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「陸行水行」 松本清張


 安心院(あじむ)町の妻垣神社に参詣したとき、古事記や日本書紀に出てくる地名であること、伝説の神武天皇が立ち寄り、足一騰宮(あしひとつあがりのみや)を建てて宇佐津彦命と宇佐津姫命の兄妹が歓待したことを知った。記者時代の清張が宇佐神宮の調査で何度も訪ねてきたこと、妻垣に宿泊をしたり手紙で地元住民と交流していたことも知った。

 8年前に近くの鹿嵐山(かならせやま)に登った。奇岩がたくさんあり、スリルもあった。この辺りの岩の表出は西に位置する耶馬溪同様に海底の隆起と浸食によるものだろう。北に転じれば宇佐神宮があり、安心院町を含め至るところに歴史が感じられ、古代への想像は尽きることがない。国東半島では神仏習合というイデオロギーが生まれた。1983年に清張は豊後高田市の猪群山を訪ね、ストーンサークルと言われる巨石群の共同研究をおこなった。僕も何度も登ったことがあるが、古代人はなぜこのような巨石を山上に配置したのだろうか。

 この小説は1963年の作品で、処女作が1951年の「西郷札」なので、12年後の54歳の頃であり、古代史ブームの盛りだった。小説の内容は古代邪馬台国論争を題材としたミステリーと言える。古代史を知ることはルーツを知ることかもしれないし、今を生きる私たちの古代への夢かもしれない。それは人間特有の知識欲であり、己のアイデンティティーでもある。

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