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有名難関大学でも通用する英語を身につけるためには 【英語教育の本質について】

『思考の整理学』で有名な外山滋比古さんが、『日本語の論理』の中で、次のように記しています。

外国語の言葉は裏付けとなるべき事象との関係が希薄であるため、記号性が強く、観念的である。質量化していないから、言葉はより純粋な象徴性をもっているということもできる。(中略)
日常の言語を便利なものと考えているが、実は、言葉と事物の関係があまりにも密にすぎて、言葉をシンボルとして使いにくいことが少なくない。
日常言語は常識的世界を表現するには便利であるが、まったく新しいものを表現しようとすると、たちまち用をなさなくなってしまう。

外山滋比古著『日本語の論理』(中公文庫)P140

ここでは、言語記号の本質的機能は、象徴性シンボルにあるので、現実そのものを直接表現できるような事物との関係性が、あまりにも近い言葉は、創造性クリエイティビティに欠けると主張されています。

それに反し、外国語は、日常との関係性が希薄であるために、「非現実的な仮想の世界」や「象徴的な世界」を表現しやすい、と言えるでしょう。

日本語は、外来語をすぐにカタカナにして日本語化するのが得意です。
そのため、日常使われていない事柄で、日本語化できていない外国語は、その「象徴性」を保っています。

「象徴性」とは、非日常性・非現実性のことです。
これを一言で表せば、「わかりにくい」ということです。
わかりにくいからこそ、外国語は、脳をフル活用して、一生にわたって学ぶ価値があります。

外山滋比古さんは、外国語を学ぶにあたって、次のようなことを発言されています。

同じ外国語を読むにしても、新聞雑誌など現実的背景の濃厚なものよりも、文学作品や思想的書物などの方が優れていることが納得されるであろう。

外山滋比古著『日本語の論理』(中公文庫)P141

これは、極めて重大な指摘です。
というのは、最近の大学入試問題をみていると、早稲田でも慶應でも、ニューヨークタイムズなど、新聞や雑誌の記事から出題されることが増えてきています。
このような現実的・実用的なものばかり読んでいて、「本当に英文の読解力が身に付くのか」とかねがね疑問に感じていたのですが、外山滋比古さんのこの指摘を見て、腑に落ちました。

外山さんの先ほどの卓見は、昭和48年のころのものですから、今の英語学習の風潮を予測するかのようなその内容に、本当に驚かされます。

自分は、早稲田・慶應の大学入試のために、英文教材として、エマソンやソロー、オーウェルやラッセルの原文を使っています。
比較的廉価に入手できるペンギン・ブックスのペーパーバックを使うことが多いのですが、英語の教材として、効果は絶大です。

日本語の注釈などがない原文を読むことになるので、最初は苦戦しますが、それでも半年もすると、偏差値50前後の生徒が、模試で偏差値60を超えるようになります。

英文読解力の向上には、雑誌や新聞の記事のような事実を伝えるだけのものではなく、思想的・哲学的なエッセイが最適であるという確信があります。
このレベルの英文を、きちんと和訳することできれば、英語力は格段に向上します。英語教育は、これで十分と言えるでしょう。

中高生のうちから、深い哲学的な内容に、英文で触れることに慣れていれば、あとはどうにでもなります。
オックスフォードやケンブリッジ、ハーバードなど海外の最高学府に進んだ場合でも、これで十分通用すると信じています。

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