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「ありがとう」の五文字が言えなくて
ワタシのうつ病が発症したのは、きっと21歳の春頃だったと思います。
幼稚園で働いていた頃、劣悪な環境下で馬車馬のように毎日働いていました。
残業手当は年に数回のケーキだったし、毎日訳も分からずサンドバッグのように叱責される日々。
それが当たり前であり、仕事ができない自分のせいだと責めていたあの日々から、きっとワタシの心は取り返しのつかないところまで、壊れてしまったんだと思います。
21歳の秋ごろに仕事に行けなくなり、毎日外を眺めながらどこかで「早く働かないと」そう焦ってばかりいました。
自律神経はやられてしまい、時には大人なのにも関わらずおねしょをしたり、クローゼットの中に入りながら泣いたりもしました。
そして意味もなくイオンに行っては、物欲を抑えるためにひたすら服を眺めたり、全フロアをうろうろしたりもしました。
そんな奇行が目立ち、数回の心療内科通いを経てワタシはもう一度、保育園の先生として働くようになりました。
保育園で働き始めた頃はとても楽しかったのを覚えています。
充実感に溢れていたし、何より子どもたちのために働けることが嬉しかったです。
新人というだけで雑用ばかりを押し付けられ、そして子どもたちと関わることを咎められていた幼稚園時代と違って、雑用を率先して行おうとすると、先輩から「子どもを見てあげて」と言われ、涙が溢れてしまいそうになりました。
だからワタシは、保育園の先生になったことで「あの環境が異常だったんだ」と思えるようになり、冗談混じりに友人にも「もしかして『うつ』だったのかもね」なんて笑い話にしていたくらいです。
けれども本当は、心に多くのヒビが入っていたことに気づかなかっただけでした。
保育園で先生をしている間、ワタシは極端に失敗を恐れるようになりました。
病的なまでに熱心にメモをとって、自分以外の人が注意されたことでもノートに書き留めて、何度も何度も読み返すようにしました。
自分が言われてしまったことは一週間以上も悩んで、時には泣いて、そして猛烈な不安に襲われるようになりました。
けれども園に行けば、「せんせい」として、明るく振る舞えていたのです。
純粋に笑えていた時もあれば、どこかで胸がキュッとなりながらも無理やり笑っていたこともありました。
けれどもコロナが流行り出してから少しずつ職場の雰囲気が変わり、幼稚園時代の時みたいな光景を度々見かけるようになりました。
ふとした瞬間に動悸が止まらなくなり、次第にご飯が喉を通らなくなってしまいました。
そして先輩同士が争う姿や、自分以外の人が怒鳴られたり、叱責されたりしている様子を見るたびに、一つ、また一つと心にヒビがはいっていきました。
そんな中で出会ったのが、ましゅぴ(夫)でした。
彼はワタシが病的に痩せた姿しか知りません。
そして元気で明るい時代も知りません。
出会った頃から様子がおかしかったのか、常に何かに怒りを覚えて、彼を問い詰めたり、時には大声で怒鳴りつけたこともありました。
かと思えば、急にクローゼットの中に入り号泣したこともあります。
その間、彼は文句一つも言わずにただひたすらそばで寄り添って、「大丈夫、大丈夫」とクローゼットの中にいるワタシの背中をさすり続けてくれました。
その間にもワタシの体はどんどん衰弱していき、立つこともやっとの状態になった時、初めて彼は泣きながら「仕事を辞めて欲しい」と言いました。
その言葉を聞いた瞬間、ワタシは鬼の形相になりながら彼を怒鳴りつけたのです。
「お前に何がわかるんだ!この辛いワタシの気持ちがわかるのか!」そんな気持ちで、ありとあらゆる罵詈雑言をぶつけた記憶が・・・あります。
それでも彼は離れようとはせず、何度も何度も「大丈夫だから。僕は敵じゃないよ」と言い続けました。
そんなやり取りが数ヶ月も続いたある日、とうとうワタシはベッドから起き上がれなくなり、そして仕事にも行けなくなりました。
結局、その年の10月末に仕事を退職せざるを得なくなってしまったのです。
それからの約二年間はワタシにとっても、そして彼にとっても地獄のような日々だったと思います。
そして今のワタシはうつ病が治ったわけではなく、たまに暗い感情が体を覆い隠すような日がやってきたり、ほんの少しだけ穏やかな気持ちになったり、時には子どものように泣いたりと、感情のジェットコースターに乗りながら日々を過ごしています。
彼は変わらずワタシを支え、時には一緒に泣きながら、そしてまた「大丈夫、大丈夫」と背中をさすってくれるのです。
うつ病の真っ只中にいる間、世界はとても狭く、そして苦しいものだと思っていました。
誰も味方がいない。
誰も助けてくれない。
自分だけが辛い。
そう思っていました。
けれども少しずつ回復に向かい始めた今、本当はうつ病を患っている人と同じくらい、支える人も辛いことに気づきました。
感情のまま言葉をぶつけられた時、きっと支える側の心も傷ついていることに気づきました。
今にも壊れてしまいそうな姿を見つめる時には、きっと心が張り裂けそうな思いになりながら寄り添っていることに気づきました。
たくさんたくさん感謝の気持ちを伝えたいはずなのに、ワタシは彼に言葉で「ありがとう」の五文字が言えないのです。
だからきっとエッセイという形で、物語の中で、感謝を伝える方法を選んでいるのかもしれません。
本当は言いたくても言えない気持ちを、文章に綴って・・・。
「『大丈夫、大丈夫』そうあなたに言われるたびに、心の中では(ありがとう)の気持ちでいっぱいでした。けれどもワタシはその五文字が言えずに、真逆の言葉であなたをたくさん傷つけてきました。
痛みを知っているはずのワタシは、一番大切にしなければならないあなたの心の痛みに気づこうとはせず、『きっと受け止めてくれる』と甘えていたのかもしれません。
本当の意味でうつ病だと自覚してから4年が経とうとしています。
その間、あなたは変わらずそばで背中をさすり、時には頭を撫でて『ずっと味方だよ』と言い続けてくれました。
その言葉が、その愛情が、きっとワタシの心の塗り薬となって傷を薄くさせてくれたんだと思います。
直接言葉にできないワタシを許してください。
けれどもその想いも、優しさも、ちゃんと届いているから、どうか、どうか、これからもそばにいてください。
寄り添ってくれて、支えてくれて、本当にありがとう」