受験体験記

 受験は嫌いだ。あれを家業にしている輩の気がしれない。余程、血も涙もない連中だと思う。金を貰って勉強を教えるということはその金額に見合った勉強を教えるということだ。こうなると金を積めば良いではないかと考える人がいる。
だが、人間万事塞翁が馬で上手くはいかない。金を積んだ側は躍起になって金をギャンブルの様に積み立て始める。教える側はそれに応えようと必死になる。

 これでも上手くいかないとなると塾なんぞは要らない。私自身、塾なんぞは一編も行ったことがない。故にこう偉そうにふんぞりかえることができるのである。もっとも、金がないから行かなかったのである。

 学校に行ってるのだから塾に行くなど二度手間であると両親も考えていた。我が家のモットーは教師は使い倒してナンボである。何のために税金を払っているのか。それは教師を使う使用料である。

 今考えてみるに塾に行けばもう少し頭の出来が良かったかもしれない。元来、座って静かにしているのが嫌で授業もよくエスケープしていた。それでも、教師の話の大義さえ掴めばなんとかなるもので成績がビリになることはなかった。真ん中である。

 高校は本ばかり読んでいた。高一のときの好きな作家は開高健、高二になると三島由紀夫、高三で川端康成と変遷した。外国文学もよく読んだ。ヘミングウェイ、カミュ、オーウェル、ジッドなど。一丁前に文学を嗜んでいた。大江健三郎だけは苦手だった。前期の短編は面白かったが長篇となると意味不明だった。

 朝、学校に電車で行く。田舎ゆえに電車は空いていた。授業まで無駄話(授業中も無駄話)をして、昼休みを迎える。昼休みはテニスコートで本気を出す。午後の授業は疲れ切ってうわの空、しかし昼寝はしなかった。掃除の時間も無駄話をする。部活もテキトーにやっていた。よくサボって帰っていた。

 家に帰ると風呂に行く。近くに温泉施設があるから日課になっていた。海を見渡せる露天風呂で悦に浸り、フルーツ牛乳を飲んで帰宅する。晩御飯をかき込み、世界の衝撃映像を家族と一緒にテレビで見て、猫と一緒に寝る。ちなみに就寝時間は21時。

 学校に慣れてくるとだらけ始める。授業中に無駄話をするまでは良いのだが音楽好きの性格が祟って授業中にイヤホンをつけ始める。オリコンを聴いて好きな曲を見つけるとCDを借りてきてダウンロードする。パソコンで音楽を聴く習慣はここから始まった。

 根っからの漫画派で近くのBOOKOFFに行っては大人買いをしていた。そのせいで常に金欠という問題に悩まされていた。昼ごはんを蒟蒻ゼリーで済ませたこともある。

 今考えるとだいぶ不毛な生活をしていた。部活に行かず神社を巡ったりしているのはさすがにやばかったかもしれない。それでも、親は何も干渉はしなかったし、先生にも何も言われなかった。気楽な高校生活である。

 それでも受験が来るとそうは言ってられなくなる。周りが受験一色に染まる。空気が変わるのだ。昼休みも皆参考書を開いている。こうなると話相手がいなくなる。私も仕方なく教科書を開いている素振りを見せる。

 第一に、高一高二と勉強をしてない奴が焦りだす。焦るぐらいなら勉強をしてれば良いんだと知り合いに言った。自分のことを棚に上げてよくそんなことが言えたものだと今になって思う。

 私立に行くのは決めていた。国立の場合数学と理科をやらないといけない。数学も理科も話は好きだったが試験となるとどうも苦手だった。ちなみに私の父は理学部物理学科出身である。

 これからは私の受験対策であるがあまり参考にならないと思う。まず、国語であるが日本人だから問題なしと保留にする。次に英語、これだけはやらないとどうしようもない。とにかく毎日触れるのを習慣づける。ペーパーバックを読んで多読する。ヘミングウェイあたりは文が読みやすいのでとっかかりやすかった。

 社会は元々得意だった。親戚に社会の先生で今は校長先生になっている方がいる。中央公論社の『世界の歴史』、『日本の歴史』という20巻ぐらいの本を勧められて中学生のときから読んでいた。毎朝、新聞を読んでいたことも効果があったかもしれない。おかげで世界史は模試でも満点を取っていた。

 保留にした国語だが、実際のところ上手く出来ていた。親の文学好きのせいもあってか我が家には集英社の『日本文学全集』があったためなんやかんや乗り切っていた。森鴎外、島崎藤村、横光利一、堀辰雄、今日出海、安岡章太郎などをよく読んだ。古典は元々好きで、岩波や小学館の日本古典文学大系という大きめの本を読んでいた。『古事記』『枕草子』『源氏物語』『平家物語』『神皇正統記』あたりを愛読していた。大概、知っている文章が出題されるからよく出来た。

 一つ言い忘れていたが、定期試験は無視していた。授業を聞かないと点数の取れないという仕組みが面倒くさかったのかもしれない。推薦を使わないから良いかとの考えがあったのかもしれない。

 第一希望は早稲田大学、第二希望は明治大学、第三希望は法政大学で出願した。本当なら上智大学に行きたかったのだが、TEAPなるものがどこで受けられるのかわからなかったため縁がないと判断した。

 早稲田を受けることにしたのは一度訪れたときのキャンパスの雰囲気がとても良かったことと学費が私立の中では安いという下世話な理由である。

 赤本をとにかく解いた。過去問を制す者は受験を制すと勝手に決めつけていた節があった。親に赤本をメルカリで買って貰い、勉強していた。

 法政大学は見事合格できた。明治大学は一番できたと感じていたが不合格だった。しかも、早稲田大学の試験前に発表であったため、早稲田の試験は士気が低かった。

 そもそも早稲田の受験にはあまり乗り気ではなかった。得点調整なるものを知ったのは受験の二週間前である。この得点調整が癖もので良い点を取っても平均点に圧縮されてしまうため普通の点数になってしまう。逆に悪い点数を取ると見るも無惨な結果となる。とうとう嫌になって早稲田の赤本を投げたこともある。

 諦めていたから合格発表日は忘れていた。ウカロの通知がうるさいので見てみると補欠合格と書いてある。はて、補欠? 三月の下旬に合格通知が届き無事合格できた。なんともグダグダな受験であったのを覚えている。

 親はホテルをとったり、赤本を買ったりしてくれていたため合格を伝えると喜んでいた。もっとも、どこの大学に行っても親は喜んでいただろう。この点、親には感謝しかないと思う。

 言えた身ではないが勉強はしっかりやった方が良い。ただそれだけのことだ。


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