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早稲田の古文 夏期集中講座 第22回 『乞功奠(きっこうでん)』

乞功奠(きっこうでん)は陰暦七月七日の夜に行われる牽牛星と織女星の祭りです。宮中では清涼殿の庭に机を四つ置いて物を供え、周囲に燈台をたて、火取りには一晩中、空薫物(そらだきもの)を焚き、天皇は椅子から二星をながめ、詩歌の宴があったそうです。(『増鏡』(下)全訳注 井上宗雄 講談社学術文庫)

『増鏡』ではこの乞功奠の様子を記録した文が残っています。元亨三年、後醍醐天皇親政の頃の七月七日のことです。

「その七月七日乞功奠、いつの年よりも、御心とどめて、かねてより人々に歌も召され、ものの音(ね)どもも試みさせ給ふ。その夜は玄象(げんじょう)ひかせ給ふ。人々の所作、ありし御文(おふみ)にかはらず。笛・篳篥(ひちりき)などは殿上人ども鳴板(なるいた)の程にさぶらひて仕る。中宮も上の御局(みつぼね)にまう上らせ給ふ。御簾(みす)の内にも琴・琵琶あまたありき。」

この年は例年にもまして、念入りに準備したようです。天皇は玄象(げんじょう)という曲を奏上なさったようです。笛や琴や琵琶の演奏も続きます。そもそも音楽は天上界の神を楽しませるものであって地上の人々を楽しませるものではありません。

七月七日は牽牛星と織女星の神々を楽しませるものです。夜通し燈明をともし、天皇は二星を寿(ことほ)ぎ奉(たてまつ)るのが宮中の習わしだたのです。音楽の次は和歌の奏上です。

「御遊び果てて文台(ぶんだい)召さる。このたびは、和歌の披講なれば、その道の人々、藤大納言為世、子ども孫(むまご)どもひきつれてさぶらへば、上の御製、

 笛竹の 声も雲ゐに 聞ゆらし こよひ 他向(たむ)くる 秋の調べは

ずんながるめりしかど、いづれもただ天の川かささぎの橋より外の橋より外の珍しきふしは聞こえず、まこと、実教(さねのり)の大納言なりしにや、

 同じくは 空まで送れ たきものの にほひをさそふ 庭の秋風

げにえならぬ名香(みょうごう)どもぞ、めでたくかうばかりし。」

天皇の御製歌は、「管弦の妙音は天の川まで聞こえるだろう。七夕のこよい、(二星に)手向ける秋の調べは」という現代語訳がついています。(学術文庫『増鏡』井上宗雄訳注)管絃の妙音が天まで届けとの願いがこめられているのと同時に、星々の神々に地上の治世の安寧と天下泰平を祈願しているのです。

地上の帝王は天界の神々の天祐神助を祭りで祈願するのです。これは中国でも昔からあるもので、漢の武帝などが行った泰山の封禅(ほうぜん)の儀などは『漢書郊祀志』(平凡社東洋文庫)などにくわしく出ています。

「かささぎの橋」というのは、七夕の夜、二星が会う時、かささぎが翼を並べて天の河に橋をわたす、と信じられていたようです。和歌としてはとり立てて面白いものはなかったと作者は述べています。

天皇の御製歌が管絃の音をテーマでうたったのに対し、実教の大納言が、たきものの香りよ天に届けという、主題で歌っています。聴覚的にも嗅覚的にも、天界の神々の心の琴線を揺さぶろうとしたのです。

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