有名難関大学でも通用する英語を身につけるためには 【英語教育の本質について】
『思考の整理学』で有名な外山滋比古さんが、『日本語の論理』の中で、次のように記しています。
ここでは、言語記号の本質的機能は、象徴性にあるので、現実そのものを直接表現できるような事物との関係性が、あまりにも近い言葉は、創造性に欠けると主張されています。
それに反し、外国語は、日常との関係性が希薄であるために、「非現実的な仮想の世界」や「象徴的な世界」を表現しやすい、と言えるでしょう。
日本語は、外来語をすぐにカタカナにして日本語化するのが得意です。
そのため、日常使われていない事柄で、日本語化できていない外国語は、その「象徴性」を保っています。
「象徴性」とは、非日常性・非現実性のことです。
これを一言で表せば、「わかりにくい」ということです。
わかりにくいからこそ、外国語は、脳をフル活用して、一生にわたって学ぶ価値があります。
外山滋比古さんは、外国語を学ぶにあたって、次のようなことを発言されています。
これは、極めて重大な指摘です。
というのは、最近の大学入試問題をみていると、早稲田でも慶應でも、ニューヨークタイムズなど、新聞や雑誌の記事から出題されることが増えてきています。
このような現実的・実用的なものばかり読んでいて、「本当に英文の読解力が身に付くのか」とかねがね疑問に感じていたのですが、外山滋比古さんのこの指摘を見て、腑に落ちました。
外山さんの先ほどの卓見は、昭和48年のころのものですから、今の英語学習の風潮を予測するかのようなその内容に、本当に驚かされます。
自分は、早稲田・慶應の大学入試のために、英文教材として、エマソンやソロー、オーウェルやラッセルの原文を使っています。
比較的廉価に入手できるペンギン・ブックスのペーパーバックを使うことが多いのですが、英語の教材として、効果は絶大です。
日本語の注釈などがない原文を読むことになるので、最初は苦戦しますが、それでも半年もすると、偏差値50前後の生徒が、模試で偏差値60を超えるようになります。
英文読解力の向上には、雑誌や新聞の記事のような事実を伝えるだけのものではなく、思想的・哲学的なエッセイが最適であるという確信があります。
このレベルの英文を、きちんと和訳することできれば、英語力は格段に向上します。英語教育は、これで十分と言えるでしょう。
中高生のうちから、深い哲学的な内容に、英文で触れることに慣れていれば、あとはどうにでもなります。
オックスフォードやケンブリッジ、ハーバードなど海外の最高学府に進んだ場合でも、これで十分通用すると信じています。