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運動会への参加を手放せたのは、息子が身をもって教えてくれたから

「参加しても、しなくてもいいよ。ママはどちらでも〇〇くんが大好きだからね」

19kgある息子を抱っこしながら、耳元で伝えました。すると、顔をうずめていた息子が少しずつ運動会の様子を見るようになりました。


今日は、幼稚園の運動会。
昨日は雨により順延し、今朝もあさから小ぶりの雨。それでも開催が決まり、わが家も準備を進めます。

満3歳組と年少組が30分遅れで開催されたので、年中の息子も開場に向けてゆっくりと家を出発します。

参加したくなかったのにうまく意図をくめず、〇〇くんを怒らせてしまいました。

運動会前に先生からお電話があったとき、「やっぱりな」と思う自分がいました。

息子は集団で同じことをするのが苦手。
それは、できない自分を見せるのが嫌だから。

だからか、運動会の練習には消極的で遠くから加配の先生と見学していたと聞いていました。

私は、息子が嫌がることを無理強いさせるつもりはありません。集団でやる園の方針は理解しているものの、1番は息子の意思を尊重させたいのです。

だから、運動会について、次のように考えていました。

参加しても、しなくてもいい。
ひとまず、当日に幼稚園に行ければ100点だ。

楽しければ、勝手に行動します。
誰かに促さられずとも、自発的に動くものです。

だから、息子の意思に任せていました。


運動会は、年中と年長のプログラムが交互に行われます。初っ端から年中のかけっこ。

しかし、息子は決して抱っこから降りようとしません。そう、園に入ってから、パパママ交代で抱っこしていたのです。

「芝生で転んで汚れちゃう」
「できない」

できない

そう言って、涙を指で拭っていました。
重すぎておろすと、床に寝転がって地団駄。

相当イヤがっていたのに、私も欲が出てしまいました。だって、すぐそこの園庭でみんながかけっこをしていたのですから。

しかし、当初に掲げていた想いを思い出し、冒頭の言葉を息子に伝えました。

「参加しても、しなくてもいいよ。ママはどちらでも〇〇くんが大好きだからね」

すると安心したのか、体の力を抜いてくれました。かけっこは参加せずに見送り。

次のダンスは、クラスのみんなが踊る近くで見学。

そして、最後の親子競技は、クラス対抗の台風の目。親子2組の4人で棒を持ち、カラーコーンまで走りぐるっと戻ってバトンタッチ。

ママがいるからか、今までと違う動きをしてくれます。

  • ひとまずママも参加すると伝えて抱っこのまま列に加わったら、並べた!

  • 「みんな並んでいるから下に降りよう」と伝えたら、芝生の上に立ってくれた!

  • 前の人たちの順番が終わると、歩いて前に進んだ!

  • 息子は他の人たちの動きをじっと観察していた!

とうとう、前のペアが走り出しました。

次は私たちの番だ。
逃げ出してもいい。参加しなくてもいい。
でも、もし参加してくれたら・・・
すごく嬉しい!

そう心の中で素直に思えました。

前のペアから太い竹の棒を渡されたため一足先に棒を握ると、息子もつられて棒をつかみます。

すると、満面の笑みで駆け出すではありませんか!

私はふわふわした心地で、息子を見つめながら永遠とも思えるような時間を過ごしました。

全てがスローモーションのように、ゆっくりで穏やか。

走っている私は普段の世界からは切り離された、伸び縮みした別世界にいるようでした。

気づくと、次のペアに棒を渡すところ。なんだかトリップしたような不思議な感覚。頭頂部から足の裏まで、私を包む全てに幸せが溢れていました。

そして、息子を抱っこして

「よく走ったね!速かったよ!すごかったよ!楽しかったよ!」

と伝えたら、次から次へと目から溢れるものが。感極まっていました。

駆け寄ってくれた担当の先生も泣いていました。

「◯◯くん、よく走ったね!先生見てたよ!ステキだったよ」

いつも笑顔で話を聞いてくれる先生が泣いているのを初めて見ました。

毎日毎日、息子のために本気で奮闘してくれる先生。この先生のおかげで、息子は幼稚園に行きたがるようになりました。

その先生と3人で抱きあって泣きました。

何をするか決めるのは本人。たとえ、子どもであってもそれは守られてほしい。

周りからはみ出るとか、周りからどう思われるかを優先して息子に無理強いしたら、息子との信頼関係は破綻する。息子は周りの目を気にしていない。気にしているのは、この私だった。

いつも人の目に怯えていた私は、いつの間にか人の目を気にしない世界にワープしていた。変えてくれたのは、間違いなく息子だ。息子のおかげで自由になれた。

何者にも囚われない彼の生き方が、私に教えてくれた。

自由になれる世界があるよ。それを選ぶかは自分次第だよ。

と。

どう考えるかは自由。

であれば、私ができることは、息子を見守ること。信じること。愛すること。

どんな息子も受け入れる覚悟をもつこと。

でも……

願わくば、こんな世界が起きたらいいなぁという、意図を放っている。

できなくてもいい。失敗してもいい。ただ、チャレンジしてみてほしい。

それは親のエゴかもしれない。

正解は分からない。

それでも、息子が笑顔になれたことが正解だと思う。今日も一歩、息子が歩み出せたことを誇りに感じる。

だって、息子は自慢の子だから。

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おーつー(冨田裕子)
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