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銀色の世界に溶け込んでゆく更地は
能登半島地震から一年が経過し、SNSなどを見るとたまに悲しい言葉が並んでいることがあります。
「もう随分復興してるじゃないか」とか「復興していないのは嘘だ」とか、時には「過疎地域なんだから忘れられて当然だ」なんて言葉も。
もしもワタシが住んでいる家が、ある日突然、自然の脅威の前になす術なく崩れていき、住むことができなくなった時、そのような言葉を目にしたらこの世界中に優しい人なんて一人もいないんじゃないかと思ってしまうほど、強い言葉の数々だったのです。
だから「少しでも現状を、心ある人たちに見てもらいたい」そう思い、今年もまた珠洲市の祖母の家へと向かうことに決めました。
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ワタシの家族と夫も含めた5人で行くこととなったのですが、1日の日には泊まれる場所がなく、日にちをずらしてワタシと夫は祖母の仮設住宅へ、他の家族は別の宿へと泊まることとなりました。
急激に寒さが増した能登半島は、行った頃から雪が降り始めていて、心まで冷えてしまうほどの冷たいみぞれと共に私たち家族を迎え入れてくれたような気がします。
夏頃に訪れた時にはまだ瓦礫の山は残り、道路もガタガタ道で、曲がり過ぎた標識が車にぶつかってしまいそうな角度で道の端っこに立っていました。
けれども今回行った時には、道は少しずつ舗装されていて、曲がった標識や瓦礫の山が減っているような気がしたのです。
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その時ワタシは、「もしかすると、本当に復興が進んでいるのかもしれない」なんて安易なことを考えてしまったのです。
ただ田舎とはいえ、やっぱりこの時も人の姿も、声も、正月らしい飾りたちもほとんど見かけることがありませんでした。
静まり返っている仮設住宅に着いてすぐ、予約をしていた宿に祖母と叔父も連れて向かうことにしました。
宿に向かっている最中、私たちが何度も訪れた祖母の家の前を通ったのですが、誰一人として気づくことなく、通り過ぎようとした時、祖母が「もう、隣の家も壊してしもうたわいね」と言ったのです。
その言葉を聞いた瞬間フッと横を向くと、隣の家は跡形もなく更地になっており、その周辺の家々も更地になっていました。
ポツンと残された私たちの家だけが、寂しそうにその場所に残されている、そんな印象を受けたのです。
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宿について少ししてから、ご飯を食べながら久しぶりの家族団欒となりました。
そして夕飯を済ませてワタシと夫は、叔父の車に乗って仮設住宅へと戻りました。
「ばあちゃん、仮設住宅は相変わらず静かだね」
「おいね。みんなシーンとしとるよ」
「そっか」
そんなやり取りをしながら、ふと叔父がこんなことを話し始めました。
地震発生からすぐに色々な人が思い出の場所に土足で入り込み、思い出の品を勝手に持って行ったり、その場所を荒らして帰っていったことがあったそうです。
もう震災から一年が経ち、そんなこともないだろうと思っていたつい最近にもまた、泥棒が家の中に入り込み、ゲーム機や、祖父が集めていた骨董品などを持ち出して行ったそうです。
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そしてその一部の人が解体業者の人だったり、ボランティアに来ている人だったりということを、この時初めて聞かされました。
こんな状態で、「きっと盗む人なんていないだろう」そう思っていても、その気持ちを簡単に踏みにじって大切な思い出ごと盗んでいく人がいることに、ショックを隠しきれませんでした。
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それからまた、いろいろな話をしていく中で「復興は進んでいる感じなの?」と聞くと、祖母も叔父も口を揃えて「何にもかわっとらんよ」とだけ言ったのです。
今回は、2日、3日と一泊二日の帰省となりましたが、現地の人たちと話をしたり、祖母たちと話をする中で、やっぱり「復興」とは程遠いことを痛感したのです。
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確かに道は通れるようになりました。
崩れた瓦礫は仮設住宅付近の集積所へと集められて、少しずつ更地になっている家も増えています。
でも、それだけです。
ようやく、最低限の生活ができるようになった。
それだけのことだったのです。
好きな時に買い物が行けて、周りを気にせずにゆっくり自分の家で体を休めて、時には談笑を楽しんだり、正月の祝いをみんなで喜んだり、そんな気持ちにはまだまだ到底なれないことを痛感しました。
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誰もが口を揃えて「1月1日の日は、怖くてたまらなかった」と話していたのです。
もう一度、あの大きな地震が家を襲うかもしれない。
今度こそ本当に、この場所で住めなくなるかもしれない。
大切な人を失ってしまうかもしれない。
そう誰もが思っていたそうです。
そしてポツンと残されていた祖母の家も、今年の冬には更地になることが決定しています。
もう一度あの場所に家を建てたくても、そんなお金もなければ、地震が来ないという保証もありません。
だから結局は思い出の場所だけがなくなって、その場所に行って、涙を流すことしかできないのです。
「復興」とは、最低限の生活ができるようになることではなく、その場所に住む人たちが心から笑って、周りのことも気にせずに普通に暮らせて、好きな時に買い物が行けて、祝い事を純粋に喜べて、活気ある場所に戻ってこそ本当の「復興」と呼べるのではないでしょうか。
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ワタシはこれからも珠洲の町を訪れて、ありのままの状態を、自分の目で確かめてきた真実を、こうして文章に載せて伝えていきたいと思っています。
どうかSNSに載っている言葉だけが全てだとは、思わないで欲しいのです。
その場所に行って、現地の人の声に耳を傾けたとき、本当の言葉を聞くことができると思うから。
そして同じ石川の血がワタシにも半分流れ、思い出の家がなくなった一人として、これからも伝え続けていきたいと思います。
いつの日か、本当の意味で「復興」に繋がるように。
能登の人たちの生きている場所が、大切な故郷が、忘れ去られないように・・・。
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