仕事内容などが、どの程度にあるかということを指して、決して量によって一律にゾーンが決まる訳ではありません。
その人によって、仕事内容によって、また仕事外で抱える問題によって(家庭など)変わってくるかと思います。
この場合、通常「適切な状態(自分を安全に高められる状態)」とは、
コンフォートゾーンに適宜ラーニングゾーンに当てはまる新しい刺激を取り入れる状態と言われています。
これが、自分の苦手な仕事や抱える仕事量が多いなどの理由で常にパニックゾーンになっていると、抱えきれなくなり、「適応」できなくなってしまいます。
果たして問題はどこにあるのか?
こうして例を挙げると、
一個人が入った環境に
たまたま合えばラッキーだし、
合わなかった時、合わせようと努力をするとうまく合う場合もあるし、頑張りすぎてパニックゾーンになって結局合わないままになる可能性があることが分かります。
そんな時、環境ははじめ合わなくとも、環境(やり方や周りの人)が変わることで、合うようになることもある・・・
そう考えていくと、適応障害って問題が一つにあって、一方向性に考えるものではなくて、そもそも全部が問題で、双方向性、多方向性なのかもしれないなと思いました。
だから、自分が合わなかったと考えてしまったら何も変わらないし、会社のせいと考えてしまっても何も変わらない。
自分はこうゆう部分があるし、会社にもこうゆう部分があった。
そうやってドラマの相関図を書くみたいに、広い視点で見て初めて、次に進めるようになるのかなと、一通り考えて思いました。
あーすっきりした。
適応って概念難しいけど、自分だけの問題じゃないとわかるだけで楽になりますね^^
***********
もし同じように疑問に思っていたり、苦しんでいる方が、この記事を読んですっきりしたり、楽になれたら嬉しいなと思います。
時々自分の無力感を感じることもありますが、社会は、互いに適応させたり、適応してもらう関係なのかなと思い、自分にできることをまた日々取り組んでいきたいと思った次第です^^
いいなと思って頂けたら、スキして頂けると嬉しいです!
また、他のご意見もあれば、ぜひお聞きしたいです^^
それでは、また!