最後は「やがて哀しき」
樹木希林さんのドキュメンタリー映画が公開されるそうです。
少し前にこの映画の元となるNHKの密着ドキュメンタリーを観て、死ぬほど感動しました。
この本からしばらく樹木希林さんブームです。
そもそも私のブームの発端は、
6階から飛び降りて生き残ってしまったカウンセラーでお馴染みの(どんな紹介w)
親友の 西りかさんに
「この本、Tomoちゃんが書いたかと思ったよ!」
と言われた本がありまして...
Amazonですぐに取り寄せ
あまりにも感動し
一晩で読みきりました。⬇
『一切なりゆき』
ほんとに私が書いたみたい。
(はい、土下座します。笑)
長きにわたり孤高の俳優として活躍された
樹木希林さんのこれまでのインタビューを集約した本です。
~一切なりゆき(はじめに)より~
'' 近年では、『わが母の記』や『万引き家族』などで見せた融通無碍な演技は、瞠目に値するものでした。まさに平成の名女優と言えるでしょう。
樹木さんは活字において、数多くのことばを遺しました。
語り口は平明で、いつもユーモアを添えることを忘れないのですが、じつはとても深い。
彼女の語ることが説得力をもって私たちに迫ってくるのは、浮いたような借り物は一つもないからで、それぞれのことばが樹木さんの生き方そのものであったからではないでしょうか。
本人は意識しなくとも、警句や名言の山を築いているのです。
それは希林流生き方のエッセンスでもあります。''
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プロのインタビュアーでさえ唸る
彼女の達観した生き様と感性が垣間見れる
貴重な本です。
そして、この「一切なりゆき」は
私にとって魂を揺さぶる言葉たちが
載った本でした。
樹木希林さんといえば、
「万引き家族」での演技が記憶に新しいのですが
私は、1980年代に「美空ひばり物語」で
ひばりさんのお母さん役を演じた樹木希林さんが今でも忘れられません。
当時私は、
6歳くらいでしたが
「この女優さんは凄い!!」と子供ながらに
強烈な印象があったことを覚えています。
(もしかして、私に審美眼があるのかも...笑)
樹木希林
「一切なりゆき」より
同じ価値観に共鳴し、心に焼き付けたいと思った言葉たちを抜粋してご紹介したいと思います。
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○人生なんて自分の思い描いた通りにならなくて当たり前
私自身は、人生を嘆いたり
幸せについておおげさに考えることもないんです。
「こんなはずでは...」
というのは、
自分が、目指していたもの、思い描いていた幸せとは違うから生まれる感情ですよね。
でも、その目標が
自分が本当に望んでいるのものなのか。
他の人の価値観だったり、
誰かの人生と比べてただ羨んでいるだけのものではないか。
お金や地位や名声もなくて、
傍からは地味でつまらない人生に見えても
本人が「ああ、幸せだなぁ」とおもっていれば
その人の人生は輝いていますよ。
○自分はなにほどのものでもない
さらされて恥ずかしかったり、
ちょっと削られて痛かったり、
そういうものをそのまんまぼーっと出すのが
案外、こんな人間がこうやって生きているんだなという、
ひとつの存在価値みたいなものになるのかなという氣がしているんです。
私がお客だったら、そういうセコい人の人生を見たいなと。
○人間でも一回、ダメになった人が好きなんです
私は物を消費することに真実はないと思ってますからね。
だから、人間でも一回ダメになった人が好きなんですね。
たとえば事件に巻き込まれてダメになったひとという言葉はおかしいけれども、
一回ある意味の底辺を見たというのかな。
そういう人は痛みを知っているんですね。
だから、いろんな話ができると同時に
またそこから変化できるんです。
○「人は死ぬ」と実感できれば、しっかり生きられる
(人生が)終了するまでに美しくなりたい、という理想はあるのですよ。
ある種の執着を一切捨てた中で、
地上にすぽーんといて、
肩の力がすっと抜けて。
存在そのものが、
人が見た時にはっと息を飲むような人間になりたい。
形に出てくるものではなくて、
心の器量ね。
○人間そのものにはすごく興味があるんです
私はひとのこと嫌いなんです、
煩わしいから。
見なくてもいいのに、
あさっての方向を見て人間の裏側を見ちゃうみたいなね。
だけど裏腹に、
人間そのものにはすごく興味があるんです。
だから、ものを創るという点でその興味を出して、普段は独りでいい。
今でも芸能界の只中(ただなか)にはいないで、
ちょっと外れた、
自分にとって1番心地のいい場所にいるんですよ。
○豊かな人間に、どの方向へ行ったらなれるのかなぁ
いつまで経っても、人間として、
なんて言うか、
豊かな人間に、どの方向へ行ったらなれるのかなぁって、
役者としての仕事より、
そっちの方に興味があるんですよ。
○自分の変化を楽しんだほうが得ですよ
実際、(年老いて)口のまわりに何かついていても全然氣づかなくなっていたりして、
自分でも「よく氣がつかないもんだなぁ、おもしろいなぁ」と感心します。
そうやって、何でも面白がって毎日を楽しく過ごしていたら、いい歳のとり方が出来ると思うのです。
○それは依存症というものよ、あなた
「老い」とか「死」とか、
そういうテーマの取材が沢山来て困っちゃうのよ。
私がこういう取材を受けるメリットはどこにあるの?
あなた方のメリットはわかるの。
えっ、
私の話で救われる人がいるって?
それは依存症というものよ、あなた。
自分で考えてよ。
○楽しむのではなくて、
面白がることよ
面白いわよねぇ、世の中って。
頭の中でこねくり回す世界よりもはるかに大きくて。
予想外の連続よね。
楽しむのではなくて、面白がることよ。
中に入って面白がるの。
面白がらなきゃ、
やってけないもの、この世の中。
○最後には「やがて哀しき」に終着するのです
「おもしろうて、やがて哀しき」
私は人間という存在そのものが
「やがて哀しきもの」だと思っています。
日本人には「ものの哀れ」という感覚がありますが、人はみな、どんな人生を送ろうとも
最後には「やがて哀しき」に終着するのです。
○どんな役でも同じ人間という体をしている以上は共通する部分が必ずあるんです
たとえ殺人犯の役であっても、何かその人が生きるだけの道理があるわけですよ。
それを上から目線でかわいそうな人だとか、
残酷な人だとか思って演じるのではなくて
自分に重ねるように、すっと役に入っていく。
私はいつもそこに自分がいるのね。
○人の人生に、
人の命にどれだけ自分が多く添えるか
人の人生にどれだけ自分が多く添えるかという、その体験の豊かさがいい役者かそうでないかというふうに思うんですよね。
だから、ひとつの「やさしさ」という言葉でも
どれだけ違うかと言うことなんですね。
何人かの人と付き合って、
その人が死ぬ時に「あいつ、やさしい人間だったな」と思ってもらえるような、
そういう添いかたをそれぞれにしていきたい。
そういうふうになっていったとき、
すごく色っぽい女になるんだろうなと思うんですよね。
以上、「一切なりゆき」より抜粋
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神と人間を繋げたがるスピリチュアルカウンセラーが多い中で
私は、「人類みなクソ」だと言っている
変わり者です。(変態です)
それと同時に「自分はなにほどのものでもない」と思っています。
決して卑下したり、
馬鹿にしたり
「クソ」が悪いものだと思っていません。
人間はただ美しいだけではなく
可笑しく
愛おしく
哀しきもの
だと思っているのです。
だからこそ、人間は
「おもしろうて、やがて哀しき」になるのだと。
それこそが、人間の醍醐味だと。
(それは、神だって味わいたくても味わえないもの。)
樹木希林さんは、
自分自身の「可笑しさ、愛しさ、哀しさ」という人間らしい面白さを体現化している数少ない人です。
私もきっと、そうなります。
また、希林さんは
(目に見える)「豊かさを得る」のではなく
「豊かな人間になる」と表現しています。
「豊かさ」について私も何度かブログで書いてきましたが、
今よく巷で言われる「豊かさ」は、
ほとんどが目に見えるものです。
希林さんのいう「豊かな人間」とでは、
その言葉の奥深さに雲泥の差があると感じています。 次元すら違います。
「豊かな人間」とは、
人に寄り添える人間であること。
その器量があること。
寄り添うことは、
他人の基準ではなく
自分自身の本質的自立をして
初めてできることだと思います。
「そのままの自分」が居てこそ、
人の人生と寄り添うことができる。
そこにあるのは、
目に見えるモノではなく
人間の柔らかな愛です。
今回、この本に出会えて本当に良かった。
りかさん、教えてくれてありがとう。
最後に、
樹木希林さんの葬儀での
内田也哉子さん(娘さん)の
喪主代理挨拶も収録されており
この一節もとても素晴らしく心に染みました。
~~内田也哉子 喪主代理の挨拶より~~
'' 怖氣付いている私は、いつか言われた母の言葉を必死で記憶から手繰り寄せます。''
「おごらず、他人(ひと)と比べず、面白がって、平氣に生きればいい」
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★ブログ
「全開の私を生きる♡
~変態と呼ばれてもいいじゃない♪」より転載
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