徳の風は吹いているか 【『論語』『左伝』に学ぶ】
魯国の哀公の時代、季氏の頂点に立っていたのが季康子でした。
彼は政治の要諦について、孔子に何回も質問をしています。
彼の質問や言動を見ていると、上に立つ者が正しい道(善なる道)を実践していなければ、下の者が正しい道を歩むはずがないという、実に単純な理屈が分かっていなかったことがわかります。
自分は不正不善の道に染まっていながら、目下や民には善行や正道を求めました。不正を見つけ次第、片っ端から処刑していたという記述もあることから、自分の事は棚に上げて、かなり厳しい政治を行っていたようです。
命令や規律、規範というものは、トップに立つ者がモデルとなって、その見本を示さない限り、誰もその人の言うことに従いません。
言葉で一つひとつ命令しないと部下が従わないようでは、もうリーダーシップは崩壊しています。なぜなら、人心を全く掌握していないからです。
いくら命令や法律を厳しくしたとしても、上に立つ者の行動が不正であれば、下にいるものは面従腹背となり、いつか革命やクーデターという結果になりかねません。
人を従わせるものは、命令や言葉ではありません。
何も言わなくても他人が心服するような人徳の有無が、本当のリーダーシップと言えるでしょう。
『論語』や『左伝』の記事をみる限り、季康子という人は、民から尊敬されていなかったようです。
勇猛心やチャレンジ精神に欠け、困難に対して不撓不屈の精神をもって立ち向かうという決断力や実行力がなかったことから、民たちから腹の底で軽蔑されていたのでしょう。
これは、孔子の「荘を以ってすれば則ち敬す。」という言葉からも窺い知ることができます。
季康子に「荘」が無かったことから、「敬」が得られなかったのです。
『左伝』の哀公11年の記事をみると、彼の優柔不断な言動がはっきりと記されています。
人は「高貴なもの」「偉大なもの」「立派なもの」などを目の前にしたり、触れたりする機会が訪れた時、本能的に「畏怖」「畏敬」の念をいだくものです。
すなわち、敬して服するのです。
季康子に高貴なる徳の風がそなわっていなかったことから、民がなびくこともありませんでした。
「君子の徳は風、小人の徳は草。」という孔子の美しく的確な表現は、何度読み返しても心に染み入ります。
我々は君子ではないのですが、歳を重ねるにつれ、このような「徳の風」をそなえる人物となりたいものです。
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